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自己紹介 ~大学生の私~

キャリアコンサルタントのちあきです。前回、『自己紹介 ~10代の私~』を寄稿させていただきました。

今回はその続編です。ちなみに前回の記事はこちらです。​大学合格までのエピソードを書いてあるのでお時間がある時に読んでいただけたら幸いです。

1.大学1年生の時

合格可能性20%の大学にうっかり入学してしまった私。入学式は本当に晴れ晴れと迎えたものの、入学式後に学部毎に集合した際に言われた話に衝撃を受けます。

「皆さん、ご入学おめでとうございます。大学入学式にお伝えしたほうが良いと思いお伝えすると、本学は4年間で卒業できる学生はおよそ7割弱となっています。大学は勉学に励む場なので・・(うんぬんかんぬん・・・)」

大学入学時の私としては留年するって、出席日数が足りないとか提出物出さない人がするものだと思っていました。3割に入らなきゃいいんでしょ!くらいに考えていました。

シラバスに沿ってどの単位を取得するか選びます。大学生の時ってそんな時間も楽しかったりするはず。教員免許を取るために必要な単位から調べて埋めていきました。・・・・とここで第一の誤算。

「教育学部じゃないのに教員免許を取得するのが大変すぎる問題」

私の通っていた大学は中学だけ・高校だけの教員免許を取得する仕組みはなく、「中学・高等学校教員免許状一種(理科)」が取得が可能ですというカリキュラムになっていました(当時)。

必修科目と教員免許を取得するために必須な単位を埋めていくと大学1年生の時は月~土までほぼ休みなくびっちり。土曜は教職のための授業が朝から夕方までぎっしり詰まっていました。

しかも、月~金の通常講義の時間割も、本来「興味があるな」とか「面白そうだな」と思っていた人間科学系の講義を取得する時間はあまり無いと気がつきました。しかし、当初の目的が教員免許を取得するのでやむなしと思いました。全ては教員免許を取得するために!!

そんなこんなで始まった大学生活。予想はしていた最初の衝撃が私に襲い掛かります。

GW前にあった英語のクラス分けテスト。英語の学力別にテキストが異なるのでそれにより受けるクラスが変わります。

Aクラス・・・英語が得意。英会話もやるし発展的な学び。

Bクラス・・・英語普通。

基礎クラス・・・英語ダメ(英語的には合格点に達していないけどうっかり入学してきたやつの巣窟)

英語は中学までは得意科目だったのですが、高校ではさほど得意ではありませんでした。合格可能性20%の大学にうっかり入った私は当然の如く「基礎クラス」に割り当てられます。まぁそうだよねとクラス発表を見て思いました。

※よく考えてみたら「Basic クラス」くらいのネーミングにしてほしい。

この「基礎クラス」なのですが当時所属していた部活に同じ科の1学年上の先輩がいて英語のクラス分けの話をしたところ・・・

「え、お前それマジでやばいよ!基礎クラスに割り当てられた奴のうち半分くらいは2度目の1年生やってるぜ」

・・・・・・・・。というわけで大学デビューする予定だったはずの私の計画は倒れ「ガリ勉しないと単位が取れないけどガリ勉しても留年の危機に追われる4年間」がスタートしたわけです。

「教員になるんだ!」というモチベーションがあったので1年生の単位は取りこぼしなく取得することができました(遊ぶ時間は犠牲)

2.大学2年生の時

大学2年生の教職課程での出来事でした。確か教育概論系の講義の時間だったと思います。講師の先生が話題にしていたのは当時深刻化していた「教員いじめ」の問題にフォーカスした内容でした。その話の深刻さに自分の中で思い描いていた「理想と現実」を目の当たりになったような感覚がありました。私自身、オンとオフははっきりしたいタイプでしたが、部活動への教員の取り組みの実態や様々な諸問題をある意味忖度なしに話してくれたその講師の先生だった。今ならそう思えます。

更にちょうどこの頃、家庭教師のバイトをしていた私は大学1年の時はおとなしめの茶色に髪を染めていたのですが、親御さんと仲良くなった結果、徐々になし崩し的に髪の毛を明るくしていました(笑)そして、ついに・・・・

教職課程を履修している奴とは思えない金髪になってた!!!

教職課程の先生に提出物を出しに行ったときに言われた一言。

「君は教員になる覚悟が足りていないようだね。教員になったら髪の毛の色を戻せばいいってもんじゃないんだよ」と・・・・・。

ちなみになぜ金髪だったかについては別の機会に詳細を書こうと思いますが、ちょうどこの頃から大学外のバンド活動に熱を入れ始めた頃でした。

兎に角、私的に見た目で人の向き不向きを判断するのが言語道断!!と思っていたのですがふと思い起こすのは高校の厳しかった生活指導・・・。

うーーん。。。「覚悟」ねぇ・・・・。となったわけです。

さらにちょうどその頃、留年の危機になりそうな学生が専門の必修科目に特化するためや遊ぶ時間確保の為に教職課程を離脱していく学生が散見されていた時期でした。

大学2年生の必修科目のうち何単位か落として、来年に持ち越しとなりました。大学により制度が異なると思いますが、当時の私の通った大学では必修単位が未取得でも各学年毎に設定されている未取得単位上限を超えなければ進級ができました。これを大学内では「仮進級」と呼ばれていました。

というわけで「仮進級」で3年生に進級。

ちなみに2年生の必修の単位を持ち越して3年生に仮進級した場合、2年生の必修単位は3年生で取得できなかった場合は4年生にはなれない仕組みでした。

そう。「リーチがかかった状態」に追い込まれたわけです。

3.大学3年生の時

リーチがかかった私。しかし、ここで私は「教員免許を取得して教員になる為」に大学に入学しているのでそもそも大学に通う意味を見出せなくなってしまっていました。教職課程を離脱して必修科目に専念するという他の学生と同じ選択をする道は考えていませんでした。

親に大学を辞めたいと相談したこともありました。その時に親に言われたのが、「大学辞めたら何するの?」でした。

私の中で音楽の専門学校や音大に通っていたバンド仲間や先輩のスキルの高さからそっちに行きたいって気持ちがうっすら芽生えていました。

「音楽の専門学校に行きたい!」そう言った記憶があります。

「自分が本当に行きたいなら自分のお金で行きなさい。」と言われました。うん・・・。世の中そんなに甘くない。

とりあえず学費を調べてみようと思って調べたところ大学生の私の貯金では賄えるわけがなく断念。その代替えとしてミュージックスクール(習い事)を週1で通うようになったのがこの頃です。

そうなると果たして本当に何をするのか。大学院に6割は進学する学科でしたが、こんな状況では大学院進学なんて想定できませんでした。

大学で仲の良かった友人は大学から足が遠のくにつれて希薄になりがちでした。
その中で今でも頭が上がらない友人が1人います。
大学入学時に学籍番号が近くて話すようになったキャラが全然私と違う友人。

彼女がいなかったら大学を卒業できていないと思っています。そんな彼女とこんな会話をしたことがありました。

ちあき:「教職課程辞めようかな・・・」

友人:「え!!もったいないよだってもう教職の単位は半分以上取っているんだよ!!あとちょっとだよ!!一緒に頑張ろうよ~!!」

ちあき:「いや、ほら私、○○先生に向かないって言われたしさ。」

友人:「え?なに言ってるの!私なんて最初から免許だけ取ろうと思ってたんだよそれでもいいじゃん。ここまで頑張ったんだよぉぉ?」

自分でも気がついていなかったんですが、教職課程は4年生は教育実習に行くのみ。そして「教員にはならないけど免許だけ取ろう」って発想が欠如していたので目から鱗でした。

そしてちょうど同じ頃。バンド仲間の先輩に相談したところ

バンド先輩:「教員免許取っておいたほうがいいでしょ。最悪食いつなげそうだぜ!」

ちあき:「たしかに~!!!」

とりあえず大学を卒業することと教員免許をとりあえず取得するというとりあえずだらけで大学生活をリスタートします。

しかし、そんな状況でしたので大学2年生以上に大学3年生の留年するか否か問題が深刻化。そんな中助けてくれたのが先に書いた友人でした。

必修の授業の時に大学に来ていなかったら電話で起こしてくれたり。テストの時には、私が留年しないために必修科目をどういう順番で勉強したらいいか、取りこぼした2年生の単位との勉強の比重を見てくれたりしました。

本試験の時は自分も受けるからと一緒に勉強をしてくれて、追試験の時は自分は追試じゃないのに私の追試の勉強に深夜まで付き合ってくれました。

この場を借りて本当にありがとう!!

とりあえずだらけだった私は学校からのこんな案内をきっかけに人生の転機が来ます。学部からの案内が届きます。

「『就活セミナー』大学院に進学する予定の無い学生は参加必須。出席が確認できない場合は(忘れたけどめちゃくちゃ困ること)」

必須だからと仕方なくのこのこ行きました。

学科毎に1期上の先輩の「就活成功談」を聞くという場でしたが、自分と同じ化学科の先輩の体験談が自分にピンときました。その先輩が話していた「自分の大学生活像」が私の3年生までの大学生活と酷似していました。酷似していると感じた詳細は忘れましたが。

その先輩が就職先として内定が出ていたのが製薬メーカーのMR職の仕事でした。そもそもMRという職種の存在を知りもしませんでしたこの時まで。

その就活成功談を聴講して、隣に座っていた先の友人が一言。

友人:「ほえ~、そんなこともあるんだねぇ。でもさ、ちあきちゃん意外と向いてそうじゃない?」

そんなこんなでしたがそれよりも何よりも私は「とりあえず」の人。とりあえず卒業することととりあえず教員免許を取ることだけを目標に・・・。しかし本当に卒業できるのか・・・。4年間の学費はありがたいことに親が出してくれていましたが余分にかかった場合は自分で出すように言われていました。

ここで計算高い大学生の時の私はこんなことを思いつきました。
こないだの就活セミナーで配られた自分の学科の「主な」就職先一覧のどっか。できればその上の方にメインで書いてある企業に内定出れば卒業させてもらえんじゃないか?いや。実際のところがどうだかはわかりませんよ。

そんなことをうっすらと考えた結果、髪の毛の色を戻して鬼就活を始めます。これには突然のイメチェンに友達も親も驚いていたのが記憶にあります。

しかし、更にここで当時ならではの問題が私を襲います。

就活前倒し問題

当時、大学3年生の1月頃から既に会社説明会の実施が開催されていました。この試験期間中もエントリーしたりしながら活動しなければならない状況。3年生には仮進級だったのでこの両立はきつすぎる。これが第二の誤算。

ここでもう本格的にスイッチが入ります。大学時代使用しておらず長らく錆び切っていたであろう私のスイッチが入ります。

「主な」就職先一覧できればその上の方にメインで書いてある企業に内定をもらうしかない。

またまたひねくれおかしなスイッチの発動です。そうと決まったら私が目指すのは大学3年生から4年生に超絶ギリギリ仮進級ができる単位の取得と上記に相当する内定。

そして本当に超絶ギリギリ仮進級で無事4年生になることが決まりました◎

1月に会社説明会を実施していた企業の選考が実際に始まったのが2月中だったと記憶しています。時代ですね。

理学部を含む理系で大卒となると就職先が限られます。音楽が好きだったので音楽業界やエンタメ業界も結構エントリーしましたが正社員の案件は全落ちし、契約社員案件が面接に残っていた程度でした。現行の新卒一括採用の制度ではリスクが高く、断念せざるを得ない状況でした。

必然的に自分の興味関心の範囲から製薬メーカーに絞られていきました。

4.大学4年生の時

大学4年生に進級してまもなく。ある会社から内定をいただきます。時代ですね。回答期限は1カ月程いただく中でスケジュール的に他に受けれる企業にも限りがありました。そんな中大学3年生の時の出来事を思い出します。

忘れていたんですが、大学3年生の時の就職ガイダンスで講演していた先輩とたまたま同じ企業から最初に内定が出ました。これも何かの縁かなという気持ちで受諾を決意しました。

後から気がついたのですが、教育実習は大学4年生の6月に行くのが通常でした。就活が押していたらここまで頑張ってきたのに就活を中断して教育実習に行くか、実習を諦めるかの選択を迫られることになってたんですね。。。

教育実習は自分の高校に行きました。しかも指導教官は自己紹介~10代の頃~で触れた物理の先生が指導教官でした。感慨深い。いざ教育実習に行って感じたこと。

「あぁ、私は教育実習に来ているけど教員にはならないんだな、就職決まってるし」

生徒から先生になっても頑張ってくださいとか色々励ましの言葉をもらう中でなんとなくもやっとした気持ちを残しながら、仮に就職が決まっていなかったら教育実習をしてやっぱり教員になりたいと思ったのだろうか。

そこからは秒速のように残りの大学生活は過ぎていきました。

10月には就職先の企業の内定式があり、3年生の取りこぼした単位や卒論を仕上げて計算高さのおかげなのか卒業・教員免許・就職を手に卒業することができました。

ちなみに卒業式の時に教授に言われた一言

「君を4年間で卒業させてあげられるとは思いませんでした。卒業おめでとう!」

4.まとめ

思い出話を記載させていただきましたが、ここには今も変わらない問題点が散りばめられています。

①教育学部ではない学部で教員免許を取得する難しさ

②就活の時期と教員採用試験の時期のずれ(並行できないまたはし難い)そもそも免許だけを取得しようとする人には冷たい風潮が残る

③大学の選考で少なからず就活先が絞られるがそこまで考えて進学していない

④偏差値が少しでも高い大学に入ることが望ましいと目指した結果しんどい思いをしてしまう

このような問題点は現代にも通じる問題点ではないだろうか。ここまでお付き合いをいただきましてありがとうございました。






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