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【東京の茂み100選】3:駅前有閑の正体/飯田橋RAMLA外構(新宿区)

【シリーズ 東京の茂み100選】
都会の片隅に、人目を避けて密やかに存在する空間=“茂み”。
気心知れた仲間と語らう"茂み"、人目を忍ぶエロスの"茂み"、自分に向き合う"茂み"、身内の耳を避けるための"茂み"…。
今日もまた “茂み” を求めて、喧騒のキワを彷徨する ── 。

「飯田橋RAMLA」とは

外堀通り・大久保通り・目白通り。3本の主要幹線が交わる飯田橋交差点。「東京通り名マップ」を見ているが、この規模の通りが交わる場所は他にない。首都高5号線が脇を掠め、神田川と皇居外堀が合流するダイナミックなインフラ空間だ。

五叉路(!)飯田橋交差点。正面は五洋建設本社。
他にも大和ハウス工業、日建設計など大手建築系企業が近隣に本社を構える。

この交差点で外堀通りに面して建つのが1984年開業の駅直結CS「RAMLA(ラムラ)」。複合施設「飯田橋セントラルプラザ」(店舗+オフィス+住宅)の一部だ。

「セントラルプラザ」全景。設計は佐藤武夫設計(現:佐藤総合計画)、発注者は東京都財務局。
ゆえに施設運営者である(株)セントラルプラザは東京都の報告団体となっている。
上層はマンション。賃料23万円±程度らしい。

私は川になりたかった

今回 ”茂み” として取り上げるのは、この「セントラルプラザ」の麓に広がる「なんかめっちゃユルいが、妙にしっかりした緑地」である。

道と建築の境界に設けられた「川」。
柵でで区画されず、よくこの親水空間が実現したものだ。
正面の岩のあたりで缶コーヒーを飲む2人組がいた。

私は川になりたかった。
深さは大人のクルブシ、あるいはそれ以下。河床は冷たく暗いスレート(板状の平滑な岩)。足指に当たる波で、流れがあることが初めて分かる程度の微流速・微流量。幅こそ広いが徒歩で渡河できる。
そんな川になりたかった。

もっと平らで幅広の川が私の理想の姿である。
(出典:Waterfalls of the Keweenaw Area

…つまり、私が私(という川)に求めるのは、信仰対象になる系の「人を寄せ付けぬ強大な自然」ではなく、さまざまな人が私の上を裸足でヒタヒタ通り過ぎゆくことであり、『私を通り過ぎて行ったオトコたち』と言うとアレだが、もう概念的にはそういうことなんじゃないかと思うのである。

この ”茂み” の中心を貫く「川」の如き空間は条件的には大方当てはまるが、言うまでもなく私の理想の姿ではない。ただし訪れる価値はある。

河床ガン見えの「川」。複数の「橋」がかかる。
水もないので「川」から「橋」へのアプローチも可。
都市の理屈から解放された浮遊空間としての ”茂み”。

2枚の写真は、この「川」にかかる最大の「橋」だ。適度な高さの欄干に腰掛け、ビールを飲んだりしたら最高だ。公衆の面前だが、都市の速度で歩く人びとにはこちらの姿は映らないだろう。

男が「川」に立ち、女が「橋」の上で欄干に肘をついて話す、的なシーンもつくれる。あるいは欄干に寄りかかる女の背中を、「川」から男が叩き、「よっ」「やだ、どっから登場してんのよ」とか、トレンディドラマでもやらないマジでしょうもないシチュエーションも可能である。

ルールル♪ 系の ”茂み”

橋の建物側には、奇麗に剪枝された花壇があり、各区画に赤御影石のベンチが取り付いている。

「RAMLA」2階テラスより撮影。例の「橋」とベンチ。
完全なオープン席だ。なお、そこそこ人は通る。

何を見ているでもない(=壁を見ている)オープン席の他にも、植栽でプライバシーが守られたブース席が複数設けられている。

座面が低いので、ベンチに腰掛けるともう視界はすっぽりと植栽に包み込まれる。

このブース席、実際に座ると「囲まれ感」もとい「包囲味」がすごい。おまけに植栽が吸音しているのか都市の音は上から垂直落下してくる。
2人で利用する場合、対面するには遠いのでコーナーに座って90度で向き合うことになるが、この空間、まさに「徹子の部屋」そのものである。

「禁煙ブース」というステンレスプレートが立つ。
喫煙者が隔離される昨今との時代の隔絶を感じる。

植栽で囲まれた、ふたりの空間・時間・建築。コンテンツは皆無なので、愛の空間となるか、純粋にトーク力が試されるか…。居酒屋半個室レベルの空間が露天(?)で無料提供されるこの ”茂み” は、夜にぜひ再訪したい。
「セントラルプラザ」にはメガ居酒屋「北海道」も入っている。暖かくなれば「ちょっと抜け出してここに…」みたいなこともできよう。

「水の無い川」悲哀こもごも

さて、この場所の住所は「神楽河岸(かぐらかし)」という。その名の通り、かつてここには河、つまり濠(飯田濠)が存在していた。
実は「セントラルプラザ」は埋め立てた(暗渠化した)江戸城濠の上に建つ。「水都・江戸・東京」的な話の上では避けて通れない場所だ。

埋立前の飯田濠(左)牛込濠(右奥/現存)。
冒頭の「現在の全景写真」と同方向を見る。飯田濠=現「セントラルプラザ」。
右奥、車が密集する交差点は神楽坂下。写真中央に並ぶ店舗・民家が現在の緑地である。
(出典:大江戸歴史散歩を楽しむ会

1970年代、都市公害問題の例に漏れず、生活汚水が流れ込んでいた飯田濠も「ゴミ捨場兼汚水だめ」などと揶揄された。外堀通り(環状二号線)拡張というインフラ再編を契機に「飯田橋第一種市街地再開発事業」=飯田濠の埋め立てが都市計画決定され(1972年)、翌年完了した。

開発の計画が進む中、この計画に反対の立場を表明したのが飯田橋南の商店街で生業を営む若手経営者トリオが中心となって結成された「飯田濠を守る会」です。「守る会」では住民大会開催やパンフレットを製作、加えて、飯田橋町会と協力して4500人の署名を集めて都議会に請願書を提出(昭和53年 夏)するなど飯田濠を守るためな精力的な活動が進められてきました。

(出典:外濠市民塾

…そうこうあったが開発は止まらず(上記の陳情がなされた段階で、既に濠は埋められていた訳だが)1979~84年にかけて建設されたのが「セントラルプラザ」なのである。

歴史としての ”茂み”

この「川」は、市街地再開発事業の際「地元住民らを慰撫する目的も兼ね」(Wikipedia)暗渠化された濠の上に設けられたもの、とのことだ。
冒頭「めっちゃユルいが、妙にしっかりした緑地」と紹介したが、この「妙にしっかりした」とは、この歴史的文脈と住民運動の結果ゆえのものか。なら猶更、こんな扱いでいいのか? という疑問は湧く。

”茂み” 的には実によいが、同時になんとも「勿体ない」。

だが、この「川」は竣工当時、住民を本質的に慰撫し、濠の存在を意識させるものとして機能していたのだろうか? 実はそうでもなかった(=飯田濠の保存は真に求められていなかったか…あるいはこの「川」が飯田濠の形象としては脆弱すぎたか…)故に、今日の閑却な姿があるのでは、という考え方もできそうである。今となっては何も分からないが。

この時期の建築や外構は総じて品質が高い。そういう意味では「物質的な強度」は十分にあるはずだ。だからこそ、今日 ”茂み” としての佇まいを都市の中に示してくれているとも言える。

姿を都市成長のために暗渠と化した飯田濠、その上に、歴史を引き合いにして設けられた「象徴としての飯田濠」は、いま再び歴史の堆積の中で暗渠と化そうとしている。

【東京の茂み100選】-4- に続く(超不定期連載)


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