あの頃。二十歳、ひとりパリ旅行記
コロナ終息に向けてできることと言えば、ただ耐えながらもフレキシブルに生きることでしょうか…。何かできるほど自分は天才ではないし。
母に電話したら思いのほか楽しそうで、父が仕事休んでくれたかららしい。一緒にgoogle earthで世界旅行して遊んでいるようでした。
それならわたしも、と負けず嫌い精神をいざ、ここで発揮してみたいと思います!笑 お付き合いください。
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今回は20歳でひとり旅をしたパリについての回顧録。
今思えばスーツケース持って、完全にお上りさん状態に見えただろうな。恥ずかしい。それでも強行突破しちゃうのが大学生。学生は本当にいろんな意味で自由ですね。
パリは以前も行ったことがあるから(今回も!)と、完璧に自己陶酔だったわたし。それが悲劇の始まりとは知らず。
RERのB線に乗ったことがそもそもの間違いでした。(空港線は犯罪多発で有名)
プラットフォームの空気感は異様だったと断言できます。なんというか、気圧がおかしくて、鉛が宙に漂っているのでは、という感じ。
書いたメモと電車メトロの地図をあてに、とスマホを肩掛けポシェットにしまいました。(←実はこれも間違いアクションの一つ。)
Dernfert Rochereau駅で降りてVaugirard駅へ向かう間、ポシェットを見ると、なんとファスナーがガッツリ開いている!中に入っていたものは一つ残らずなくなっており、財布、パスポートを一緒にした自分を責めました。自分側にファスナーを向けて手で持っていたはずだったのに。。。
近くのカフェに入り警察はどっち?と血眼で訴えました。降ってきた雨でスーツケースごとビショビショ。
やっとのことで警察についてびっくり。なんと…開いていない(o_o)警察って24時間じゃないの?
列をなしている一人に聞いてみると警官が戻ってくるのに時間がかかっている?らしい。
ジャパニーズ精神、さようなら。列をガン無視して裏口から勝手に侵入し、あたかも一番で待っていたかのように中に入りました。警察、いるじゃん!!
とにかく「パスポートと財布盗まれた」と手続きをしてもらいました。そして新たなミッションは7キロ先の日本大使館で仮パスポートを発行してもらうこと。重い。。。。
嫌なこと先に終わらせよう、とその勢いで大使館まで向かったのでした。
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午後3時、ようやく宿泊先に到着。オーナーさんに事前に経緯を説明しており、優しく迎えてくださいました。やっちゃったね〜。もうしょうがないし、初日でよかったよ、と励まされた。本当にそう。最終日とかだったら帰国できないもんね。
考えてみれば、力づくで物をとられたり、襲われたり強姦、殺人まで発生するような治安。自分はゆるゆるすぎた、と深く反省しました。現金はくれてやる。ケガもなく、命とられなくて、不幸中の幸いでした。大袈裟だけど、安心の涙と共に、しばらくベットで眠ったのでした。
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最初ばかりは日本人宿で行くか〜、という判断が功を奏しました。事情を知った周りの人がなんと優しかったことか。
嫌なこと、忘れようよ。そう言って周りのお姉さんたちが、慰めのwelcomeパーティーを開いてくれたのです。スーパーに連れ出してくれて、鳥の丸焼きまで買ってくれた。(ついさっき、お会いした方ばかりなのに!)
天地を見たような、長い一日が終わる頃には不思議と前向きになっていました。運がいいって人生で大事な要素。これも学んだことの一つです。
いま思うと、自分にやれやれ、という気持ちですが、写真を見返していると、とても不思議な愛おしい時間でした。パリ、好きです。
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