家庭という組織、夫婦というリソース

「あなたはいつも仕事ばかりで家庭を顧みずに・・」
そんなやりとりをよく見かける。
いや、実際のところ見かけるわけではないが、SNSにいる主婦方の発信を見ていると、そのような主張が多く見受けられる。

夫が仕事を頑張って来てくれているから、わが家の生計は成り立っている。
日中私には家事育児というタスクがあるように、夫も会社で多くのタスクをこなしているはずだ。
無駄に見えてしまう飲み会等にも、部下とのコミュニケーションや取引先との関係維持のためなど、きっと意味がある。
外で揉まれてへとへとで帰る夫に、家庭でもあーだこーだと要望をぶつけるのは、可哀そうかもしれない。

それらは重々承知なのだ。
それでも、わが家でも冒頭のような小さな内紛が定期的に勃発したりする。
すまん、夫よ。

どうにかして、夫婦間の均衡を図ることはできないものか。
なぜ、分かっているのに気持ちを止められないのか。
振り返って、もう少し俯瞰的に考えてみることにした。

その時、ちょうど読んでいた本にドラッガーのマネジメント論についての記述があったのだが、それをきっかけに家庭をひとつの組織としてみてみることにした。


いわば子育てというのは、家庭という組織の掲げるミッションに対し、家庭内リソースを使ってあたる一大プロジェクトだ。ドラッガーは、組織のマネジメントには「目標設定」「組織づくり」「動機付け」「評価」が必要であると掲げていが、夫婦間で改まってそれらを定めるような話し合いを持ったことがなかったため、折角なので場を設けてみることにした。

夫に確認してみたところ、我々の掲げるべきミッションは「息子を立派に育て上げること」だろうと、そこに夫婦間で違いはないということが分かった。しかし、これは長期的な目標すぎる。最終的な目標地点へ向かう道すがら、もっと解像度の高い短期目標が必要だと思った。手の届く距離にあるゴールがなければ、長い道のりの中それぞれが違った方向から進もうとしてしまうし、具体的なものでなければ夫婦間で浸透させるのが難しい。

たとえば、「冬まで50万円貯金して、奮発温泉旅行に行こう!」という目標をつけると、冬までに、という期間を設け、50万円という具体的数値を持ち出すことで目標がより明確化されるし、ちょっといい旅館に泊まれるというご褒美が動機づけとしての役割も果たす。息子を立派に育て上げる中で、家族の思い出作りも必要だ。(無理やり感)

目標を設定したら、つぎは「組織づくり」。
状況としては、私と夫では夫の稼ぎの方が断然多く、夫は職場で責任者としての立場を担っていたので、帰りは早い方ではなかった。そのため、必然的に私が家事育児の役割を担うことになるが、目標の共有と動機づけがされたことによってそこに不満は生まれにくくなった。

そして最後の「評価」について。「育児は孤独だ」とよく言われるように、たしかに孤独を感じることは多々ある。母親の頑張りは子どもに反映されるものの、具体的に評価をなされることや、仕事のように給与という対価が支払われるわけではない。物差しでは測りづらい成果しか見受けられないことから、モチベーションの確保が容易ではない。

そんな時に夫からの対等な評価が必要だ。
「あなたは仕事ばかりで・・」という妻の不満に対し
「俺が稼がないとどうやって家計をまわすんだ」というアンサーを貰うと、「金銭」という軸のみで見ると貢献できていないし、自分は評価に値しない人間なのだと妻の自信を失ってしまいかねる。
家族で目指すひとつ目標に対し、仕事と家庭という全く違うアプローチで貢献している、ということを夫に評価して欲しいのだ

(主に私からの主張だったが)これらを意識していこう、ということで夫は合致してくれた。


なんとなくだが、関係性がすっきりとしたような気がする。
しかし、このように考え始めたことで、会社側も、少ない家庭内リソースの内の夫という戦力を頂戴しているのだという意識が必要なのでは(無駄な仕事はさせないでほしい飲み会とか飲み会とか)と思えてきた。
会社の協力を得て、家庭という組織の効率を最大化させる術はまだまだ追求できそうだなと思う。



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