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予想もつかないこと

私は人生で1度だけ、食事が喉を通らないようになったことがある。何を食べても味がしなくて、無理に食べれば胃が焼けるような感覚になった。生理も来なくなった。

多分周りから見たら、痩せすぎていて痛々しい感じがしたかもしれない。でも私は、そんなことを考える余裕なんて全くなかった。

私は、30歳を過ぎてから今住んでいる東京にやってきた。
私の両親は娘にはこうあって欲しいという思いが強かった。両親にとって娘は誰から見てもいい子だと思われる真面目な子でないといけなかった。表向きはそれに反抗することもなく過ごしていたけど、心のどこかはいつも空虚な感じがしていたし、時には苦しみの嵐が吹き荒れた。
ある意味では守られていて、親の囲いの中にいれば、生活に困ることはなく、自分がどうしたいか、どんな人間か考えなくてもよかった。

20代後半、私は地元のウエディングドレスの会社に勤務していた。
ある日急に、社長に呼び出され、東京のサロンに転勤してくれないかと言われた。本当に一ミリも予想していなかった出来事だったから、すごくびっくりしたし、戸惑った。
でも元々私は、自分の強い意志で決めたことはそれまでの人生でほとんどなかった。いつも流れに任せて自分の目の前に出てきた道を選んできた。私には目標もこうしたいという自分の意思も特になかったから、あまり深く考えることなく、とりあえず行ってみようと思った。

けれど転勤した先の仕事を私はうまくこなすことができなかった。
そこはオーダー前にドレスを試着できるサロンで、ほぼ毎日予約がいっぱいだった。そして時間内に試着をしてもらい、システムの説明と契約方法まで全て説明しないといけない。時間通りにしないとすぐ次に予約が迫っている。それが私にとってはどうしてもうまくできなかったのだ。結果的に、私は転勤してから3ヶ月程で仕事にいけなくなってしまった。そして私はその後すぐに退職した。
今の私なら周りの人や上司に相談できる。だけどその頃の私は困ったら相談する、助けを求めるってことを知らなかった。

ずっと生まれ育った地域にいて、苦しかったけど親の言う通りにしていれば生きて行けた。ある意味守られていた。これまで自分の意思で何かを決めたこともなく、自分がどんな人間か、何がしたいかをちゃんと考えたこともない。

そして、東京には知り合いもいなくて、慣れ親しんだ自然もない。
田舎からやってきた私には、東京は巨大で、余りにも多くの人がいるのに私の居場所はどこにもなく、急に何もかも失った私は、恐怖で足がすくんで一歩も動けないような気持ちだった。こんな強大な場所で、私には何もできることがない。どうして生きていったらいいかわからない。その時これが絶望っていうんだと思った。
そして毎日うまく眠れず、夜が来るのが怖かった。ちょうどその頃ずっと服用していた精神安定剤をやめたことも影響していたと思う。

その頃の私にとっては、外の世界は何もかもが恐怖だった。でも、親に心配をかけたくないと思ったし、生きて行かなきゃならなかったから、なんとか自分ができそうなアルバイトから始めた。今私は、あの頃の自分を褒めてあげたい。あんなに怖かったのによく頑張ったねって。

そして私は、なんとかその心も身体も凍りついてしまったような時期を乗り越えることができた。いつの間にか私は、普通にご飯が食べれるようになっていた。

その後私は、アルバイトから、派遣で事務の仕事もしてみた。そこは大企業のオフィスの中で、全く関心がない業種で、それは人生で一番私に合わない仕事だった。それを経験してやっと、私は自分の好きなことをやってみるしかないと思った。そして選んだのがファッションの仕事だ。遠回りだったけど、見つけられて良かったと思う。

それから、仕事以外でもたくさんの出会いや、これまでの人生で経験したことがない幸せなこと、楽しいことがあった。もちろん苦しいこともあったけれど、20代の頃と違って、私は生きているって感覚があった。

いま私は、こう思っている。
どんなに苦しみのどん底にいたり、人生に絶望したりしても、その時には想像することすらできないような、きらめく瞬間が必ずやってくる時があるって。
自分の人生を諦めなければ。

今はそれを知っているから、私はどんなに苦しいことがあっても大丈夫だって思う。


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