知らない方がしあわせなのか

この一週間Amazon prime videoのコールドケースにハマっている。空き時間と睡眠時間を削って、シーズン2まで一気に観た。


まず笑わない吉田羊のキレが気持ちいい。その周りを固めるおじさま方(滝藤賢一、三石研、三浦友和)が流石いい味出してる。若手の永山絢斗も加わって全体のバランスが秀逸。軽快な会話があるかと思えば、一気にシリアスな展開へもすんなり持っていってくれる。そして毎回のゲストのキャスティングも豪華で、テレビドラマというより毎回映画を一本観ているような気分になる。

コールドケースというのは、いわゆる未解決事件のことで、毎回地下に眠っている未解決案件を再捜査してゆくというストーリーだ。
観ていて考えさせられるのは、昔の事件を掘り起こすことによって、新たな真実が見えてくるのだけれども、それが一概に幸せとも限らない、というところだ。

知らない方がしあわせということは生きていく中で確かにあるだろう。それでも、私はそれ以上に真実を知りたいという気持ちが強い。例えば愛する人の裏切りを知らずに生きてゆくより、それで自分自身が傷つくとしても、その痛みを知ってでもこれからのことは自分でそれを踏まえて選択したい。知ることは怖い。それはよほどのことがない限り知らない状態に戻ることができないからだ。

このドラマの中でも、過去の真実を知ることで身近な人が犯人だったり、悲惨な最後を知ってしまったり、知らない方がしあわせだったのかもしれない事件もあった。でも、やはり真実を受け止めて今を生きてゆく人々は強く美しい光を放っているように見えた。

ラストの音楽のみで過去の姿と今の姿がリンクされて映し出されるシーンがそのストーリーを振り返らせる。今生きているこの人にはそれまで生きてきた時間があり、それを経てこそ今があるのだということを改めて感じさせられるのだ。

私にも過去があり、楽しい時間も辛い時間もあった。でも、いまここに私はこうして生きている。そのための時間だったとするならば、もう全てを抱えて歩いていこう。未来は私が踏み出した一歩からできるのだから。

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