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大学生自転車日本一周旅を振り返って⑧:上り坂と下り坂

 以前自転車で日本一周をした時の振り返りシリーズ。今回は上り坂と下り坂について、乗り越えるときのメンタルの保ち方などを書いていく。

 自転車での坂上りはとてもしんどい。逃げたくなる。足が疲れてくる上にペダルはどんどん重くなっていくように感じるからだろう。疲労の増加は指数関数的なのだ。標高差が何百メートルもあるところでは、さすがにしんどすぎて何度も自転車から降りては押して歩きもした。旅を進めていくうちに漕ぎ力が成長してきたのか、それともギアの使い分けを覚え始めたからか、最後の方は特に上り坂でも降りずに何とか上り切ることが出来るようになっていたが、それでも辛いことに変わりはなかった。しかし、いくら嫌でも、その坂を乗り越えない限り次はない。山の坂に突撃する際は特に、もう逃げようがない。他に道なんてないし、あるとしても遠回りをしなければならないから。だから、どれだけゆっくりでもいいから苦しくても乗り越えなければならない。
 だが、その苦しみの先には幸せも待っている。道によって違いはあるものの、基本的には上った分は下ることが出来る。下りでは、これまでの苦しみすべてが報われたような感覚になる。そのくらい気持ちが良い。疾走感、風、ペダルを回す必要が無いため楽で、スピードがある分車に追い越される回数が減って安全でもある。解放感を全身で浴びながら、溜まっていたものを一気に爆発させる。その瞬間には、何にも代えられない快感がある。上りでは、スピードが出ない分風を切り裂いていけない上に日光を浴び続けるから、足の疲労以外にも困難があるのだが、下りに入った瞬間、不思議なもんで、これらが何事もなかったかのように吹き飛んでくれる。

 止まない雨は無いように、上り坂もいつかは終わる。そして、その先には必ずと言っていいほど下り坂が待っている。苦しんだ分、ご褒美は待ってくれている。あの快感のためだけに、自分を奮い立たせていくつもの坂を乗り越えた。一生苦しみ続けるわけじゃないから、いつか来る下りのために必死で漕ぎ続けよう。
 スタート地点とフィニッシュ地点が同じだった今回の旅では、トータルでは上った高さの分だけ下るはずである。全体を一つの坂ととらえた場合、それまでに上った分は、見下ろせば下り坂になっている。現在の我慢は、将来の幸せの予約と同義。苦しくたって、最後は下ることが出来るということに希望を見出して頑張っていった。以前書いた、苦しみたくないなら今苦しまなければならない、という話と共通しているが、今頑張って登っていれば将来楽が出来る。今越えた坂の分は、必ず楽で幸せな時間が訪れるはず。勝利の味を知っているから闘えるのだ。

 坂は登りと考えたらしんどいけど、下りのための貯金と捉えて進めば苦しさも半減する。これは人生においても同じかもしれない。何事もすぐには結果が出ないし、結果が出る保証もない。だから、今上り始めた坂は永遠に続くように感じるし、その先に待っている道も目で見ることが出来ない。だが、そうやって考えていると、そのしんどさから上り続けることが出来なくなってしまう。ずっと苦しみ続けることが分かっていたら今を頑張ることが出来ないだろうし、もし乗り越えた先にまた上り坂があるのだとしたら諦めたくもなるはずだ。
 だが、いつかは下ることが出来る。必ず。苦しんだらその分下って行ける気持ちのいい時間が待っている。先のことは考える必要は無い。今昇って行こう。絶対に楽できるから。上り坂は、あくまで下り坂の一部でしかない。

 日本には、上り坂と下り坂、どちらの方が多いのだろうか。
 これは、5年ほど前にラジオのCMで流れていた文章。当時の僕は、日本は坂がちの国だから上り坂のほうが多いのではないかと思っていた。しかし、その予想は5秒後には崩れてしまった。
 答えは、同じ。
 スカされた気分だった。数がちょうど同じなんてそんな奇跡ある?と疑っていたが、その答えの理由としては、下から見たら上り坂だけど上から見たら下り坂だからということだった。俗にいう引っ掛け問題みたいなやつで、まんまと引っ掛かってしまった。だが、妙に納得してしまった自分もいた。確かに、坂はあっても上り坂か下り坂かは見る人によって異なる。苦しみも振り返ってみれば幸せなように。
 この言葉は、いつも苦しい時に思い出しては、乗り越える助けをくれた。全ては自分の見方次第。そして、上り坂も乗り越えれば下り坂に変わる。
 この坂は上り坂ではない。下り坂への助走だ。

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