見出し画像

「さあ、やるぞ!」と「とりあえず、やってみようぜ!」のハナシ

〜「さぁ、やるぞ!」のハナシ〜

医療的ケア児童さんの介助や創作支援に携わり、ひと月が経った。

今朝は腰痛により仕事を休ませていただいている。

寝んごろにも文章は書けるので励みになるが

カラダが言うことを聞かないのは実に情けない…

医療的ケア児童さんの現場で腰痛は命とり。

よく朝ランを実践しているお医者様がいると聞く。

日頃からの体力づくりは患者様の命を預かるからなのだと再確認した。

医療福祉は「さぁ!やるぞ!」

と心をストイックに奮い立たせる場面が多い。

というかずっと奮い立たせている。

その心の有り様と対極にあるのは、図工美術かもしれない。

もちろん奮い立たせるけれど、さじ加減が違うかもしれない。

ものづくりは「さぁ、やるぞ!」と意気込んで始める時より、

逆境の最中にいてズタボロな時や

自然発生的に始まる制作の方が結果としてよい作品につながることが多い。

ここ5年、ゆるゆる開催している図工サークルも

「さぁ、やるぞ!」が年に2回あるぐらいで、

大半は自然発生的である。

師弟関係は全くなく、皆が対等に表出を助けあうのでとても気楽だ。

「さぁ、やるぞ!」から始めるか、

自然発生を望むかで表出されるものは大きく変わる。

というのがココ最近の気づきだ。

——————————————————————

〜「とりあえず、やってみようぜ!」のハナシ〜

中高校生の時の自分を振り返ると、

「なんでもいいから、とりあえずやってみようぜ!」

という〝ノリ〟が頻繁にあった。

恥ずかしながら私の場合、ほぼフィーリングで青春時代を送ってきた。

16歳。くら寿司のバイト代を貯めて購入したエレキドラムに腰掛ける私
19歳。短大の卒業制作。ダイナミックなぬたくり油絵。

今朝〝ノリ〟を英語でどう表すのか調べてみたら、

impulsively(衝動的に)と出てきたけれど

ティーンエイジャーの表出する〝ノリ〟は

衝動的〟とはちょっとニュアンスが違う気もする。

どちらかというとflow(エネルギーの流れ)

vibe(バイブレーション)

こっちのニュアンスの方が好きだ。

話を戻すと、大人になった途端にこの〝ノリ〟が、出せなくなる場面が増える。

アートにしても音楽活動にしてもそう。

なんだか寂しい気はするが、大人には責任が伴うから〝ノリ〟が激減するのも自然の歌なのだろう。

「仕事(ビジネス)として」
「仕事(コミュニティビジネス)として」
「有償ボランティアとして」
「奉仕として」


というカテゴライズで居場所や界隈を選ぶようになる。

また選ばなければ成立しないことにも気付かされる。

20代半ばから60代半ば。

働く世代真っ只中にある私の周囲には、

自然と「仕事として」つきあう仲間が集う。

6年生児童へ向けたキャリア教育の授業風景

しかしながら、70代80代の方々の傾聴支援に携わっていると、

「仕事として」というチャンネルから100パーセント遠ざかる。

話題はシルバーセンターの奉仕的活動やご家族の話。旅行の話。趣味の話。

70代以後の世代の方々との交わりに心地よさを感じるのは、

ティーンエイジャーが放つような目の輝きや

ノリ〟が戻ってくるからだと感じる。


「地上においては使命を全うするだけ。天国には何も持ってはいけないわ。記憶と魂だけかしら。」

こんな発言をしてくださる方もいる。

私はこの方たちの話に〝〟じゃなくて、
大きな〝ビジョン〟を見たような気持ちになる。

「100年後に向けて、とりあえずやってみようぜ!」

そんな風にも聞こえてくる。

人生劇場の随所随所に

生業としての仕事とは別のチャンネルをいくつか
もっていたい。

                 米光智恵

【米光のwebサイト】

【年間の事業サイクル】

【主催サークル】
ティーンエイジャーなみの〝ノリ〟の再構築。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?