見出し画像

ドラマから学ぶ生きづらさへの対処法① 「コントが始まる」

※ネタバレあり、ご注意ください※
役名で書くとややこしいので、役者さんのお名前のままで書きますね。

先日、最終回を迎えたこちらのドラマ。
菅田将暉さんと有村架純ちゃんがくっつくに違いない…と、単純な恋愛ドラマかと思って見ていたのですが、意外なことに、最終回でもそのような展開にはなりませんでした。

10年間活動をしてきた芸人トリオのマクベス。
解散ライブを控え、菅田さんが自分にとって、この10年間=マクベスとは何だったのか、という自問をするシーンが、とても印象深く心に残りました。

孤独に苛まれる人生を送ってきた神木隆之介さんは、愛情深い彼女を見つけることができた。
仲野太賀さんは、恋人との揺るぎない関係と愛情を育んだ。

では、自分には何が残ったのだろうか?と問いかける菅田さん。
とても胸に刺さるシーンでした。

私は、この考え方は自分に非常に似通ったものがあるな、と感じました。
10年間という時間で「残ったもの」は何なのか。
これは「結果」に対して意味や価値を求めているわけですよね。

例えば、これが会社経営などの事業であれば、10年間でどれだけの売り上げがあったか、という答えを数字で明確に出すことができます。
ダイエットで何キロ痩せたかなどという場合も、過程はともかく増減の結果だけを見て、喜んだり落ち込んだりすることも間違いではないでしょう。

しかし、これは「人生」のお話。
結果や残ったものだけで、10年間という時間の価値を測ることは誤りだということを、ドラマは教えてくれるのです。

その時間の中にあった出会い、体験、思い出。
それが例え負の内容であっても、「経験値」という意味ではプラスになるのではないでしょうか。
失敗があったのなら、次での成功につなげることが出来ます。
人生経験を積むことで、今後に生かしたり、人に対してアドバイスすることも出来る。
極論、人生に「無駄」はないということが言えるのではないでしょうか。

かくいう私も、すぐに結果で考えてしまう悪い癖があります。
アダルトチルドレンの特徴かと思いますが、グレーの物がとても受け入れがたい。

損か得か。敵か味方か。勝ちか負けか。嘘か誠か。
白であれば称賛し傾倒し、黒であれば辛辣に批判して扱き下ろす。
相手を問い詰め、白か黒かを見極めようとする。
人間ですから、感情にはグレーの部分だって多いはずなのに、それを受け入れることが、とても難しい…。

尾崎豊さんの「僕が僕であるために」の歌詞にも
「僕が僕であるために 勝ち続けなきゃならない」というフレーズがありますよね。
破滅的な行動や、奥さんを問い詰めたというエピソードから、おそらく彼もアダルトチルドレン的な生きづらさを抱えていたのではないかと思えてなりません。

人生に勝ち負けがあると思っている人は、自分が「負け組」だということを受け入れがたく、許しがたい。そして、「勝ち組」の人を羨むことで卑屈な気持ちになるのではないでしょうか。

でも、そもそも人生を他人と比較すること自体が実はおかしなことなのです。
なぜなら、あなたはあなたであり、それ以外の人間にはなり得ない。自分以外の感じ方や価値観で、自分の人生を測ること自体が間違っているからです。

他人の感情や言動に白黒をつけないと気が済まなくなると、とても苦しくなります。
相手の言動ひとつに対しても、善意か悪意の二択になってしまい、「あの発言は私に対する嫌味かもしれない」とか、「遠回しに私のことを批判していたのかも」という疑念が芽生えます。

嫌われてるのかもしれない。みんなの中で浮いているのかもしれない。
段々とその場所での居心地が悪くなり、そこから立ち去りたくなってしまう。
考えすぎて、人に声をかけたり、誘うこともできなくなる。

心が健康な人ほど、こういう邪推はしません。
他人の言動をいちいち気にかけず、だからこそ自分もさほど深く考えずに発言できるので、気持ちも楽です。

人間の多様性を認めているから「あまり深い意味はないのかも」とか「あの人ちょっと疲れてたのかな」などと、少し棘を感じるような言葉でも、受け流すことができるのではないでしょうか。

…と、ここまで書いて明かしますが、実はこれらはすべて自戒の文章です。
私もそうとは理解していながら、なかなか負の思考から抜け出すことが出来ずに苦しんでいます。
そして、勝ち負けはなくても、品格の差というものは存在していると思うので、その格差に対して強いコンプレックスを抱いています。
そこから卑屈になってしまい、ついつい邪推しがちになってしまうという自覚はあるのですが…
(品格の差は、主に子供の頃に親からどういう教育を受けたか、また、小中高とどのような学校環境で過ごしたかの影響でほぼ決まると考えます。私の職場は、経済的に恵まれていて、有名大学を出た人たちしかいません。人の悪口は言わず、不満があっても汚い言葉を吐いたりはしない、「性格の良い人」ばかりなのですが…これに関してはまた改めて書こうと思います)

結論。
人生は「結果」で測るものではない。
なぜなら、人生は継続的であり、そこで終わりではないから。

人生に「結果」があるとしたら、それはその人がなくなった後に答えが出るものなのではないでしょうか。
私たちはこうしている今も何かを体験し、人生経験を積んでいるはずです。
だからきっと、明日をより良くすることだって出来る。

「コントが始まる」の最終回の最後のシーンで、視聴者はこの「コント」という単語が「人生」と近しい意味を持っていることを悟ると思います。
お笑いの賞レースで、審査員が付ける点数がそれぞれ違うように、人の感じ方は千差万別です。自分が腹を抱えて笑う作品であっても、他人には面白さが全く分からないことだってある。

でも、それでいいのです。
それが人間であり、人生なのだから。

「コントが始まる」は、生きる意味に迷う人に道標を与えてくれる、そんな素敵なドラマでした。
皆さんも是非、お時間があれば見てみてください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?