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自分にピッタリくる場所を探して~違和感から生まれる無限の可能性~ジョン・タニムラの場合

ケニアで友達になったジョン・タニムラと私の共通項は、2人とも米国からの帰国子女だったことだ。
もちろん時代が20年くらい違うし(ジョンさんは30歳、私は53歳)、ジョンさんは中学から高校卒業まで、私は小学生から中学生までと、年代も違う。
でも、話していると共通体験や共通感覚がたくさんあり、それによって、なるほど、どうしてこのような生き方をすることになったのか(もしくは、それがなぜ可能だったのか)(それはジョンさんも、私自身も)と、納得して膝を打つような気持ちになった。
ジョンさんの独創的な生き方や旅のしかた、仕事の作りだし方は、彼のオリジナルで、とてもダイナミックで爽快だ。

面白いから、もっと話が聞いてみたいなと思ったし、皆さんとも共有したいと思ったのでトークショーを企画した。興味ある方ぜひご参加を。6/14(日) 日本時間の19:00~21:00(スライドショーは18:30から。)
ぜひみんなで一緒に突っ込んで、興味シンシン根掘り葉掘り聞いていこう。

いま、自分以外は誰もやっていないようなやり方で、旅をしながらもお金を作りだし、循環型世界一周旅をイキイキとしているジョンさんだが、そこに至るまでの彼の経験、日本での生活や仕事から生まれた葛藤や苦悩、努力を聞いてみると、日本人ってなんだろう、日本ってどんな国なんだろう、日本人として生きるってなんだ?そして世界は一体どんなところなのだろうと、深遠なる人生の旅と、アイデンティティの旅をみんなで一緒に体験していけるのではないかと、トークショーを楽しみにしている。

子ども時代のある一時期を、ポッカリと、母国から離れた環境で暮らすということが人間形成にどのくらい大きな影響を及ぼすか、想像したことはあるだろうか。特にそれが日本なら、なおさらなのかもしれない。
アイデンティティ・クライシスというものは多かれ少なかれ、思春期には誰もが持つものだろうけど、そこに、複数の国や文化、社会の常識が混ざりあっていくと、なかなか複雑なものになる。

私もジョンさんも状況は同じで、子どもの頃、生まれ育った日本からある日突然、言葉の通じない環境にポンと身を置き、現地校に通った。
まったく違う社会に慣れたり融合したりするのは、子どもであってもそんなに簡単なことではなく、それなりの苦労や葛藤がある。
それでも何とか適応していくもので、それなりの楽しみも見つけ、友達もでき、人生はそうやって進んでいくもんだ。
だけど子どもの場合だと、外国に住んでいたってもしも通っている学校が日本人学校であれば、ある程度は日本の社会に慣れ親しんで自然と身に着ける日本的感覚があるだろう。だけど、日本人学校ではなく現地の学校にポンと入ると、そこは当然、日本ではない。私たちの場合は住んでいたのはアメリカだったが、アメリカの常識、アメリカの感覚、アメリカ的人づきあいのルール、アメリカ的行動パターンなどに知らず知らずのうちに慣らされていく。(それが生きていくということだ。)
でももしそれが子どもの頃の、人格形成において重要な時期だと、どうなるか。
自分では自覚がないのだが、日本の普通の日常に帰ったときに、「ヘンな人」になってしまう危険があるのだった(笑)。

自覚がないということは、とても不自由だ。
例えば私の場合、中学2年の3学期に田舎の中学校に編入し、新生活にそれなりにワクワクして張り切っていたのだが、まずは同級生に「あなたは声が大きすぎるから、一緒にいると恥ずかしい」と言われた(笑)。
私は声が大きいという自覚はなかった(=アメリカ人は一般的に声がデカい。)
しかし、では仮に私が声がデカいとしよう。でも、それが何故、「恥ずかしい」という感覚になるのか、指摘されてもどうしても理解できなかった。(=アメリカ人は恥ずかしがらないことが多い。みんなそれぞれで良いという感覚。)
制服がなかったので初日は私服で行った。そしたら廊下まで見物人がいっぱい来た。(=田舎だし昔だからしょうがないだろう。)
これについては実はのちのちまで、親を恨んだもんだ。(ちなみに両親はまだアメリカにいた。私は高校受験のため、一人で祖父母の家に帰ってきた。)日本では、こんなことしたらこうなるのだと、教えてくれなきゃわからないんだから、どうして教えてくれなかったの!と思ったわけだ。(でも考えてみたらきっと親も経験がなく、想像もつかなかったのだろう。)

しかしこれに関しては、以前、沖縄北部で友達のお宅に泊まった時、そのご両親が話してくれた話でものすごく納得したことがある。その話はこうだ。
『私たちは日本人を初めて見たのは小学5年生のときのことで、その日のことを今でもよく覚えている。当時沖縄はまだアメリカの占領下にあり、子どもたちは「日本人」を見たことが無かった。あるとき日本から役人が学校視察に来たので、子どもたちは大騒ぎで、「日本人が来たぞー!!」とみんなで職員室の廊下に群がって見物したのだ。』と話してくれた。(その様子が目に浮かぶ。。。)

さて、「声がデカいから恥ずかしい(だから一緒にいたくない)」と言われ、さらに、授業中に何かの議題が出た時に早速意見を言ったら、なんだか空気がおかしくなり、あとでコッソリ、「普通は意見を言わないものよ」と忠告された。
この「普通は」というのが厄介だった。「普通はこうしない」「普通はこう言わない」「普通はこう行動する」と言われても、経験がないので何が普通なのかわからないのだった。
そのうち、日本で平穏無事に生きていくには、意見を言わず、出来るだけ目立たなくして、周りを見て「普通に」しなければいけないんだということを学んだ。これにはかなり息苦しくて絶望した。自然に普通に出来る人間だったらよかったのにな~、普通の日本人になりたいなぁ~、と何度も思った。日本人になるのは簡単なことではないんだな、ハードルが高すぎる!と暗澹たる思いになった。(私は日本人なのに!?)
でもヘンだと思いながらもあきれ果てながらも、仲良くしてくれる友達がいてくれたことに感謝だ。

私の場合は、違和感ありつつも、まだ子どもだったのでマシだろう。
ところがジョンさんの場合は、アメリカで高校を卒業してから大学進学のために日本に帰国した。
長年離れた日本については、青春テレビドラマや、漫画などからしか情報がない。
憧れの青春ドラマ(アメリカでは絶対ありえないかんじの)そのままを想像して(妄想を膨らませて)ワクワクしながら日本に到着。ところがそこで直面した現実は・・・・・!
皆さんもきっと想像できることでしょう。日本の現実は、決して青春ドラマではないのだから!(厳しいっ)

いわゆる一流と言われる名門大学に入学。ところが苦労は尽きなかった。何しろ、日本の常識がわからないヘンな人なのだから。(このへんのエピソードはトークショーで詳しく聞きましょう。)
それでも大学生やバイトなら気楽な立場なのでまだいいだろう。卒業後、広告代理店に就職。
日本の現実は厳しい。上下関係や、働きかた、言動の一つ一つをとってみても、こちらは何気ない自然のふるまいをしていても誤解され、摩擦が生まれる。(このへんも当日くわしく!)

過労で倒れ、退職。25歳。

さて、ここからですよ。いったい彼はどのように、現在のイキイキとした、独創的な生き方を構築していったのか。
自分にピッタリくる場所を見つけたい。自分が心地よくやりがい持って出来る仕事を身に着けたい。
まったくやったことのない分野に挑戦したい。

正直いって、簡単に現在の「世界を旅するうどん屋」というポジションにたどり着いたわけではない。
まさに、七転八倒、焦ったり悩んだりしながら、苦労しながら一歩一歩進んできた。
でも、いつも中心にあったのは、「自分にピッタリくる場所を見つけたい」という想いだったんだと思う。
そのために学び、挑戦しつづけ、思いつく限り動き続けた彼のパワーは本当に素晴らしいと思う。

社会の枠組みや常識を超えて、自分自身の生き方や、自分に一番あった仕事のしかたを作り出すこと。
これにはもしかしたら、何か思考のリセットみたいなものを意識してやってみる必要があるのかもしれない。
ジョンさんの話は、帰国子女や複雑なルーツを持つ人だけではなく、誰にでも共感したり参考にしたりできる話しではないかと思う。そして、今いる場所が何だか納得できない、満足していない、モヤモヤムズムズする、何かを変えたい!という人には特に、ヒントになることも多いのではと思う。
もっと自由に生きていいんだ、そしたらもっともっと可能性が生まれてくるし、世界が広がる。
そんなことを、ジョンさんの話から感じた。

私自身も、若いジョンさんから刺激をもらいたいと思う。
皆さんぜひ、一緒に根掘り葉掘り、聞いていきませんか!!楽しみにお待ちしています!

★6/14(日) 19:00~ ZoomLive !
「早川千晶のこの人に聞きたい!」Vol.17
ゲスト:ジョン・タニムラ(世界を旅するうどん屋「谷村うどん」)

~うどんを打ちながら世界旅~
美味しい国際交流と、斬新な仕事の作り方

★ご参加申し込みはこちらから!
https://haronoya.com/shop/12436

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★プロフィール★

【 ジョン・タニムラ JON TANIMURA 】
世界を旅するうどん屋「谷村うどん」

1989年埼玉県生まれ。30歳。
中学2年から高校卒業までの5年間、米国のカリフォルニア州とニュージャージー州で育つ。
慶應大学卒業後、広告代理店に勤務。その後退職し、本場香川県で讃岐うどん修行。
世界うどん旅に出発、世界20カ国(アジア、アフリカ、ヨーロッパ、中東、中米)のキッチンで本格手打ち讃岐うどんを作る。3年間で5000人以上にうどんを提供。
南米にて50日間のロックダウンに合い、現在日本に一時帰国中。
これまで世界約70カ国を訪問。
https://note.com/tanimuraudon

★これまでうどんを提供した国:
日本、オーストラリア、マレーシア、ベトナム、フィリピン、中国、スペイン、フランス、イギリス、ドイツ、オーストリア、イスラエル、タイ、ネパール、インド、アゼルバイジャン、ジョージア、タンザニア、ケニア、ウガンダ、ルワンダ、エチオピア、エジプト、メキシコ

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