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ちぇる友の輪、みんなを繋ぐ「架け橋」になりたい

ちぇると愉快な仲間たち

どうも、ちぇるし〜です。幸運な事に、私の周りには社会問題に立ち向かうユニークな方々が多く、これまでの経歴も現在打ち込んでる活動も従来の型にハマるものではないがために、周りから上手く認知されづらかったり、一言で言語化する事が難しいがために他の情報の中に埋もれてしまうという事が頻繁に起こっています。

そこで「私ちぇるし〜がその方を代わりに紹介してもっと多くの人に知ってもらおう!」と閃いたのが、昨日の事。笑 思い付いたら即行動!という事で、昨日から記事を書き始めました。まずはやってみる事が大事ですね、はい。因みに、頼まれてもないのに気が付いたら ”勝手に” 紹介しているというのが今回のポイントです。お節介過ぎますね。うふふ☺️

天からのお告げ

実は、2020年下半期のしいたけ占いで蠍座の私はこんなお告げを受けたのです🍄

“誰かの代わりに自分が目立って、そして、自分が認めたモノや「すごい」と思った人をPRしていく。何か、蠍座は「押しかけ座敷童」みたいな感じなのです。「何かさ、私はあなたのことを気に入ったから、今日から勝手に応援させてもらうわ。」と頼まれてもいないのにその人のPRをしてみたり、原石を布で磨きまくってピカピカにしたり、「いや、こんなんじゃダメでしょう。だってまだ、あなたのポテンシャルを出し切っていないもの」と、ダメ出しをしたりもします。...続きはこちら

私のキャラを知ってる方なら容易くイメージが出来てしまうかもしれませんが、私が思い描いていた今後の方向性に重なるところが多くあったんですね。というのも、ご縁がご縁を呼び、去年の一年間で250人くらいの高校生や大学生と向き合う機会がありました。

フリーに転身して学んだ一年間

去年は本当に様々なお仕事の機会をいただき、中でも熱っぽく人一倍深く話せる領域である教育関連のお仕事に関しては、比較的元から軽いフットワークが100倍以上軽くなるという現象が起こり、利益が出なくとも、さいあく赤字であっても積極的に関わっていきたい想いが強くありました。(去年は「私にやらせてくれ」と、Opportunity <好機 / チャンス> が目の前に現れると、とことん自ら掴みに行く狩人な一年でした。いつにも増して。笑)

スタートアップを掛け合わせた新しい授業の形

国際三田高校ではグローバル x キャリアの座談会(ミエタ主催)の講師の一人として参加させていただき、一日中高校生の将来の夢を一緒に壁打ちをしてみたり。「仕事」と言って想像が付かないので、ポケモンに例えて世の中の仕事を説明してみたり。(こちらに関しては別エントリーで詳しく綴る事にします。)

また、世田谷学園の「アプリを作ろう」という特別夏期講習では、Shopifyの時にお世話になった Two Gate inc. 代表の小林さんのご協力もあり、世田谷学園の生徒の皆さんがアプリ開発前に、アカツキさんに訪問させてもらえるように橋渡しする事も!当日は40人程の中高生を受け入れていただき、開発中のアプリやオフィスツアーという事で働く環境をじっくり見せてもらうことができました。

5日間で開発したアプリをチーム毎に分かれて、コンセプトと一緒に発表していく最終日の様子。

「グローバル x スタートアップ/ 新規事業開発」という別の講座によりガッツリ関わらせていただき、DocsAppという最先端の遠隔医療をインド全土で展開しているインドのスタートアップとも連携する授業も担当させていただきました。(アメリカから一ヵ月ちょっとぶりに日本に帰国して二日後という怒涛のスケジュールでした。絶賛時差ボケに負けない!笑)

起業家精神 x グローバルマインドセットを鍛える授業

まずはDocsAppの提供する基本のビジネスモデルを理解。そして、インドと日本の医療領域における社会問題を調査。その後、DocsAppの事業モデルを使って解決していきたいトピックをそれぞれの興味に合わせて選んでいきました。その課題の原因を深掘りしていったり、日本に既にある風習やビジネスと連携して新しい事業にできないかなどを考えていきます。投資元のVCから投資先であるDocsAppに出向していた段原さん(その後インド現地でも別プロジェクトでも絶賛お世話になりました🙏しかも私の地元福岡を超絶愛してくれている方である)と連携し、最終的にはインド本社にいる事業責任者の方となんとオンラインで中継し、学生の皆さんには英語で直接ピッチ(発表)してもらうアウトプットまで辿り着く事ができました。

新種キャラで知的好奇心に火を付ける

男子校だという事と他に例を見ない新種な先生(という括りで現れたオトナ)という事もあって、私の熱血な壁打ちに最初は学生の皆さんもさぞかしビックリしたと思いますが、こんな先生がいても面白いでしょという開き直り。笑 5日間の授業が終わった後に、「もっと学びたい、インドに行きたい!」と言って駆け寄って来てくれる人も現れたりと、やる気を引き出せて本当に嬉しかったです。(やる気スイッチをオンにしていく人。心に火を付けていく先生芸人として教室を先生と一緒に盛り上げていきたい。)大事なのでもう一度言いますが、先生にも色んな先生がいて良い!先生の多様性こそが教育の力となり、知の還流を生み出す。「一人一人の先生が強みを活かして、自分らしく働ける活躍の場をもっと増やしていきたい!」それが私の想いです。

インドで現地スタートアップと学生を繋ぐ

そんな中高生向けの授業講師をやっていたかと思ったら、その後すぐにインドに飛んで大学生と第二新卒の社会人の方々と現地のスタートアップや日本企業と繋ぐファシリテーターをしていた事も。(このために他の仕事の予定を調整して2週間インドのデリーとバンガロールを駆け回りました。) この4ヵ月前に人生初のインドを巡っていて、まさか同じ年に2回も行くとは思いませんでした。笑 最初は恐る恐る一人でUberタクシーに乗り込んでいたのに、二度目はスタスタと慣れた調子で現地に着いてすぐに観光ビザも取得し、颯爽とUberに乗り込んでいました。笑 プログラムの参加者を迎えに行くために、空港と宿泊施設を何度も往復していたので、そこではもうインドのUberドライバーにも慣れてしまい、Uberの中で眠りに落ちてしまう事も..😅慣れって怖いですね、海外では何が起こるか分からないので良い子は真似せずに、絶対に気を抜かないでくださいね。笑

現地ではインドの旅行 x コミュニティのスタートアップTripverの拠点を訪問し、実際にサービスを体験させてもらいました。彼らのサービスで面白かったのは、旅行好きなコミュニティメンバーがホストとして観光客を案内し、その代わりに次に自分がどこかへ旅行をする際にはユーザー側として旅行先のホストから同様の現地案内を受ける事ができるという点でした。私の役割として、元々ヨーロッパにいてデザイナーをやっていたCEOの話の聞き出し、同時に通訳をしながら、日本からやってきたプログラム参加者の日本人と現地スタートアップをプログラム運営側としてファシリテートしていました。そこにいたメンバーの皆さんは本当に素敵な人で、留学経験がある人も多く、皆さんが想像しているようなインド英語ではなかったです。洗練された知識層な品が漂っていました。

ビジネスモデルを理解し、実際に体感(現地案内)してもらった後に、今度は私たちが彼らの新規事業を日本と絡めて提案している様子。言語の壁はあっても傾聴の姿勢が本当に有り難く、なんと帰り際にはサプライズケーキとグッズまで用意してくれていました!!!!(なんという計らい...😭)

ベルテクノというステンレスの貯水タンクを提供している日本企業のインド立ち上げをされている田村さんに訪ねに、会社を訪問させていただいた事も。コンクリートで作られる事が多い貯水タンクをステンレス製に切り替える事で、工事にかかる作業時間も短縮でき、且つ清潔な水を長期間貯蔵できると言う日本の技術でインドの水事情を救おうとされていました。インドの深刻な水不足についてはこちら 日本のように安全で綺麗な水がどこにでも手に入るというインフラはまだインドでは普及しているとは言い切れません。ここでも新規事業などの新しい事業展開はできないと言う切り口でディスカッションをさせていただきました。(デリー近郊のグルガオン地区に多くの日本企業が集まっている。)

プログラムの隊長である村松さんからのセッション。就活に備える心構えや人生設計などのキャリア観とビジネスマインドや視点をコーチングなどを通して養っていきます。

本プログラムの運営者であるミエタを運営されている村松さんという代表の方が元々三菱商事のご出身というご縁もあり、そのインド支社にも訪問させていただいた事も。インドの国全土の地理的感覚や、経済状況や特徴。国の文化や風習などを本当に分かりやすく解説していただきました。なんとも幅広い情報を網羅されていて、何事も言葉を噛み砕いて分かりやすくご説明いただいた事には大変感謝しています。日本の会社はこうやって海外の国で活躍しているのですね...皆さんの毎日の積み重ねがあって、今の「日本」という定評の高く尊敬された国があるのだとつくづく感じました。(特に発展途上国におけるインフラ整備の支援や開発には日本企業独自のブランドがあり、日本というだけで反応がゴロッと変わる事がよくあります。)ありがとうございました。

続いて、こちらはバンガロールというインドの避暑地であり、テックのハブとも呼ばれている都市にやってきました。WeWorkを使い、ここでも最先端の遠隔診療をインドで展開しているヘルスケアのスタートアップDocsAppの事業を学びました。本社訪問前にビジネスモデルを叩き込んで、ここでも新規事業提案を現地の方に直接行なっていきます。

ちなみに、同じWeWorkに私の前職であるShopifyのインドチームが拠点を置いていた事もあり、Instagramにストーリーを上げていた私を見て、元チームメンバーのNamra(ナムラ)が喜んで立ち寄ってくれました!(嬉しい!!)そして、彼自身のキャリアの遍歴や今取り組んでいる仕事の内容を語ってくれました!「Ohhhhh you guyssss, welcome!」というハイテンションな彼。辞めた今でも連絡を取り合っている大好きな友達の一人です。彼はエンジニア系の大学を卒業して、ヘッドハンティングされGoogleに勤務。その後、Googleのチームメートが進んでいった企業に引き抜かれ、スタートアップの環境下で働いていたところ、またもや昔のチームメイトに引き抜かれて、Shopifyで勤務しているという採用面接を自分から受けた事がないという彼。頭が切れる事はもちろんですが、人間性が本当に素晴らしくて、裏も表もなく、思い切り自己をさらけ出してくれる、私が心から信頼できると思える初めてのインドの友達となりました。一緒に歌って、踊って、飲んで、笑って、仕事でも励まし合えて、本当に素敵なチームメンバーと会社を辞めて半年以上が経っても、このように別の機会で会えるのは本当に嬉しかったです。

こんなに最後は笑顔で写真を撮ってくれた!一応仕事中だけど、Shopifyにはこういうカルチャーがあるんです。(お昼ご飯後に魚釣りを始める人がいたり...笑)やる事はやるけど、皆その一瞬一瞬を楽しんでいる。社員の事を信頼しているからこそ、自由な選択をする裁量権までも与えてくれています。(その代わり採用は本当に厳しく選ばれていて、スキルやポテンシャルだけではなく、カルチャーフィット感をよく見ています。)

新規事業のピッチに向けて、事業アイデアを練る様子。普段は日本の大手鉄道会社で都市計画などを担当しているというこの方は、初めてのインドでもすぐに環境適応をされていて、本当に頼もしい方でした。

その後、バンガロールにあるDocsAppのオフィスを訪問し、事業責任者から話を聞く皆さん。

その後は、プログラム運営側のメンバーが一緒に家をシェアしているというインド人のお友達が役員をしている車両の売買事業を行なっているCars24というインド現地の企業にもお邪魔させてもらい、話を聞かせていただきました。インドでは週6がデフォルトで土曜日も出社している会社も多い。

夜な夜なVCとしても働いている段原さんから話を聞いて、新規事業のアイデアを練っていくメンバーの皆さん。

別のWeWorkに行って、そこでは日本企業でプログラミングが学べるツールやアプリを提供しているProgate(プロゲート)のインド立ち上げメンバーにインドでの展開について話を聞く事も。

ここのWeWorkはGalaxyとも言われていて、とにかく吹き抜けの造りや、屋上のプールやテラスなどが豪華でした。

JETROのバンガロール支店にもお邪魔させていただき、日本からインドへ進出する事業について話を聞く事もありました。

最後は、Aibonoという農業と流通のテック企業を訪問させていただき、インドでのスーパーや市場を視察した後に、私たちから提案できる新規事業をチームに分かれてピッチさせていただきました。

実際にAibonoの社員の方々が興味津々で質問をしてくれたりと、歓迎的に受け入れてくれた事には大変感謝しています。

オフィスの床は草原をイメージしたグリーンな人工芝で、さすが農業、自然と繋がっている企業だなと思いました。日本から持ってきたお土産にも大変喜んでくれました。初のインドに年に二度も行くなんて思ってもなかったですが、インドの方々の優しさとスタートアップの可能性の大きさを思い知った2週間となりました。

人生初のクラス担任はアメリカで

はたまた、アメリカに飛んで行き、3週間カリフォルニア州立大学バークレー校で人生初である最初から最後まで担当させてもらった私のクラスを任せてもらったり。アメリカでのびのび授業をしている私↑(Y-PlanというUCバークレーでのユース向けのリーダーシッププログラムと、TOMODACHIプログラムとSoftBankがコラボレーションし、震災で影響を受けた東北の高校生を支援しているもので、これまでに約1,000名もの高校生がアメリカへ羽ばたいていっています。ここには米日カウンシルと在日アメリカ大使館が東北での大震災が起こってから、これまでに復興に向けた絶え間ない支援をしてくれているという背景があります。また、孫さんの出身校がUCバークレーという事もあり、このようなご縁となっているのですが、孫さんは私の地元の久留米にも所縁のある人なのでその場所で何かしら間接的に関わっていると思うと、個人的にも大変刺激を受けた経験となりました。)

因みに、上の写真はパブリックスピーキングについて授業を行なっている様子です。非言語コミュニケーションと言語コミュニケーションを説明する過程で、「好きな人がテーブルに座っていたら、どこの席に座ると良いか?」というお題を説明している図。非言語コミュニケーションは相手との距離や目線やジェスチャー、傾聴の方法などが非常に関連してくる分野なので、好きな人の話を持ち出して、さっそくこの後の夕食の時間に実践してみよう!という私からの挑戦状にみんなの興味はMAXに。笑 皆さんも仲良くなりたい相手がいる場合は真正面に座るのではなく、斜め前に座るようにしてみてください。(ドヤ顔...で話したいところですが、実は私の大学にいたコミュニケーション学で著名な私のゼミの先生が伝授してくれた内容である事を記載しておきます。笑 私が学んできたコミュニケーション学をを講師として伝授する日が来るなんて...感動というか驚きというか。)

私が担当をさせてもらったクラスのみんなと、チームをサポートしてくれた日英のバイリンガルでカリフォルニア在住で頼もしい存在だったケリーとトモ ↑

ノースリッチモンドというカリフォルニアにある街を視察し、そのエリアに住む現地の人にインタビューをしていきました。街の管轄がカウンティなのか、市なのかでも政策や補助金の差が出てきたり、街の歴史と人々の誇り。問題を見つけ出し、その問題解決策を導き出し、最後には地元の方々や学校、行政に対して、そのアイデアを英語でピッチ(発表)するというアウトプットまでやり遂げる事ができました👏

私が担当させてもらったクラスの最終発表の様子↑3週間前はお互いの事も知らず、飛行機に乗るのも初めてだった人もきっといたはず...開放的なカリフォルニアの地で、今までの学校の授業とは全く異なる自由なスタイルの授業。先生という概念はなく、名前も英語っぽく呼び捨てで呼び合う。若者や学生だからと未熟な存在としては扱わずに、社会を構成する一人前の存在として彼らの声がどんな価値を持っていて、それで世界を変えていく事ができる、そんな自信を付ける事ができる機会が正しくこのY-Plan x SoftBankのプログラムだったのではないでしょうか?

親バカではないけれど...

慣れない英語でのプレゼンテーションも、24人全員が強みをお互いに活かし合い、ここまでやって来れました。そんな様子を見て、私はもう内心うるうる...🥺(親バカではないが、なんと言ったら良いのか) もちろん、担当をしていたクラスも一応の括りなので、他のクラスのみんな、合わせて100人!の高校生のみんなから話しかけてもらえた私はとても幸せでした。年齢こそ違うけれど、そこには垣根はなく一人の人としてぜひ距離感を感じずに何があれば気軽に相談できる存在として、今後もやり取りを続けていきたいなと思っています。(さっそくプログラムが終わって10ヵ月が経った今、担当のクラス以外でも連絡をくれて大学への進路の相談をしてくれる人もいたりして、とても嬉しく思っていたりします。)

クラスのみんなに混じって、初めましてのアイスブレイクのゲームをしている初日の様子。さて私はどこでしょうか?笑

みんなが知らないここだけの話という秘密をそれぞれみんなで共有し、一致団結する事ができました。笑 懐かしいなぁ〜。(コミュニケーション学では、仲良くなりたい人がいる時は、ここだけの話という秘密を共有すると仲良くなれると言われています。是非お試しあれ!)

社会課題を解決する社会起業という考え

利益を生み出すだけがスタートアップではなく、それは大きな社会問題を解決する糸口にもなります。そういった社会起業の体験や自分にも世界を変える事ができるというマインドセットを養っていく機会を教育の場により一層持ち込んでいきたいと思える経験となりました。プロジェクト型ラーニング、問題解決型の学習は本質的で、実践型で学んでいく体験学習が個人的にも一番私に影響を与えたものが多い事もあり、この辺りはもっと私自身も学びを深めていきたいと思っている領域です。

みんなに託した想い

プログラムの最終日、担当していたクラスのみんなそれぞれに私が連想する「英語の言葉」と応援メッセージをプレゼントしました。3週間は殆ど毎日一緒にいたけれど、これからはどうしても毎日は一緒にいれない。物理的にも離れ離れになる人だって多くなる中で、言葉であれば距離に関係なくそれぞれの心の中に生き続けて、今度直面するであろう辛い時にはみんなの盾になってくれるだろうと思ったのです。あとは、好きなフレーズを覚える事は英語の勉強にもなるので。笑 (夜な夜な言葉を選んで、メッセージも書いて、それぞれの名前が入ったビーズのブレスレットを24人分作ったのですが、きっとこれが最初で最後になりそうです。作っていた最中は終わりが見えずに日も明けそうだったので絶望しかけましたが、何とか気合いで乗り越えました。とんこつラーメンシティガールの名にかけて!<地元の久留米がとんこつラーメンの発祥の地なだけでここは完全に自称 笑> こってり粘り強く最後までやり切ったど〜〜〜〜!<黄金伝説の濱口さん風>)

時にクラス担任として異国の地アメリカでのご縁をいただいた際には、笑いあり涙ありの3週間を過ごす事となりました。私はポケモンの映画で泣いてしまうくらい元から涙脆いので 笑、言わずもがな卒業式の日はどう頑張っても涙を堪え切れませんでした。生徒に私の泣き顔をすかさず写メで撮られてしまったり...😅それでも涙は止まりませんでした。笑

女子が全体的に多かったクラスで縁の下の力持ちとして支えてくれたメンズのみんな!それぞれが優しいジェントルマンでした。ありがとう!

実は「教育」という学問が専門だった

キャリアのバックグランドとしては海外スタートアップや新規事業の立上げが満載の経歴になってしまっている事もあり、周りからの認知としてはなかなか「ビジネス色」が強く思われがちな私。実は私の父は教育家である事もあり、すべて教養として教育に活かしていく事を目的に幅広い分野に興味が分散しているのが私の特徴です。大学時代は「第二言語として外国語を習得する英語教育学や英語教授法 & 異文化コミュニケーション学」を専門とし、ノルウェーに留学し、ヨーロッパ各国の訛りに耳を慣らしながら、現地の学校の視察を行い、日本の文化を教える授業をさせてもらっていました。

専攻と仕事が直結しているアメリカ

因みに、海外の友達に私のバックグランドや今やってる事を話していると、「大学の専攻は何だったのか?」と聞かれる事が多々あります。アメリカだと学んだ専門領域がそのまま仕事に直結する事が殆どで、日本のように若者のポテンシャルにかけて社員を育ててくれるというのはなく、学んだ専門性を直接生かせる率先力を求められる事が多いです。日本ではよくある文学部からエンジニアなるというのはアメリカ人からすると、チャンスが多くて良いねとなるようです。それで、私の場合は「何を学んだら私みたいになるのか?」と問いに対して「教育だ」だと答えると、想定外で、他にも例を見ないため、まったく参考にならないという事が続出しています。笑 アメリカでの教師という仕事の給与基準はそこまで高くないらしく、教育をしっかり修士まで学んだ情熱溢れる先生が安月給で食っていけずに、引っ越しやキャリアチェンジを強いられているという人にも去年会い、州によって予算も仕組みも違うため、先生の待遇も州によるのだなと痛感しました。一方で、教育に力を入れている北欧では、教師という仕事は社会的にもステータスが高く、そもそも教師になるまでが本当に難しいようです。日本はよくアメリカの数十年前を歩んでいると言われる事もありますが、どうなのでしょうか?

英語を学びに留学したのではない

よく「なぜノルウェーに留学したのか?アメリカやイギリスの方が英語圏で良かったのではないか。」と聞かれる事があります。そして、私が答えるのが「英語を学びに行ったのではない。海外に行った事なくてもTOEICを満点取る人はいて、さいあく日本でも英語を学べると。」私は第二言語として英語を学び、英語を流暢に話す国で英語教授法やその仕組みを学びたかったのです。自分の足で現地に赴き、目で見て、肌で触れて感じてみたかったのです。あとは、学歴も育ってきた環境も、積み上げてきた全ての事が0になった時に自分がどこまでやって行けるのか試してみたいという気持ちがありました。

何かを「教える」という事

何かを「知っている」という事と「教える」という事は全く異なります。英語が話せるからと言って教えられるかという事は別で、日本人だからといって文法的な事を含めて「日本語を教えられるか」という事を考えてみるとと分かりやすいです。自分とは思考回路が異なる人に対して、分かりやすく噛み砕いて一人一人の思考回路や理解度に応じた学習方法やコンテンツをソムリエのように選んで導いていく、それが教師の醍醐味だと思っています。

「知らないものを知っていく過程」に惹かれた

振り返れば、幼い頃から私は英語を話したい欲しかありませんでした。しかし、日本では英語を高校生の9年間という長い間、教科として習ってきても英語が話せない状況があり、私は純粋に疑問を感じていました。というか、真面目に勉強してきて良い点も取ってきたのに未だに「話せない」ではないかと日本の教育システムに憤りさえ感じていました。笑

そこから、教育の中でも知らないものを知っていく過程、すなわち教授法によりフォーカスした教育に大いなる興味関心を寄せていました。(なぜなら自分自身が貪欲に英語を学んでいきたい当事者でもあり、将来アメリカに住む事は幼い頃からの決定事項だったので本当に必死でした。)

「教育を学ぶ = 先生になる」がすべてではない

教育が専門だと言うと就職活動では「なぜ先生にならないのか?」とよく言われてきました。当時から、教育だからといって選択肢は先生の一択ではなく、ビジネスの場でも教育の知識は生きると考えていましたが、世間ではまだまだそのニーズは重要視されていませんでした。(社内研修や人事制度やマネジメントなどで必要な知識がてんこ盛りなのに...) では、教育を学んできた経験は実際に私が働いてきた中で役に立ったのか。答えはイエスです。

まだ知られていないものを世の中に広めていく = 知られるようにするためにはどうしたら良いのかという認知度を広めていく過程で大いに役に立ってきました。(日本で知られていない海外サービスや国内での新規事業立ち上げばかりやってきた際には特に。) また、クラス運営をしていくために人前で話すスキルや、クラスをまとめていくマネジメントスキル、指導内容を考える企画力、一人一人に合わせて対応をする心理学やコミュニケーションスキルは全てビジネスにおいて役に立ってきました。

「教育業界」と「ビジネス界」の架け橋になりたい

何よりも!教育現場と民間企業で働く人達の間には大きな溝があると感じていて、そこを埋める事、その二者を繋いでいく事が私がやりたい事の一つでもあります。「日本と教育はなってない!」否定する事は簡単です。でも最近の取組みや課題をよく知らずして、私たちが救いの手を差し伸べもせず不満を言うのは控えたいのです。自分が子どもを持ってから初めて学校教育に関心を持つのではなく、日頃から頻繁に私たち一人一人ができる事を考えていきたいのです。私が教育ではないフィールドで関係性を耕していく事で、後に私がもっと大きな事をしたいと言った時の協力者を増やしたり、教育こそが日本の経済にも関わっていく事だとか、学校教育に日頃から興味を持つ人を増やし、予算があまり付けられない公教育において多くより大胆で新しいコラボレーションを生み出していきたいのです。

世界初 Shopify x 公教育の事例を日本から

周りの人にもあんまりお伝えしていなかった事なのですが、実は私が3年前にShopifyという世界最大規模のEコマースプラットフォームの日本立ち上げをしていた時に、絶対に実現させたいと影ながら動いていたのがこの「Eコマースを使った授業を公教育で展開する」プロジェクトでした。私の地元が福岡だという事もあり、九州を中心に活躍されている吉田さんという頼もしい繋がりからコラボレーションが加速していきました。それが2017年の終わりの事。吉田さんの母校であり、お子さんも通われているという福岡県立香椎高校には「ファッションデザイン科」というものがあり、なんと国からスーパープロフェッショナル校に福岡県で唯一選ばれている高校でした。

そこの校長先生は私が想像をしていた校長先生とは一味も二味も違っていて、もっと尖った教育をしたいという情熱で満ち溢れていました。

↑年始に実家の福岡に帰っていたタイミングで、年始明けすぐに訪問させていただきました。いつもはトロントにいてアジアを飛び回っているメンバーも偶然福岡にいたので、彼がお休み中だったにもかかわらず引き連れていきました。笑 青の服を着たわたしとその隣に座るダーニッシュ。Shopifyでは、実店舗で使うPOSやカードリーダーのハードウェアのプロダクトマネージャーをしていて、こんなのをやってるんだと言うと二つ返事で「行くよ」と言ってくれました。笑 Shopifyの人は心からみんな良い人...。

その後、実際に高校生の皆さんがデザインし、作った服を文化祭などで売るのではなく、Shopify上でオンラインショップを作って、自身で世界に向けて売るという授業がスタートしていきました。モデルも高校生の皆さんが行ない、マーケティングやPRについても学んでいきました。また、修学旅行はカナダに元から行っていた事もあり、「トロントではなくShopifyの本社のあるオタワ(実は首都)に来てください!!」と懇願し、極寒の中なんとかそれが実現しました!実現したのはプロジェクトがスタートして一年後でした。

私がShopifyに入社した時から個人的に大ファンのTease Tea🍵 その創業者はShopifyのフルタイム社員でありながら、このお茶のブランドで起業をしており、NYでポップアップをしたり、他の女性起業家を支援している方でした。本社に行った際に実際に飲んだお茶が美味しかったというのもありましたが、Shopifyでは社員に起業する事を推奨しており、それぞれの事業で競い合うカルチャーさえあるのです。このような社内のアレンジは、私が物理的に現地に行けない中、且つ膨大な数字を追う日本での現実との両立もあったので正直簡単ではありませんでしたが、社内からも多くの協力をもらい、グローバルなPRとしても取り上げたいと注目してもらえたプロジェクトとなりました。高校生との取り組みはShopifyでも世界初で、多くの社内メンバーが喜んでくれました。

福岡の高校生の皆さんが自身のブランドについて英語でプレゼンテーションをして、社内の起業家でもあるShopifyの社員それぞれからもプレゼンテーションをしてもらい、世界を率いるグローバル企業のオフィス環境を見た事で、福岡の高校生の皆さんの将来の可能性が広がっていく機会となっていればそれが私の本望です。

遠回りして、やっと生きていた「教育」という学問の経験

一年間の留学も単位換算できるように初年度から緻密に計画したお陰で、中高の教員免許の取得も就職活動もRed Bullでのインターンでの経験も両立させながら、4年間で大学生活を終える事ができました。交換留学と中高の教員免許資格を両立されて4年で卒業した人は私の学部でも私を含めて2/120人しかいませんでした。5限の授業も多くて断念する人が後を絶えず。でも、高校受験で7:00-22:00間で学校と塾でほぼ缶詰状態だった頃と比べたら、へっちゃらだと思えたんですね。笑 片道1.5時間掛けて4年間通学してる時にたくさん考え事をしたり、奨学金を貰って4年間の学費が250万円くらいまで抑えられたので浮いたお金を留学費用に充填できたりと、本当どこで何に繋がるか分からないですが、それぞれの経験が今に生きています。

この他にもまた別のご縁があり、高校生大学生とはまた異なる、専門領域に特化したバンタンデザインスクールという専門学校で、Eコマースの授業講師を受け持つ事にも挑戦した年でもありました。就職活動に向けて、担当していたファッションデザインの専門学生の皆さん以外にも人を集めていただき、「働く」というキャリア観を育成する番外編のワークショップも担当させていただく事もありました。卒業後の進路が決まらない人には、私が知り得るプログラミングブートキャンプや無料で使えるデザインが学べるサービス、ワーキングホリデーの条件などをこれでもかと共有し続け、飲み会やブランド品ではなく「これでは他には負けない」という尖った特徴を作る経験にお金と時間を注いでほしいと伝えていきました。(韓国語 x ファッション、英語 x アジアストリートファッション、プログラミング x 服のデザインスキルなどなど)

私が見付けたライフミッション

あとは、IDEO/ D4Vのデザイン x アイデアソン Makeathonに参加した時の事、IDEOのビジョンの一つである以下の言葉を見付けたのです。もう”ビビビッ”としてしまって。

I’m empowered by empowering others.
(自分自身がエンパワメントされる瞬間というのは、周りの人をエンパワメントする時。)

という言葉にもしっくり来ていた私にとっては、この他者の成功を応援する事が私のミッションであるという事、これこそが去年一年間フリーでたくさんの事を試した結果分かった事でした。

そんな背景もあり、「しいたけ先生さすが...🥺」とお節介に拍車が掛かっている今日この頃でございます。(占いをそこまで信じるタイプではないのですが、良い事を心に留めてハッピーになれるなら良いかなと思う派です。) そんな事を話していたら、すっかり前置きが長くなってきたので、さっそく次回の記事で本題に入っていこうと思います。(「え?これ全部前置きだったの?!」とは思わずに、気長に次回をお楽しみに!笑)

すべての人に愛を込めて、
ちぇるし〜

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