楽しく働きたいと思うのは愚かなのか?
「仕事を楽しいと思って働きたいんだよね」
と、いう話をすると大体の人には
「うわあ…すごいね…」「向上心があるね~」
(貪欲にキャリアを積んでいきたいバリバリ仕事人間か…向上心高そ~)
みたいな顔とリアクションをされる。
残念ながら私はバリキャリではなくのろズボ(のろまでズボラ)だし、仕事が楽しくてしょうがない!!寝ても覚めても仕事!!みたいな人間でもない。
よく食べ、よく怠け、よく寝て、仕事はそこそこでたくさん遊びたいな…というごく平凡で呑気なアラサーだ。
でも、やる気はあまりないが「仕事なんて生活していくためのお金を稼ぐ手段でしょ」と言われたら、それはなんか悔しい。
確かにそうだし何も間違ってないけど。
「違う!!」と大事な場面で声を張り上げるジャンプの主人公のように、何故か仕事を庇いたくなる。
「何故庇う!!お前もよく知ってるだろ、俺たちの仲間はみんなそいつに」
「分かってる」
「な…じゃあどうして…」
「思ったんだ。悪いのはこいつじゃなく、そうさせてしまった社会だって」
「お前…」
「やり直そう、みんなで」
…と、名も知らない主人公が手を差し伸べるところまで思考が脱線してしまった。危ない、うっかりジャンプ脳が顔を出して…
つまりだ。私の大切な一回きりの人生の半分以上を〝割とツラくて大変なお金を稼ぐ手段〟で終わらせてたまるかってことだ。
死ぬ間際に仕事大変だったなぁ…なんて思いたくないし、最期はあー楽しかった!!で終わりたい。真っ黒な社畜の走馬灯はごめんだし。
だからこそ、どうせ大変ならせめて楽しく働きたいと思う。
ラクに、ではなく楽しくというのがミソ。
ここまで(そんないい話が…?!)と思って読んでくれた方がもしいたら、大変残念かもしれないがラクな仕事は恐らく存在しない。これはお金をもらう以上仕方がないことだと思っている。
環境が極悪だとか、黒光りするほどブラック企業だとかで出勤すること自体がどうしようもなくツラい方は、ほんと今すぐ逃げ出して!!だけれども(この話はまた別記事で…)
私が言いたいのは、明日の焼肉を楽しむために今日は断食する!という意見も分かる~と思いつつ大袋ポテチを食べた後だって生クリームたっぷりケーキを食べたい、ということ。
例えがちょっとおかしかったかもしれないが。
楽しみがあるからツラいことも頑張れる!という時間、わざわざ増やさなくてもいいんじゃない?楽しく出来ることは、可能な限り楽しくしていった方がいいんじゃない??
ということである。
楽しく働こうとするのは、愚かなのか?
分からぬ、俺には起床一番で開けるポテチの素晴らしさしか分からぬ…
分からぬが、時々思い出す言葉がある。
私は洋服が好きで長年アパレルに勤務していた。
「あの憧れのスタッフさんみたいになりたい!」そんな気持ちで大好きなブランドの会社に入社したのを覚えている。
よく聞く話かもしれないが、アパレルの世界はギャップが激しい。
例えば入社3日で出社してこなくなる、なんて割とよくある話で、半年もしたらスタートから半分以下にスタッフが減っていることはザラだ。
見た目よりずっとハードな仕事で、実際、私も管理職時代は特にひどく疲弊していた。
そんなある時、憧れの先輩から「感動して思わず涙が出てしまうくらいの気持ちで、毎日お店に立ってるかい?」と言われたことがあった。
人によっては、暑苦しいと思われるだろうか。
けど私にとっては、殴られたくらいの衝撃だった。
私はここ最近お店で、一体何を見ていた?
私は何のために、ここに立ってる?
私はどんな思いで、ここに入社したんだっけ?
ツラい、辞めたい、何で私ばかり。
毎日そんなどんよりとした気持ちに蝕まれていたその頃の自分にとって、目が覚めるような言葉だった。
私が楽しんで、誰かの感動に繋がるのなら。
それはきっとすごく素敵なことだろうなと思った。
ここまで〝楽しく働く〟ということを色々つらつらと綴ってきたが、結果として私は〝仕事をゲームだと思ってみる〟という考え方に辿り着いた。
遊ぶように働く、だ。
例えば、バーゲンセールで荒れ果てた平台を見て(ここを今から30分以内にキレイにしてみせる!)とタイムアタックしてみたり、ディスプレイする時は(某雑誌の表紙に載れるくらいに仕上げてみよう)とか考えていた。
他にも、
役者のように、今日の現場での私の役は?となりきってみるでもいいし、
それ?!と言われるような超当たり前になっていることにフォーカスして、ほんとにこれが最高?ほんとに?と超真剣に考えてみたり。
ある先輩はシフト表作りをテトリスだと思ってやっていた。
始めはたった1個でいい。どんな些細なことでもその1個にちゃんと向き合えたら、不思議と他のことも上手くいく。
きっと人によってやり方も色々。
一貫しているのは、仕事はただただ面倒くさい!!大変!!嫌だーっ!!ってイメージにちょっとでも面白いが加われば、取り組むスタンスも変化してくること。
既存つまんね、こっちのがよくない?
↓
より最高になるには?を自然と考え始める
↓
いつの間にか真剣になっちゃってる!
↓
楽しいかも…?!
言ってしまえば、ゲームという考え方は楽しむ手段でしかない。あくまで仕事のやりがいとか役割に気付くキッカケだ。
けどそのキッカケは、必ず誰かの感動になる。
思いがけず誰かを助けていたり、喜んでもらえていたり、いつのまにか心の支えになっていたりして。
私は、そんな体験の積み重ねが仕事を楽しくさせると信じている。
結局、仕事って自分次第で案外楽しくなるものなのだ。私たちはみんな思っている以上に自分で自分を追い詰めていることが多い。
その界隈の常識的な範囲のことでしか意見を言っちゃいけない・考えてはいけない空気とか、社会人なら面白さは求めず真面目に!というガチガチの雰囲気の中だと、無意識に思考にフタをしてしまいがち。
本当はその〝常識的な範囲〟も存在しなくて、あるのは昔から積み重ねられてしまった〝謎すぎる暗黙のルール〟だけだったりする。
これからはもっと柔軟に、変わっちゃいけないものと変えちゃった方がいいものを見極めていく必要がある。
そして、いつもの仕事から自分なりのゲームを是非考えてみてほしい。必ず楽しい発見と、素敵な感動があるから。
きっと、お金を稼ぐ意外の〝働く意味〟を見つけられるはずだ。
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