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反省させると悪くなる 反省文の害②

「やよい先生は、簡単に子どもを褒めるわね。やって当たり前なことは、褒めなくていいのよ。簡単なことで直ぐ褒めていたら、子どもが努力しなくなるわ。」

音楽のみどり先生は続けて言った。

「私の父は、滅多に褒めなかったわ。その代わり『本当によくやった』という時には、心底から褒めてくれた。だから、私は父に褒められたくて一生懸命に努力したの。父の褒め言葉はそれぐらいに価値ある褒め言葉だったのよ。」

私は笑いながら答えた。

「みどり先生のお父さんは、『この子ならできる』って信じて努力する様子を見ていたんでしょうね。お父さんの褒め言葉が積み立てた結果の1万円なら、私の褒め言葉は10円くらいでしょうね。でも、私、全員をたくさん褒めたいんですよ。1万円だとバラ撒けないじゃないですか。」

みどり先生は、折角のアドバイスをしたつもりだったろうから、ちょっと呆れた表情だった。

みどり先生の言う通り、私は細かく(簡単に?)子どもを褒めた。
歌1曲でも「姿勢がいい」「口が指3本分(大きく)開いていた」「(息継ぎができて)声が伸びている」「最初の『あ』の音がよく聞こえた」「気持ちよさそうに歌っていた」と、できている数人を次々に褒める。

教えた通りにやっている子を褒めているのだから、みどり先生にしてみれば「やって当たり前なこと」「褒めなくていい」ことなのだろう。

だけど「子どもが努力しなくなる」なんてことはない。褒められた子は次もそれを心がけるし、それを聞いた子は「それがいいのか」「それなら自分も」と後に続く。そして私は「みんな素晴らしい!」と10円の褒め言葉をクラス中にバラ撒く。

余談だけど、もちろん、100円、1000円の褒め言葉も用意している。1万円もある。みどり先生の言う通り、滅多出ない1万円が出れば「○○天才!」「すごい!」とクラス中で大フィーバーだ。

私は、できている部分を見つけて褒める。
悪いところは言わない。「姿勢が悪い」「口の開け方が小さい」と言わない。歌い始めに出遅れた子がいたら中断して「もう一度始めから。合図をするから見ていてね」とやり直しをする。それでもダメなら合「合図が見えなかった人は体をずらして見えるようにしてね」と言う。できていなかった子に「なんで見てなかったの?」「どうすればいいと思う?」とは言わない。

もっとも、歌い始めに遅れた程度なら、音楽会前でもない限りスルーすると思う。

これに対し、反省文を書かせる指導は、悪いところをトコトン見つめる指導だ。(以下の引用は、前回の記事『何回書かせても変わらない 反省文の害①』)

「悪いことを悪いとしっかり教え、自分の過ちから逃げず、どうすればよかったのかを考えさせるのは教師としての責任だ」
「アイツにこそ、ちゃんと書かせる必要があるんだ」

悪いところをトコトン見つめるこの考えは、文字通り「アイツ」を逃がさない。「何がいけなかったか」「どうすればよかったか」「これからは、どうするのか」を何回も書かせ、追い詰める結果になる。
事実、繰り返し反省文を書かせた教師は言った。

「まったく、嘘ばっかりだよ。もう何回繰り返していると思っているんだ。アイツだけで、反省文のファイルが1冊できる。」

この言葉には、何回書かせても変わらないことへの教師の失望と憤りがある。「嘘ばっかりだ」と、教師が子どもを責めている。

でも、反省文に《教育効果》はない。《反省文に書いたから、書いた通りに行動できる》わけではない。人間はそんなふうにできていない。
変わるはずだと思っている教師の【人間観】こそが問題だ。

反省文で子どもに約束させる。約束させるから、約束を破ることになる。嘘をついたことになる。
「嘘ばっかり」にしたのは、繰り返し反省文を書かせた教師だ。

子どもは「嘘ばっかり」にしたかったわけじゃない。
誰よりも困っているのは「嘘ばっかり」になってしまう子ども自身だ。
反省文の「嘘ばっかり」は、教師が作った。


子どもの方こそ失望と憤り感じるだろう。
「オマエが何回も反省文なんか書かせるから、オレが『嘘ばっかり』になるんじゃないか。」

実際、繰り返し反省文を書かされた「アイツ」は怒っていた。教師に不信感をもち、教師との会話を拒んでいた。
担任に限らず、近づく教師全員を睨みつけた。
「何が言いたいんだ?どうせオレが悪いって言うんだろう?」
そんな目で「アイツ」は教師を睨みつけた。

「どうすればいいか」を教えようとする時、指導の言葉はおよそ次のふたつに分かれる。

いいところを見て「いい」(Go)と言う
悪いところを見て「悪い」(Stop)と言う

「悪いところを見て『悪い』(Stop)と言う」のが悪いと言っているのではない。
何かができずにいる子どもには、何かしらの原因・理由があるのではないか。その原因・理由を解決しないまま、「『悪い』(Stop)」ばかりを何回も繰り返したらどうなるか。

あの時、反省文を書かせていた彼とそれを話したかった。
「反省文を書かせて、かえって悪くなっているのではないか」と話したかった。

興味深い本を見つけたので、以下にご紹介。

『反省させると犯罪者になります』(新潮新書)岡本茂樹

彼らを支援するなかで明らかになったことの一つは、問題を抱えた人は、幼少期の頃から親に自分の言い分を聞いてもらえず、言いたいことを言おうものなら、すぐさま親から「甘えるな」「口答えするな」と反省させられ、否定的な感情を心のなかに深く抑圧していることです。したがって、否定的感情を外に出すことが、心の病をもった人の「回復する出発点」と考えるようになりました。(まえがき より)

本文中の事例は「実際に刑務所で受刑者の更生を援助するなかでみえてきた真実」をもとに作られています。タイトルについては著者自身も「非常に過激」と述べていますが、それだけ、反省を強要する行為の危うさを訴えたかったのが分かる本でした。

今回はここまで。

※前回の記事に多くのコメントを頂き、考える機会を得ました。ありがとうございます。学校・教師という環境・役割についても考えざるをえませんでした。
また、他の方々のnoteを通じて、学校が抱える問題点も改めて考えました。noteで出会えた多くの方々に感謝しています。今後ともよろしくお願いします。

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