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怨念との決別。『将棋図巧・煙詰-そして誰もいなくなった-』『ケダモノ202』観劇と記憶

『将棋図巧・煙詰-そして誰もいなくなった-』の、いじめへの復讐というテーマは非常に重い

『煙詰』と並行して観劇した、東雲あずささん出演舞台『ケダモノ202』においても、登場人物が過去に抱えた傷を描いている

玉将と枕木、彼らの行動は倫理的には完全にアウトだ

だが一方で、その過程で誰か救いの手を差し伸べる人はいなかったのかと、寂しくもなる

二人に共通するテーマ「過去に抱えた傷」

僕自身、苦しい記憶を呼び起こされ、言葉を綴らずにはいられない気持ちになった

僕は物心ついたときには既に人前が苦手で、自分から言葉を発しない性格が出来上がっていた

基本的に学校で発するのは出席確認の「はい」という返事のみ、他にあるとすれば日直に当たった日の司会、授業で当てられたときなど強制的に何か喋らされるときだけ

「喋らない奴」というのはそれだけで特異だし、抵抗もしないから、いじめの格好のターゲットになりやすい

ここまでは以前書いているのだが、殊にいじめということで思い出されてしまった記憶を、以下に綴っておくことにする


一つは小学校4年の頃だったと思う

下校中、班の女子にからかわれ、帽子を取り上げられ、返してもらえないまま別れ道まで来てやっと返され、何も言い返せなかった

見かねていた一部の男子は「明日先生に言うよ」と言ってくれた

次の日、朝の会

下校中の様子を報告する次第があるのだが、僕が嫌がらせを受けたという報告は行われなかった

「手を下すでもなく、差しのべるでもない」「偽善者」の姿がそこにあった

僅かな期待を持たせておいて平気で裏切ることができる態度が信じられなかった

このときが初めてだろう、他人は信用できない、友達などいらないと意識したのは

そして5・6年次

僕の人生で「絶対にこうはなりたくない」筆頭に挙げられるくらいの人物が、当時の担任だ

この担任についても以前少し書いてはいるが、改めて曝す

5年生の夏、僕は「命」にまつわる、人間不信を決定的にする大きな出来事に見舞われる

その悲しみはあまりにも大きく、深く、僕は何処にもぶつけようのない感情を自分の中で飼い続け、それは何時しか周囲に対する怨念となり、家族にまで向かうものになっていた

入院中、担任が特に仲の良いわけでもないクラスメイトを数名見舞いに連れてきたことがあったが、僕は見世物のように扱われていた気がして不快でならなかった

体調が優れず食事が摂れない日に見舞いに来たときには、「食べなきゃだめだ、食べるまで帰らない」などと勝手に言い出し、親まで「こんなに心配してくれるいい先生はいねえぞ」と言い出す

(何がいい先生だ、さっさと帰れ)と心の中で叫ぶだけで声に出せず、苦しかったことも覚えている

半年後、学校に戻ったときには、女子でいじめられていたらしい子の隣の席にされていた

その女子がいじめられた詳しいいきさつは知らないが、担任もグルだったというわけだ

その後、6年次はクラスの女子には避けられ、男子には負った傷をからかわれ続けた

良い思い出が全くと言っていい程ない僕は、卒業文集の文面も書けなかった

それを担任まで、無神経に傷を抉り「つらいことを思い出して書いてみたら」と言ってきた

結局、僕の卒業文集は、各学年毎の、なんとなく覚えている行事を項立てし、思ってもいない「楽しかった」という言葉を連呼しただけのものになり、卒業式も何の感情も起こらずに終わった

卒業後、アルバムの担任の顔を黒のマジックで塗り潰し、引っ越し時には幼稚園と中学校以降のものは持ち出し、小学校のものだけを意図的に捨て、記憶の彼方に葬ったつもりでいた

それが『煙詰』の玉将と『ケダモノ』の枕木によって、呼び起こされてしまった

それでも僕はこの二つの演劇に真剣に向き合いたかった

二つを繋ぐものが、舞台を超えた現実に存在するからだ


僕はずっと孤独だった

中学以降いじめは受けていないが、友達という友達はいない

怨念が消えることはなく、信じられるものは自分だけと思って過ごしてきた

それが少し変わったのは、大学4年のときだった

ある講義でグループを組み、作業をすることになった中、ある一人の女子と出会った

その講義は土曜日にあったから、終わった後は一緒に学食に行き、午後には彼女のゼミの教授の研究室に入って延々二人きりで喋り続けていたり、彼女のゼミの飲み会に参加したりしたこともあった

僕と彼女が二人でいて、彼女が友人と会ったときに僕を紹介する場面は何度かあったのだが

都度彼女は僕のことを「私の友達」と言って紹介していた

「友達」

初めて聞いたとき、妙に心がこそばゆい感じがしたのを覚えている

彼女の左手の薬指にはリングがあったし、僕も他に好きな人がいたから、特別な関係にならないことは理解した上で過ごしていたのだが、単純に楽しかった

時が経つに連れ、彼女は自身の生い立ちや、抱えている病気のことなども話してくれた

気付いたら彼女の薬指のリングはなくなっていたし、僕が好きな人は僕を向いていないことも薄々勘付いていた頃でもあった

つらそうな表情を見せながら話を続ける彼女を、抱き締めたい衝動に駆られた

「友達」

その言葉が頭を過ったことと、女子と付き合った経験がないことから、僕は彼女の肩に手を置き励ますのが精一杯だった

今となれば、正直に気持ちを伝えておくべきだったと後悔もしている

それでも、初めて僕を「友達」と認識してくれた人と出会えたことが嬉しかった

だからなのか、卒業後引きこもりになっていたとき、人恋しい感覚に襲われたのは

孤独であることを自ら望み、慣れているはずだったのに、誰かに何とかしてほしいと思ってしまったのは

彼女は社会人として立派に働いていたから、迷惑を掛けるわけにはいかないと思い、連絡は取っていない

その後怨念は自分自身に向けられ、絶望し、死にたいと思って過ごしていたときに、「人生に無駄な時間なんてない」という言葉と出会った

このときから僕は自分が受けた傷や苦しみを、怨念ではなく人への優しさや愛に変えられる人間になりたい、同じことを考えた経験のある人を守りたいと思うように、変わってきた

今も僕は孤独だと思う

しかし、かつてのように怨念に縛られることはなくなった

「私の友達」

思えば、僕を怨念から解放する最初の一歩は、彼女がくれたこの言葉だったのかもしれない

2023.1.29『ラチカン』A班
東雲あずささん、橘明花さん、真田林佳さん、真白ゆうみさん

僕は嬉しかった

今回離れていても、立場が変わっても繋がっているあなたたちの姿を見られたこと

「友達」というものが素敵なものであると思い出させてくれたこと

二つの舞台を繋ぐ現実の絆

改めて、あなたたちに出会えたことに心からの感謝を込めて

「ありがとう」

僕は怨念と決別します

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