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人生で二度死にかけた料理人の話

こんにちは、ゆうじです。

このnoteは僕のプロフィールを経験を織り交ぜながら、お話ししたいと思い書きました。


僕は料理人という厳しい世界でどん底を知り、多数の事故で死を経験し、散々精神的に鍛えられてきました。


その後にも自律神経失調症になり、克服するまでに1年はかかりましたが、今でも治療中の身であり、油断はできません。

この事に関してはまた別のnoteでお話ししようかと思っています。


そんな僕でも今は幸せに生きることができていて、素敵な出会いや色々と叶えたい夢があります。


死にかけた事もあったり、どん底に落ちた事があったのに何故今幸せだと言えるのか?

そしてこの先叶えたい夢とはなんなのか?

そんなお話をしていきたいと思います。


本題の前に、簡単に僕のプロフィールを書きます。




名前>>>>ゆうじ 

生年月日>>1994.11.04 5人家族の三男として生まれる

学歴>>>>偏差値40のFラン高校卒業後、調理師専門学校を1年間通い卒業

本業>>>>卒業後フランス料理店にて3年間、死にもの狂いで副料理長にまで上りつめる。その後、他ジャンルを学びたいと料理長として老舗焼肉屋へ転職

現在>>>>現役料理長をしながら、動画制作、現代心理学、マインド(心)や思考(考え方)、ライティング、などを日々勉強中。その他にもモチベーション継続として毎日筋トレを30分行っている。(毎日ツイートしています)



目次

1.「4歳でひき逃げに会い、救急搬送。命を落としかける」
2.「17歳でバイク事故、記憶を失い危うく命を落としかける」
3.「料理界の厳しさを実感、心と体はボロボロに」
4.「これから自分がやりたいこと」


1.「4歳でひき逃げに会い、救急搬送。命を落としかける」


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「すぐ来てください、、、はやく、、、子供が、、、子供が、、、」


気がつくと、母は涙を流しながら赤く染まった手で携帯を片手に僕を抱えていました。

その手は震えていて顔も青ざめている。

「お母さん、どうしたんだろう?」

そう思ったのが最後、4歳の僕が覚えているのはそれだけでした。

後から聞いた話だと、近所のお兄ちゃんと家の前で遊んでいた僕は、通り過ぎるバイクのハンドルグリップに頭を強くぶつけ、出血

まだ幼児で骨が柔らかかったため、頭蓋骨が凹み、ほんのもう少しで脳に傷がつき

後遺症または即死亡の寸前だったそうです。


もし今、後遺症が残っていたらどうなっていただろう?


「一生体が動けなくなっていたのかもしれない、、、」

「もう4歳の頃から自分の人生は終わっていたのかもしれない、、、」


そんなことを考えると今でもゾッとします。


今、あの時の母の気持ちを思うと本当に心配かけて申し訳ないと強く思うのと同時に、

もう心配かけてはダメだと子供ながらに思っていました。

なのに、、、。


2.「17歳でバイク事故、記憶を失い危うく命を落としかける」


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小、中学生になった自分は、人一倍食べることが好きでした。

家族5人みんな仲が良く、食卓を囲んで、みんなで笑い合いながら

特に豪華でもなく、ごく普通の料理だけど

人と食べる事が何よりの幸せでした。


今思うとこの頃から僕の料理人人生は決まっていたように思います。


マイペースで勉強嫌いだった自分は遊んでばかりだったため、

私立の偏差値40のFラン高校に進学。

散々先生になめられ、馬鹿にされてきました。


入学した自分は、早く大人になってなめられたくないと強く思い、

友人からの紹介でアルバイトをすることに。


ちょうどバイクにも乗りたかったので、

その頃の最低賃金、時給700円から2年間で100万近く貯め、念願のバイクと中型免許を取りました。


そしてある日のこと、その日はが降っていて曇り空でした。


いつもバイトが終わるのは22時30分ごろ、

先輩から「先に他の先輩が古本市場にいるから一緒に行こうよ」と誘われ、

僕が先頭でバイクを走らせ、一方通行を走っていたその時、

左からいきなり車が猛スピードで出てきた


雨が少し目に入っていた自分は、とっさに反応することができず、

50キロを出していたが両手で力いっぱいに急ブレーキ

そこからの記憶が全くなく、気づいた時には病室だった。


「あれ、俺どうなったんだっけ、、、」

左手首には包帯が巻かれており、左膝はズキズキする。

どうやら左手首の骨はヒビが入り、左膝は酷く擦りむいたらしい。


周りには心配そうに見つめているバイトの店長や先輩たち、

そして仕事服の父部屋着のまま涙ぐむ母。

その時に初めて自分が事故をしたのだと気が付きました。


その日はすぐに退院し、家に帰れました。

あとから後ろについてきていた先輩から話を聞くと、

自分が急ブレーキをした後、滑るように通り過ぎる車のマフラー付近に頭を強くぶつけ、「うーうー」と酷くうなされ、気絶していたそうです。

 

また自分は親に心配をかけてしまい、母を泣かせてしまった。

幼稚園の時もそして今も。


高校もろくにいい所に行けず、中学の部活もスタメンになるかならないかの中途半端さ。

自分の得意とすることや、何か抜きに出ているものは何がある?

マイペースに自分勝手に生きたくせに、事故が多く、親に心配をかけるだけ。

自分がすごく情けなかったです。


高校3年で進路を迷っていた頃、

どうせ大学に行ってもマイペースに暮らすだけだと思い、自分が得意にできそうな料理の道を選びました。


3.「料理界の厳しさを実感、心と体はボロボロに」


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1年制の調理師専門学校に入り、本当に出会ってよかったと思える仲間と出会えることができました。


授業を重ねるうちにフランス料理に興味を持つようになり、後期はフランス料理専攻に進学

「人を笑顔にできる職業にはお笑いがあるけれど、僕は人を料理で笑顔にしたい。

そう思うようになり、就職先を好きなフランス料理店へ。


そこから僕の料理人生は明るいものかと思っていたんですが、

現実はそう甘くなく、まさかこんなにも過酷で厳しい世界なんだという事は

1ミリも思っていませんでした。


朝は8時前に出勤。夜は夜中の1時まで。

まかないはフレンチやイタリアンの手の込んだ物を作れと急かされる。

休憩は暇な時で30分あれば良い方で、

大概は無いか、少しコンビニにいく程度。


当然、休憩中に本を読む時間なんて無いため、

帰っても休憩する間も無く、本を読みあさり、次の日のまかないのことで頭がいっぱい。

それに入社してから研修なんてなく、全て自分次第でと任される仕事が多かったので、初めは本当に死にものぐるいでやっていました。


「俺はぬるま湯で仕事をしていた。アルバイトでの経験があるからと浅はかな気持ちで仕事をなめていた」

そう思う自分が出てきました。


頭や足を怒られる度に殴られ蹴られる日々。

自信がなくなり、人の目を気にするようになっていき、

次第に当たり前にできるような仕事もミスばかりしてしまうようになっていく。

「お前さぁ、もうやめたら?センスなさすぎやろ」

色んな暴言を言われてきました。


「俺って何のために料理してるんやろう。なんでここにいるんやろ。」

どんどんと顔色が悪くなっていく自分を、親はいつも心配そうに見ていたそうです。


でも絶対に諦めきれない理由がそこにはあったんです。

「昔の中途半端な自分に絶対に戻りたくない、それにバカにしてくる大人達を絶対に見返してやる!!」

どれだけ殴られようが、どれだけ暴言を吐かれようが死ぬ気でやればなんとかなる!!そう信じてやり続けてきました。


そして月日が経ち、3年が過ぎる頃。

その頃にはまかないにも磨きがかかり、自らアレンジができるほどに。

そしてその頑張りを認められたのか、一人のシェフの右腕となる副料理長になるまで上り詰めることができました。


今ではその大きな経験が基盤となり、知らず知らずのうちに身についています。

本当にあの時諦めないで良かったと心から思います。


その後、肉を学びたいと思った自分は

老舗焼肉店の料理長として転職することに。


これが今いる所なんですが、ここにいる中でも金銭的な不安や、この先の不安という恐怖にかられて自律神経失調症になってしまいます。

1年経った今ではあるコツをきっかけに克服し、今では幸せを感じる事ができていますが、油断はできません。

だいぶ長くなるので、それはまた違うnoteにてお話します。


4.「これから自分がやりたいこと」


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最終目的は昔も今も変わりません。


僕は
「笑顔溢れる自分のお店を作りたい」

ただそれだけです。

その為には、
事業を継続させていくだけのがないといけません。

だからこそ、今こうして飲食の腕を磨きながら
やれる事はないか?

と考え、ツイッターでの発信を始めたりもしているわけです。


飲食業界ではあるあるだと思いますが
長くお客様に愛され続けているお店が少なく
数年で潰れるお店がほとんどです。


美味しいのに、、、
店長はいい人なのに、、、


ではなぜ潰れるのか?
流行るお店、継続してお客さんがつくお店と
お客様がこず、潰れていくお店には決定的な違いがあるのではないか?
と考えるようになりました。

自分なりに分析した結果
飲食店を流行らせる為に大きな課題が3つあるのではと思うようになりました。


それが


・継続的なお客様を作るための集客の仕組み

・どういうお店なのか?を的確に伝える能力

・お客様が求める飲食の形を時代に合わせて作る事

です。


「いや、飲食店は味が問題でしょ、味が」
そんな声が聞こえてくるように感じます。


勿論大事ですが
大事なのは自分のお店を知ってもらう事なんだと気付きました。


味が美味しい!自信ある!とどれだけ言ったって
誰かが食べてくれないと伝わらないんですね。


料理人の世界は不器用な人が多いです。

だからこそ、実力のある飲食店さんでも埋もれてしまう事もよくあります。


そしてその飲食店が向き合わないといけない課題に対して
一つの答えをくれたのがマーケティングの概念であり、
動画だということに気付きました。


画像では伝えきれないストーリーだったり、
音や臨場感、味や匂いでさえも
言葉を添える事で伝えられるのが動画の魅力です。


今ではそれを全国に広めることなんて本当に簡単な時代です。


YouTubeやSNS(Twitterやインスタ)などに動画を載せてうまく扱えると広告費が格段に抑えられるかつ、全国にファンを作ることができます。

だからこそ僕は、


動画で飲食業界を変えたい!!
本当に美味しい料理店をもっと世間に広めたい!!


そう思い、飲食店向けのPR動画編集やマーケティングを支援できるようになろうと考えました。

今は動画編集やセールスライティングやマーケティングの勉強をしています。


一人でも多くの同業者の方が、「繁盛しない」と不安な日々に動画や戦略によって、
次は幸せを与えられるような人間になりたいと思っています。


Twitterでは日々、現役料理人で有りながらのリアルや、マーケティングやライティング、動画編集についてなど学んだことを発信しています。

もし自分に興味を持っていただいた方は是非@chefmymovieフォローをよろしくお願いします。


長々と読んでくださりありがとうございました!

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