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【東京の茂み100選】1:もう別れるしかない二人/初音森児童遊園(中央区)

【シリーズ 東京の茂み100選】
都会の片隅に、人目を避けて密やかに存在する空間=“茂み”。
気心知れた仲間と語らう"茂み"、人目を忍ぶエロスの"茂み"、自分に向き合う"茂み"、身内の耳を避けるための"茂み"…。
今日もまた “茂み” を求めて、喧騒のキワを彷徨する ── 。

インフラ結節点の傍ら、静謐な"茂み"


東日本橋と両国をつなぐ「両国橋」。
神田川と墨田川の合流点であるとともに、靖国通り・江戸通り・旧日光街道の3つの通りがすれ違う「水陸交通の要所」の様相を呈する。
浅草橋や人形町など、夜遅くまで営業されている居酒屋街にも近い。

このリバー・サイドにあるマッシブなふたつの雑居ビル。その谷間にたたずむ『初音森児童遊園』が今回の "茂み" である。

絶壁の如きビルの間に爽やかな寒空が突き抜ける。
「初音森公園」は冬の季語か。


向こうを流れる神田川は、ほぼ西から東に流れている。
冬の午後、日が傾きかけると、川に面して一列に顔を揃える対岸のビルが一斉に輝きを見せる。直日があたらない公園内との対比が美しい。

対岸の輝くビルを背景に浮かび上がる男女の姿。
もう、ここには悲劇しか見えない。愛の終りである。

(実は)由緒正しき「初音森」


高さ約30センチ。和菓子のような「うさぎ」と「すずめ」。
公園のアプローチに向けて鎮座する姿は、狛犬の如し。公園の正面性を担保するこの2羽は、まさに配置計画の妙と言える。

どこを見るでもなく、ただ「すずめ」に腰掛ける女。
男は「うさぎ」の耳に足をかけ、よっ、と立ち上がる。
男が着地する、スニーカーと砂利の擦れる音も、重苦しい静寂を胡麻化せない。


この公園は、2021年のリニューアルで現在の姿となったそうだ。

初音森児童遊園がリニューアルオープンしました。かつてこの場所には森があり、ウグイスやうさぎなどの生き物が生息していました。地元の情報を元に遊具選びや配置の工夫をしました。小さい公園ではありますが現在は明るい公園となり、身近な子供の遊び場となっています。

出典:中央区ホームページ「初音森児童遊園リニューアル」(2021.9)


今や周囲は隙間なくビルだらけだが、一体いつの話をしているのだろうか?

その答えは、隣接する「初音森ビル」2階の、「初音森公園」という名の由来となった初音森神社にある。

「初音森ビル」(左)。
要素を詰め込んだドラマのセット。
2階の天井、棕櫚の木、柱の石張り…。完璧な舞台装置。


初音森神社の案内板には下記の説明がある。

当神社は元弘年間(一三三〇年頃)に創祠され、豊受比売命(宇迦之魂神)を祀る。文明年中太田道灌公により大社殿が建てられた。当時初音之里と呼ばれ奥州街道添い樟木等の生い茂った森、すなわち後の初音の森が現在の馬喰町靖国通り交差点の辺りであった。

出典:初音森神社由緒(現地設置看板)


そんなわけで、ざっと700年近く昔の話を引き合いに出しているようだ。

なお、この付近=日本橋馬喰町・馬喰横山の「馬喰」(ばくろ)とは「博労」(ばくろう/牛馬の売買人)転じての語ではないかとの説がある。当地はかつて「初音の馬場」という馬場が設けられた(1551年)場所であった。

「鎮守の森」を森なしで蘇らせる


…であれば、馬場を公園のデザインモチーフとしても良かったのでは? と思ったりするが、(残念ながら)「初音の馬場」はかなり所在がはっきりしており、JR馬喰町駅から地上に上がるとまず目に飛び込んでくる超デカい卸問屋「エトワール海渡」のビルがあるあたりらしい。

…そんなわけで「初音の森」という、もはや概念と化した「場所性」をモチーフにした点は奥ゆかしさすらあるが、奇麗に喪われた初音森神社の鎮守の森を、樹木を用いずに現代的なビルの間の空隙が持つ静閑・静謐として復活させんとする意図は実に記号的で、ミニマルな「うさぎ」「すずめ」、その存在が意図するところは堪らないほどにコンセプチュアルであると気づく。

地面の素材変化(レンガ・砂利・ゴムチップ)は、
永遠とも思える電話の間も足裏に飽きを与えない。
漫ろに歩きつつ、相槌を打ったり、静けさを楽しみたい。
ベンチ。衣服越しにじわりと伝わる冷たさが、
肉体のリアリティを教えてくれるだろう。
夜間には、街灯にぼんやり浮かび上がる滑り台。
欠かせない要素のひとつだ。


川辺の風景

屋形船の停泊場(船宿)となっている神田川下流。
夕方、明かりを灯して漕ぎ出でる姿も、
昼間の閑とした姿も、どのみち別れ話に向く。


この "茂み" の圧倒的優位は、言うまでもなく「裏手に川があること」だ。
季節や時間に応じて、かくもさまざまな表情を見せるとは…。
都会人としては驚きですらある。

西側(秋葉原方面、上流)。正面は堤防を跨ぐ船宿。
右手に浅草橋、左手に人形町。
気まずい散歩の終着地として訪れたい。
対する東側(両国側、下流)。
奥に、関東大震災の復興橋(1929年架橋)「柳橋」。
神田川と墨田川の合流点だ。


現在ではその多くが暗渠(あんきょ/地下に埋設した水路)となっているが、高度経済成長期までは、特に城東地域のそこかしこに川があったようだ。さすがに神田川規模のものが暗渠化した事例は奇特と思うが、こうした環境がたくさん残っていたら、この場所のように、急に空や視界がスパッと開けて楽しかろうとは思う。

また、堤防やその歩路、水害対策(?)の階段など、水が流れる都市には、かくも高さ方向のレベル差があるのか、という新たな発見もある。

堤防上の歩道から見る。哀愁。
ここから愛が生まれることは(良い意味で)まず、ない。
なお、あくまで児童遊園なので、
物騒な別れ話は、風紀に気を付けて行われたい。

【東京の茂み100選】-2- に続く(超不定期連載)


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