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ある街での出来事①【小説】

短大生になった私はアルバイトを探していた。
高校は私立の女子高で、けっこう校則が厳しかったので、アルバイトをすることは禁じられていた。

髪型も一定の規則があって、高校1年まではふたつ結びをして通学していた私は、ある時煩わしく思って肩の長さで切った。

けれど、それ以来なかなか長髪の許可をもらえず、とうとう残りの二年間は卒業するまで、絵に描いたようなおかっぱ頭で過ごすはめになってしまった。
卒業して三カ月が過ぎ、髪の長さは少しだけ肩のラインを越えていた。

補習が多く学校にいる時間がかなり長かったので、私服をあまり必要としなかった。
卒業してから外出に着て行く服が圧倒的に少なかったことに気づいた。
化粧品もほとんど持っていなかったので、やり方を勉強していろいろ揃えないといけない状況だった。


雨が毎日のように降る季節になった6月、私は本当に早くアルバイトを決めねばと思い、学校の友人を誘って実行することにした。

なにしろ、初めてのアルバイトというのは心細いものだ。
求人雑誌を購入して、慎重に吟味して赤いペンで思いあたるところを囲んでいった。

友人と見当をつけて、学校から一番近くのドーナツショップへ行ってみることにした。
しかし現時点での採用はしていないということだった。

「どうしようか。
他に店舗があるから、そっちに行ってみようか?」

街の中心近くのお店へ訪ねてみた。
自宅から少し遠くなってしまうが、彼女のほうがはるかに家が遠いのでこちらのほうに決めたが、あいにくお店の希望する時間帯と合わない。

「しかたないね。
別々の所ですることにしようか。」

結局彼女は、彼女の自宅の方向に近い所で探すことになり、私はそのドーナツショップの店舗が少し家寄りの所にあったので、そこにあたってみることにした。
電話をしてみると、ちょうど募集しているとのことだったので面接日時を決めてもらった。

そのドーナツショップは、高校時代に友人達と一度だけ立ち寄ったことがあった。
学校の行事の卓球大会に備えて、レジャー施設で練習をしたその帰りだった。


店頭には、相変わらず美味しそうなドーナツが沢山並んでいた。

わぁ、美味しそう。
毎日これを眺めていられるなんていいな。
あの時は何を食べたっけ?
あっそうそう、たしかチョコレートのドーナツとメロンソーダを飲んだんだわ。

私は当時を思い出しながら、商品のショーウインドゥの前を通り過ぎ、案内された奥の休憩室らしき所へ向かった。
部屋に入ると、同じ年頃の女性が一人椅子に座っていた。

しばらくして、店長らしき男性が部屋のドアを開けて入ってきた。
少しばかりのお店の説明と、仕事内容の後に質問を受けた後、

「それでは、採用の返事は後日電話を差し上げます。」

と言って男性は立ち上がった。

すぐ側にドーナツを作るキッチンがあるらしく、店を区切っている小窓がついた木戸のこちら側は、空気の中に砂糖が溶け込んでいるほどの甘い香りが立ち込めていた。

数日後、採用の電話があった。
とりあえず、自分の都合の良い時間をスケジュール表に書き込みに来て下さい、とのことだった。

私は学校の帰りに寄り、授業に無理がかからないように書いていった。
だいたい平日は学校の授業が終わり次第、急いでも16時からしか入れないので、土日はできるだけフリーと書いた。

女性は朝7時から夜は21時まで入れるということだった。
男性は一人だけで夜どおしキッチンで商品を作るシフトもあるらしい。
面白そうな世界へ来たなぁと、これから始まろうとしている日々へ、不安と期待を募らせた。

ちなみに、同じ日に面接を受けた女性も無事に採用になっていた。
違う学校だったけれど、同じ年齢だった。


7月になった。
梅雨はまだ終わらないけれど、今月は私の誕生日だ。

きっと今月は、いいことあるぞ。

と、私ははりきって、いつものように学校の帰りにアルバイト先に向かった。
もう何度かシフトに組まれた時間に入って、たくさんの種類のドーナツの名前と値段を少しずつ覚えてきた。

初めはお皿洗いばかりで少しうんざりもしたが、2時間ごとに一度10分間の休憩がもらえ、好きな飲み物と休憩室に置いてある廃棄用のドーナツをいくらでも食べられるというところが嬉しかった。

人通りが多い商店街の一角にあるこの店舗は、時間を問わずけっこうな繁盛ぶりで忙しい。
それでも19時頃になると、お店の雰囲気がガラッと変わる。
夏の遅い夕暮れが訪れ、少しだけ客足が少なくなり、落ち着く時間帯だ。

昼は女性総出でお客様に応対するが、19時になると、ポーターと呼ばれる男性が入ってくる。
まずキッチンの清掃にとりかかり、お店の窓を拭いたり、冷蔵庫の中の補充をしたりする。
あともう一人が19時~21時に来て、夜中の1時までいるらしい。

私はいわゆる新人さんだったし、まだまだ緊張しながら仕事をしていた。
女子高を卒業したせいもあるけれど、初対面の男性と一緒になるのもけっこう緊張した。

その日も黙々と仕事をしていた。
洗い物の洗浄が終わり、洗浄機のフタを開けて向こう側へ運ぶカゴの中にグラスを入れていた。
お客様が来たので、その応対のためにガラスケースの方へ向かった。

接客が終わり、再びグラスをカゴに入れようと振り向いたら、今日のポーターの人がカゴに全部入れ終わり、それを運ぼうとしていた。

「お疲れ様です、すいません。」

私はそう言いながら、その時もう既に恋をしていた。

見た瞬間から恋に落ちていく。
いわゆる一目惚れというものだろう。
とにかく、私は手伝ってくれた見知らぬ彼の横で、跳び跳ねたいような嬉しい気持ちでいっぱいだった。

ついに見つけてしまった。
本当にこんな人がいるなんて……。

彼が与える印象は、優しそうだけど、少し近寄りがたいというものだった。
初対面だから挨拶でもするべきなのだが、タイミングが掴めず、言いそびれてしまう。

いや、それより本当の理由は話しかける勇気がないせいだろう。
カウンターのこちら側は、人二人がすれ違うのもやっとという狭さなのだ。
あまりにも距離が近すぎて照れてしまう。
カウンターの端と端でも、それほど遠い距離ではない。

冷蔵庫の前で私は、彼に少しぶつかってしまった。
顔を下に向けたまま、

「あ、すいません。」

とかすれた声で言うのがやっとだった。

しばらくすると、もうあがる時間が近づいていた。
それほど多くは今日のような遅い時間にシフトに入るわけではない。
彼の存在に気づいたのは、ここで働き始めてから半月ほど経った今日だった。

この店に、こんな人がいたんだなぁ。
そのうち親しくなれたらいいけど。

帰宅のバスの中で、明日学校に行ったら真っ先に彼のことを友人に話さなくちゃ、と心が逸っていた。


翌日も私と彼はシフトに入っていたけれど、話をする機会がなかった。
ただ、彼が他の人と会話をしているのを聞いていると、名前がわかった。

村瀬さん。
村瀬さんだ。
そうだ、タイムカードを見れば下の名前もわかるわ。

名前は村瀬哲也。
私は、うん、いい名前だわと思いながら、また翌日学校で友人に知らせた。

それからしばらくは、遅い時間のシフトに入れなくて、彼にはなかなか会えない日が続いた。
浮かれ調子だった私の気分は、だんだんしぼんでいった。

ただ知り合えただけで、何もないままいつしか別れが来るのかもしれない。
思わず悲観的にそう考えてしまう。
せっかく素敵な人と思える出会いがあったのに、やるせない気持ちで身も心も重い。

それでも、おもうように会えなくても、繋がっているのは、本当にこのお店だけなんだと実感した。


ある日の午後、私は一緒にセールスをしている仁科さんに思い切って言ってみた。
彼女はひとつ年上で、ここからすぐ近くの◯◯大学へ通っている。
ここのアルバイトはけっこう長いほうだ。

「仁科さん。
私、村瀬さんていう人が、なんかいい感じがするんです(笑)。
あの人、どこの大学ですか?」

「ふーん、村瀬さん?
あの人◯◯大学の二年よ。」

「へぇ、◯◯大学の人ですか。
仁科さんは、だれがかっこいいと思います?」

「え、私?
そうねー、ここのバイトの人、みんないい人と思うけど。
河野さんは可愛いと思う。」

「河野さん?どんな人ですか?」

「知らない?△△大学の人よ。」

ここでアルバイトをしている人達は、ほとんど学生だった。
いろんな学校の、いろんな話を聞くのが楽しかった。

そしてサークルで、登山部や茶道部やテニス部に入っている人もいた。
私は、学校でサークルには入っていなかったので、このお店がサークルのように思えた。

そして、一歳でも年上の先輩達はとても大人に見えた。





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