個人セッションのお申込みについて *** 2023/12月のセッションスケジュールが決まりました。 12/17(日)〜24(日)になります。 (*zoomセッションのみ) 時間帯 10時〜 13時〜 12/17△ 18△ 19△ 20△ 21△ 22◯ 23△ 24△ (○△は予約に空き有り) ご希望の方は下記内容をご確認の上、ご連絡を下さいませ。 *** *セッションⅠ (はじめて受けられる方) *セッションⅡ (Ⅰを受けられた方のみ申込み
まず、いつも初めに感謝がありますように。 謙虚さがありますように。 謙虚さとは、素直に、純粋に、受け入れること。 事実と真実を。 自分のイメージ、価値観、偏見、妄想ではなく。 いつも初めに感謝を持てるように、いつも初めの初めに、純粋無垢でありますように。 誰にも知られることのない湧き水のように。 とめどないせせらぎのように。 見上げた先に、いつも光がありますように。 見上げる前に、いつも光がありますように。 視線を落としたら、いつもそこに温かい微笑みがありますように。
*この内容は、とある瞑想会参加者とHとのメールのやり取りの抜粋となります。 〈瞑想会参加者からのメール〉 ヘルメス様へ こんにちは。先日の瞑想会もありがとうございました。 久しぶりにメールを書かせて頂きますね。 先日このようなことがありました。 仕事のやり方で同僚に怒りを感じたという内容です。 その同僚とは、一緒に〇〇の仕事をやっています。 スケジュール管理が疎かな同僚に対し、準備が大切なのにどうして余裕を作らないんだ?と怒りを感じたものです(笑) さて、この怒りを感
歌う 私は歌うのが怖かった。自由に歌うことが、どれだけ恐ろしかったことか。それはたくさんの決まりがあったからだけれど、それが自分のせいなのか、他の人のせいなのかはわからない。 歌を歌うのは、音楽の時間には許されるけれど、国語の時間には怒られてしまうように、ルールというものがあって、それから自由になって歌いたいと、子供の頃には思っていた。なぜ、自由に歌ってはいけないの? と。けれども、滑稽なことに、大人になってからは、自由に歌えと言われても、自由に歌えない。自分
父と母 私が本当に喜ばせる相手は、初めの父である。私はそう思うのだ。なぜなら、父なくして、私は存在しないのだから。 父がいなければ、私は何もすることができなかった。手もなく足もない。 手もなく足もないのに、手があって足がある。父がいなければ、私は歩くことさえできない。手で触れることも、話すことさえもできない。 けれども私はいつも、父に背を向けて生きてきた。私は罪人なのかもしれない。 ある日、私は初めの父に問いかけてみた。 「父よ、私は罪人ですか?」 父は問いかけが終わ
瞑想(学習)会への参加をご希望の方は、下記の内容をご確認頂き、ヘルメスのメールアドレスに直接ご連絡を下さいませ。質問がある方も、お気軽にお問い合わせ下さいませ。 ・zoom開催 ・対象:セッションを受講され、瞑想についての指導を受けられた方。 ・開催日程:月に3回程度(週1回目安、夜間、日時が合わない時などの不参加など自由) ・内容:主として瞑想、多種のワーク実践、聖典などからの引用と説明、質疑応答等々。 ・参加費用:お一人3000円(月額) その他、詳細については直接メ
与えられた時間を、どのように使うべきでしょう? その時間、私たちは羽ばたいているでしょうか? 幸せと自由という翼を広げて。 光の空を。 ”時間”は、確かに実在ではありませんが、別な視点から見れば、確かに時間は与えられています。 時間は平等に与えられていますから、それをどのように使うのかはそれぞれ、自分次第です。
どこまで遠くに行ったつもりでも、どこにも辿り着いていない、ということがあります。 どこにも行っていない、進んでいない、辿り着いていないと思っていても、いつしか、知らず知らずのうちに別な景色を見ていることもあるのです。 傷ついたつもりだったのに、何一つ、傷ついていないということも。 嬉しくて、喜んでいたつもりだったのに、何一つ、喜びがなかったということも。 広大な海の、ほんのわずかな表面で波が立ち、それがいくら荒れて大変なように思えても、海は海のまま。 深海は静寂の境地にゆ
とある探求者(セッション受講者)に宛てた手紙 心身脱落して、自然に歩く時、あなたは神そのものです。 そんなふうに歩いたことがありますか? 「私は空っぽで、この器には神の葡萄酒が注がれている。私は神の道具。私を通して、神は人を神へと導く。私は無で、私の所有者でもなく、私はただの道具」 こんなふうに。 あなたは、自分の心のざわめきに忙しいかもしれません。 散歩をしている時も、ご飯を食べている時も、友人と会話をしながら、別の空想に潜り込み、ハッと気づいてコーヒーカップを手に
選択を変えれば、結果が変わるのは当然のことです。 けれども、選択とは何かがわかっていなければ、選択を変えたつもりでも実際には何も変わっておらず、それゆえ結果も変わらない、ということがあるでしょう。 右へ行けば・・・ いや、左へ行けば・・・ あの仕事か、それともこの仕事か・・・ これらは、選択ではありません。 というのは、結果は変わらないからです。 色や形、すなわち現象、目の前の事象は当然変わることでしょうけれど、そういった表面的な体験ではなく、”本質的な体験”は何一つ変わる
とあるところに、素直でまじめな男が暮らしていた。もうすぐ春がやってくる。男は畑を耕して、種を植える準備をはじめた。種が居心地よく、ちゃんと育つように。そのためには、自分が仕事をしなければならないことを知っていた。 となりに、頑固な男が暮らしていた。もうすぐ春が来る。けれども、彼は畑を耕すのを面倒だと思っていた。「どうして、俺が耕さなきゃならない? 畑は、畑自身が準備するべきだろう。種もまた、勝手に丈夫に育つだろうし、育ってもらわなきゃ困る。すべては、俺の思い通りになるはずだ
それは幸せなことです。 「知っている」「知らない」に関わらず、真実は真実のまま。 それは幸せなことです。 そうでなければ、救いはあり得ないでしょう。 不変で在るということ。 出来事や事象に左右されないこと。 影響されないこと。 そうでなければ救いはあり得ません。 不変であり、普遍で在るということ。 それは幸せなことです。 幸せというものは、五感の知覚作用による快楽(刺激)とは関係がありません。 ですから、体の不自由さとも関係がありません。 身体的な年齢とも無関係です。 それ
2023/06講話の中で、「自分と父、または母、あるいは他の誰かとがぶつかる時には、それは「私たちは違うから」ではなく、「同じものであり、同じ心を持っているから」とお伝えしました。 この点について、もう少しだけお話をしておくことにしましょう。 私たちに何か問題が起こる時、私たちは、相手のことを理解しようとします。相手がどのような視点、観点から考えているのか、相手の立場になって物事を考えようとするでしょう。 けれども、表面的に、これだけでは相手を理解することにはなりません。
幸せに必要なものは何でしょう? 幸せになるために、必要なものは? 心はいつも、何かが必要だと思っており、その信念、思い込みを疑うことすら、ほとんどありません。 これはいつも伝えることですが、信じているからこそ、疑うことが困難なのです。 「これはこうだ!」と思っていることを、頑なに信じていることを、疑うことが最も難しいのです。 昔のことです。とても単純な話です。十代の終わりに、進学して、新しい顔ぶれになった時、とても「嫌いな人たち」がいました。好きにはなれませんでしたが、その
私たちは幸せを語ってきたでしょうか? 家族や親しい友人と、あるいは恋人と、その他の誰かと。 そして、そもそも、幸せを語ることができるでしょうか? 楽しいことや嬉しいことは語ってきたかもしれません。不平や不満や、嫌なこと、好ましくないことはたくさん語ってきたかもしれません。けれども、幸せを語ってきたでしょうか? そもそも、幸せを語り合うことができるでしょうか?
例えば、トマトの種子は必ずトマトの木になり、トマトの実をつけます。トマトがナスやピーマンになることはありません。 大地に落ちた種子に、ある特定の条件が揃うと、発芽します。そして特定の条件のもと成長し、特定の条件のもと実をつけるようになります。 熟した実は、やがて自然に大地に落ちます。 そしてその実の中にある種子がまた、特定の条件が揃うことによって発芽するのです。 輪廻とは、あるいはその物語とはこのようなものです。 心の信念と、その結果としての出来事や事象も、全く同じようなも