アイデンティティーが半分かけている

二十歳の頃までは「沖縄らしい」アーティストイメージを演出しようとしてきた。沖縄の何処にでも居るような普通の若者を代表・象徴する存在になりたいと思っていた。インタビューなんかでも極力それを意識して振る舞ってきた。その方が共感を呼びやすいし、曲のメッセージが伝わりやすいと思ったからだ。なので隠していた訳ではないが積極的には言ってこなかった情報がある。

それは僕が「純血」のいわゆる「普通の」うちなんちゅではない、ということ。今日はそのことについて改めて書いてみる。

僕自身が沖縄になぜここまでこだわるのか。それは自分自身のアイデンティティーが「半分かけている」からに他ならない。あえてこう書く。自分は「ハーフ」だ。

ハーフの定義とはいったい何だろうか?

Wikipedeaによると「日本において、人種・国籍等が異なる両親から生まれた人物を指す語」とある。

僕自身はハーフを異なる文化の狭間に生きる者、という風にとらえている。

うちの母は福岡出身の日本人、父は読谷出身のうちなんちゅ(沖縄人)、そして僕は読谷で生まれ、読谷で「日本人」の母に育てられた「日系二世、日系沖縄人」でもある。日本と沖縄は元々別の国だったのだから、世が世なら、という話である。

兄弟はいない。両親は幼稚園の時に離婚した。母は異文化の中で苦労しながら僕を育ててくれた。

僕は読谷という地域コミュニティーの中で「その他組」と呼ばれる移住者の子供として育った。

いじめられこそしなかったが、小学校の頃はまぁナイチャーナイチャーと馬鹿にされた。

その悔しさ・屈辱は一生忘れることはないし、今も自分を奮い立たせる「怒りのバネ」として機能している。

子供の頃は、どうしたらみんなと同じ「うちなんちゅ」になれるだろうか、仲間に入れてもらえるだろうか、

そればかり考えていた。

沖縄で生まれ育っているのに、沖縄人に育てられていない。それが僕が自我を形成する上で決定的なトラウマとなった。

だがある時期を境にそれがすべてポジティブな感情で昇華されてゆくことになる。それについてはまた今度書く。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?