見出し画像

人の生きてきた重みや価値は背中の写真に宿る気がする

背は現実以上に物を言う

画像6

私は人物写真やいわゆるポートレートをほとんど撮りません。
別に嫌いではないのですが、色々な意味で撮るのが苦手です。
(上手く撮る技術がないとも言います)

いつも風景や景色、無機物、あとは動物の写真ばかりです。

しかし街の風景などを撮っていても、ほとんどの場合その地にいる一般人(私も一般人ですが、被写体以外の関係ない人物という意味で使わせて頂きます)が写りこみます。

しばらく待っても一向に人が居なくならない場合もあります。
そんな時はそういう一般人の方も要素の一つとして取り入れ撮影します。

画像1

ただ顔があまりにハッキリ写ると、昨今の事情的に写真をどこかにアップロードしたりが難しくなります。
(たまにスナップ写真論争でも問題になる肖像権のあれです)

そんな時はなるべく人の背中を上手く使わせてもらいます。

画像7

というか、むしろ背中が写った写真が大好物です、私は。

画像23


そこには【ドラマ】が写る

画像2

背中だし顔が特定されないから見知らぬ人が写っても大丈夫。
とは恐らく言い切れないのでしょう。
ただあくまで風景の一部、として写ってしまった…そんな言い訳を自分の心の中で勝手にしています。

ただ、人の背中には他では語れないドラマがあると思っています。
そしてそれは自分が知っている人でないからこそ、観る側が想像を巡らすドラマ。

画像3

だからこそ撮りたくなる。
表情や仕草と言った解りやすいものではないけれど、雄弁に語っているなにかがある。

画像8

あくまでこちらの想像なので現実には全く違うのかもしれませんが。

それでも想像し得る余地があるというのは面白いことだと思います。

画像4

写真はあくまで【目に見えた光景と時間を切り取ったもの】なのが前提のはずですよね。
しかし目で見たはずなのに、写真という形になるとあれこれ想像や想いを巡らすことが出来る…。

これはとても面白みのあることだと考えています。

画像5


なんだか今日はなかなか考えがまとまらず上手く文が書けません…。
言いたかったことが上手く言えてない感じ。


百聞は一見に如かずだと思うので、記事中に貼った写真を見てみて下さい。
自分の真意が少しは伝わるかな?と思うので。。

この下にも何枚か続けて貼ってみます。

画像9

画像10

画像11

画像12

画像13

画像14

画像15

画像16

画像17

画像18

画像22

画像20

画像22

思いのほか枚数が多くなってしまいましたが…
いかがだったでしょうか?

何かこう…『グッ』とくるものを感じませんか?
もし感じて下さったのなら、その瞬間私の撮った写真に価値が生まれたということです。

見て下さった方の心に何かしらの気持ちが芽生えたら嬉しいな。



今日も読んで下さりありがとうございます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?