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月の食べ方

今日は月が食べ放題だ。

なので月を食べに行くことにした。

自転車に乗る。持ち物はスマホだけ。真っ黒のダウンを着込む。ベストも付ける。引っ張り出した色の合わない手袋を嵌め、色の合わせたくたびれたスニーカーを履く。
夜行襷はいらないだろう。どうせすぐ終わるのだ。たくさんとってこよう。だれか欲しがったらくれてやろう。
誰にも言わずに家を出た。でないと話のタネにもならないから。

俺は奴らと違うのだ。明るい家から出もせずに、光で汚れた月を食う。そんなんじゃ満足しないのだ。
何時になったら食べに行こう。そんな会話が聞こえてくる。そんな奴らを蔑視した。
俺は奴らと違うのだ。なんて自分に酔いながら、そんな心を冷ましながら、誰にも言わずに外に出た。誰にも言わずに戻ってこよう。

家の外は明るかった。月が減っていた。さっき見た頃にはだいぶ残っていたのに。
早く行かないとなくなってしまう。道の上で自転車を転がす。曲がる。
隣を走る車がいる。それを忌々しげに睥睨する。汚い光と汚い音を撒き散らしながら、特別な時間を気づきもせず蹂躙している。
俺はこいつらとは違うのだ。早く行こう。まずは橋だ。

川についた。いつもの場所だ。
川には月を貪るやつら。車を止めて待っている。機械を向けて待っている。ふぅん、なかなかやるじゃないか。
奴らが月を食べたのだ。残しておいてくれるのか。
川と橋を見渡した。拓けた視界に月がいた。まだ残っている。まだ手の届く場所だ。
まだまだいける。俺はもっと上なのだ。橋を渡る。

走る。走る。走らせる。走りながらも月が見える。朱く、暗い、月が見える。ほのかな光がにじみだす。
減った街灯、減った車。俺は違う場所に来た。奴らと違う場所に来た。
夜は純粋だ。俺がこの夜を捕ったのだ。
田んぼの間を走らせる。さっきは見えない星が見えた。月を見ながらペダルを漕いだ。月のかけらが霞んでぼやける。まだいけるのか。
気づいたら湖だ。道の終わり。ここでいいか。
いや、まだ残ってる。ここまで来たんだ、月を食べきる男になろう。道を曲がる。俺は完璧だ。

川沿いを進む。月が高く昇っていく。走る俺では目が合わない。走りながらでは見られない。
川を上る。ひたすら漕いだ。そして、気が付くと町だった。
光。街灯。車。
俺は止まる。月を見上げる。月は輝いていた。
終わった。さっきまでは朱かったのに。まだいけると思っていた。だが、気がついたら終わっていた。
朱い月は貪られ、黄色い月が嘲るように覗いていた。

俺は家に帰った。帰る夜道は満月で明るかった。行きの道が暗かったことに今更ながら気づいた。俺は月を食べられなかった。
家に帰ると親が車に乗るとこだった。夜勤に行くのだ。言い訳をしようと思った。だが、結局すべてを語ってしまった。証拠はなかった。それはもはや自分の中にしか残ってなかったのだから。
そんな自分を、月が最大の角度で見下していた。