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#知花竜海
復帰の日と息子の誕生日
今日5/15は沖縄の日本復帰50周年の日。
そしてうちの長男かかの誕生日でもある。
復帰に関しては戦前戦後現在まで続く日本と沖縄の理不尽な支配関係を考えるととても祝えるもんじゃないだろと僕は思っている。
だから息子の誕生日を祝ってこの日を過ごせるというのはなんというか、ありがたい。
学生時代からずっと、戦争、基地、平和、人権、という沖縄の社会問題に関わって自分なりにアクションしてきた。当然本
音楽はやめませんが優先順位が変わります。
2021年あけましておめでとうございます!
皆様昨年はどんな年でしたか。
僕自身は40才でミュージシャン人生の大きな区切りになった年でした。
元々固定の制作仕事が無くなることが決まっていたタイミングに、コロナ禍が来て、ライブも音楽制作仕事もほぼ無くなり、収入がなくなりました。
そんな中で、ここ数年準備してきたアースバッグハウスの宿作りと、ネット上での音楽活動展開に邁進した一年でした。
この10
セカンドアルバムが出ないわけ
出すぞ出すぞと言いいつつ出ないのがこのセカンドアルバムだ。
自慢じゃないが今までの音楽生活の中で数々のCDを出してきたが全てファーストだった。
セカンドを出せたことはまだ一度たりとも無い。
プロジェクトが続かないのである。
なぜ、こんなにも続かないのか。
それは売れないからである。
もう身もフタもないが今年の目標は「生き様を見せる」なので全てさらけ出そう!
もう一度言う、一枚目の予算
うちなーぐちで歌ってみた
今作っているセカンドアルバムを本気で世に出す為には、俺自身の状況を劇的に変える以外に道は無いな、ということを自覚したのが昨年末。
さて、どうするか。生活の中でこれ以上活動ペースやアーティスト活動の比重を上げることは難しい。ならば「音楽以外の自分」も見せて、生活そのものを全て表現活動にしてしまえば、日々生きているだけで超精力的に活動していることになる!
そこで生まれた起死回生の苦肉の策が「うちな
アイデンティティーが半分かけている
二十歳の頃までは「沖縄らしい」アーティストイメージを演出しようとしてきた。沖縄の何処にでも居るような普通の若者を代表・象徴する存在になりたいと思っていた。インタビューなんかでも極力それを意識して振る舞ってきた。その方が共感を呼びやすいし、曲のメッセージが伝わりやすいと思ったからだ。なので隠していた訳ではないが積極的には言ってこなかった情報がある。
それは僕が「純血」のいわゆる「普通の」うちなんち
「お母さんは、沖縄の土さ」
陶芸家の母は復帰の次の年に沖縄に来た。焼き物の修業をするためである。沖縄に来る前は益子にいたらしい。
壺屋焼の窯元に弟子入りし、読谷に暮らす中で、うちの父と出会い結婚し、僕が生まれた。
母は一人っ子の僕にできるだけ多くの文化的な体験をさせようと、小さいころから数多くの旅行、芝居、コンサート、美術館などに連れて行ってくれた。
とりわけ、沖縄に関するものは徹底して参加・習得させようとした。うちな