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”それ”は在る

自分探し

日々の雑踏、無数の選択から私たちは
「口に出せない・声にならないモヤモヤ」
に追われ、毎日を過ごしています。

それらは影のようなもので、存在していることは確かだが、どこにどのように存在するのかは分からない。

時間とともに大きくなっていく影は、私たちの心と身体を圧迫し、私を私から追い出そうとする。

そして大抵は、影が私に勝利して、私であるはずの私は、いつの間にか私ではない私へと変化していく。

確かに今、ここに存在しているはずの私は、本当に私なのか?

それとも、影なのか?


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こんにちは。

谷塚総合研究所・哲学部の塚本です。


最近の科学や研究において、いわゆる「自分探し」のデメリットが多く提示されています。

インドに瞑想の旅に行ったり、最近だとオンラインでのセッションなんかも多いです。

ですが多くの「自分探し」は失敗に終わり、ただの旅行や一時的なモチベーションアップになってしまう。


よく考えればわかるのですが、インドに行って「私って誰ですか?」と問いを投げかけたところで、結局だれかに答えを聞いていては、自分なんて見つかりません。

高尚なスピリチュアルカウンセラーに「あなたは大丈夫」と言われても、翌日上司に叱られていては、大丈夫なんて信じることが出来ない。

自分というのは、自分が今から作っていくもので、誰かが答えをくれるものではありません。


必要なのは「自分を理解する方法」「未来の自分を作っていく方法」です。

自分を理解する方法が分かれば、日々の様々な経験から、自分というものを理解できます。

未来の自分を作っていく方法が分かれば、自分のなりたい自分を、自分で作っていけます。

わざわざそれを知るために、仕事を辞めてインドに修行に行くのはコスパが悪すぎます。


今日は、バッキバキのスピリチュアル本「”それ”は在る」の紹介。


自分を理解する方法

もし私たちに精神や感情といったものが存在しなければ、どれだけ人生が楽に展開していくか。

「ダイエットのために食事制限」を阻むのは、食べたいという欲求ですが、ロボットのように無機質な性格であれば、食べたいとすら思わなくなります。

「将来のために節約したい」を阻むのは、お金を使った先の世界を体験したいという欲求ですが、機械的に感情を取捨選択できるのであれば、お金を使いたいとは思いません。

残念ながら私たちは人間で、ごく一部のストイックな生活をこなす人をみて学び、私も今日から実践すると決意したところで、結局は欲求には勝てないのです。

多くの場合、欲求と対立し、いかに欲求を抑えるかという課題に挑もうとしますが、長くは続きません。
欲求とは、抑えれば抑えるほど大きくなるものだからです。


欲求は抑えるものではなく「なぜ、それを望むのか?」と自問自答する。

欲求を分解していけば、その欲求の元にたどり着き、それから欲求の選択が出来ます。

ダイエットしたい

でも今、食べたい

なぜ食べたいのか?

食べないとイライラする

ではなぜイライラするのか?

彼氏とケンカしたから

なぜ彼氏とケンカしてイライラするのか?

彼氏と仲良く過ごしたかったから

なぜ彼氏と仲良く過ごしたかったのか?

それが幸せだから。

といった感じに。

幸せのために今食べたいのなら、そもそも食べることを幸せにするほうがいいです。

満たされない欲求を満たすために食べるから過食するし、
満たされない欲求を満たすためにお金を使うから浪費する。

行為の原因は、不足を補うためでなく、充実するためです。

彼氏とのケンカと、今食べることは別の問題であって、くっつける必要がありません。

自己を深堀りしていくと、関連性のない物事を関連させていることに気づけます。


本書で探求するのは「私は何なのか?」という部分が主ですが、その自己探求のアプローチ方法は、日常生活でも大いに役立ちます。

いわゆる「悟り」を多角的に述べた本書は、私たち一般人のライフハックにもうってつけです。


未来の自分を作っていく方法

アメリカの心理学者、アブラハム・マズローは、無数にある人間の欲求を5つの階層に分類し、低次の欲求が満たされるごとに、もう1つ上の欲求をもつようになる。と定義しました。

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引用・マズローの欲求5段階説とは? 知っておくべき心理の法則


私たちが求めているのは、最上位の自己実現欲求を満たすことです。

そして、冒頭で説明した「影」に当たるのは、それ以下の欲求全般です。

私らしい私でいるのを阻むのは、より原始的で強力な欲求です。

マズローの欲求5段階説では、低次の欲求を満たすことなく高次の欲求を満たせないと述べられています。

実際その通りで、私たちの人生の大半はこの低次の欲求を満たすために消費されています。

低い欲求を満たせない限り、私たちはいつまでたっても「私」ではいられないのです。

そしてこの、低次と高次の欲求のギャップは、多くの精神疾患・障害を誘発します。


では私たちはいったいどのようにして、高次の願望を実現していけばいいのか?

結論から言えば「多少の犠牲を受け入れる」こと。

人生に正解なんてありません。
歴史上の様々な人間の生き方が、それを示しています。

過去の偉人の業績は、彼らの類まれなる才能というよりは、多くの場合「どれだけ犠牲を受け入れて来たか?」ということから生じています。

大抵の偉人は、変人です。

彼らは一般的な低次の欲求を諦め犠牲にし、それを受け入れ高次の欲求に意識を向けたのです。

現代に生きる私たちにも、それは可能なのか?

もちろん可能です。
むしろ私たち現代人は、より「死なない」社会に生きています。

私たちが守らなくてはいけないと勝手に解釈している低次の欲求を諦め・それを受け入れさえすれば、私たちは「私」でいられます。

生きるための欲求を捨てたところで死にはしません。

そしてそれらは手放してみれば、意外にもあっさりと氷解していくものです。


本書では低次の欲求だけでなく、高次の欲求でさえも

「黙って一度、捨ててみろ」

と言います。

私たち一般人に、そこまでする意味があるのかは疑問ですが、その方法は私たち一般人にとっても役に立つものです。

欲求が私を表現するものであれば良いですが、私を表現しないものであれば、一度立ち止まって考えるべきかも知れません。



現代の科学で注目される、量子力学・相対性理論。

原子の内側や、遠い宇宙の果てと同じように、私たちは私たちの内面をよく理解できずにいます。

ですがミクロやマクロの科学と同じで、私たちは私たちの内面を理解することによって、多くの恩恵を受けることが出来ます。

たまにはSNSの通知をオフにして、自己のミクロやマクロの世界を探検してみてはいかがでしょうか?

本書はその道案内を買ってくれます。


おわりに

本書はとてつもない一冊であり、私の人生に大きな影響を与えました。

もちろん意味不明で、わかった風味だけ味わっているのですが、何度も何度も読み返し、その言葉の意味を自分なりに探っていました。

まるで遠い昔の異国の地に残された書物のような内容で、本書は私に深い疑問や答えを投げかけてきます。


が、

筆者の「ヘルメス・J・シャンブ」さん、普通にnoteやってました。

たまたま見かけて、とても興奮しました。

「あの本の作者がnoteやってる!」「普通にいる!!」

興奮しながら記事を書きあげたわけですが、フォロワーさんのニーズそっちのけで、バッキバキのスピリチュアル記事を書いて自己満足していることを謝罪します。

ですが、本当に良い本です。

強くおススメします。


最後までご覧いただき、ありがとうございました。


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