【展覧会】ラフマニノフの展覧会
4月1日はラフマニノフの誕生日です。
お好きなものをBGMにどうぞ。
ボリス・ベレゾフスキーさんのラフマニノフの『ピアノ協奏曲第3番』は、1990年のチャイコフスキーコンクールで優勝した時の演奏です。
日本に住んでいた時に、ラフマニノフの自作自演の協奏曲集のCDを持っていました。
YouTubeで探したら、録音が見つかりました。
なぜか、ロシアでは、第1番だけ見ることができなくなっていたので、第1番だけは、違うチャンネルからです。日本からなら、同じチャンネルの第1番も聴けるかもしれません。
ピアノ協奏曲第2番
ピアノ協奏曲第3番
ピアノ協奏曲第4番
パガニーニの主題による狂詩曲
2023年は、ラフマニノフの生誕150周年の記念の年でした。
そのため、数年前から、2023年の生誕150周年に向けて、いろんなイベントが企画されていました。
市内を適当に歩いていると、ラフマニノフの展示に遭遇し、それで、展示を見たというのもありました。
さらに、10月には、ラフマニノフの生誕150周年を記念した展覧会をトレチャコフ美術館で行うというニュースもあり、忘れないように手帳の10月には、『ラフマニノフの展覧会』と書いたくらい、行く気満々の展覧会でした。
そして、10月。
10月1日にトレチャコフ美術館のホームページを見ましたが、ラフマニノフの展覧会に関する情報はありませんでした。まもなく始まる展覧会の情報もホームページに載るけれども、それもありませんでした。
ロシアだし、やる予定だったけれども、辞めたのかな?なんて思いました。
それで行く気がなくなった10月下旬。
10月27日から、新トレチャコフ美術館でラフマニノフの展覧会が始まったというニュースがあり、ラフマニノフの展覧会が行われていることを知りました。
たしかに、10月だけど、下旬始まりでした。
行きたい展覧会は、早いうちに行かないと行きそびれる可能性があると思っているので、早く行こうと思いました。
ところが、11月は、雨が多く、新トレチャコフ美術館まで駅から歩くから行くのが面倒だなあと後回しになりました。
その後、雪になっても、ВДНХで開催中の展覧会『ロシア』が楽しくて、またまた後回しになりました。
コロナ前は、毎週水曜日は無料になるから、行きやすかったけれども、今はそれがなくなったようで、余計に後回しになりました。
さらに、大雪になったり、-20度以下になったりすると、駅から歩く道がきついので、またまた後回しです。
後回しにしているうちに、最終週になってしまいました。
雪の予報が出ているけれども、もう行くしかありません。音楽ジャーナリストの2人目の義母も興味があり、「行くときは教えて。」と言われていましたが、予定をあわせている余裕はない時期になってしまいました。
それで、1人で行ってきました。
ネットでチケットを買わずに、美術館のチケット売り場で買いました。
ラフマニノフの展示は4階だと言われたので、階段を上りました。
4階ということは、常設展の途中にあるのかな?と、思いました。
以前は、厚紙のチケットでしたが、今は、レシートのようなチケットでした。
このレシートにQRコードがあり、展覧会の入り口には、QRコードを読み取る機械とともに、職員がいました。
チケットを買ったときに、4階と言われたけれども、常設展だし、どこにラフマニノフの展示があるのかを訊いたら、38と言われました。
館内案内図を見たら、38は、4階の最後の部屋でした。
常設展は、2017年7月と2018年6月と、すでに2回見ているので、見なくてもいいやと思っていましたが、入った途端、以前と展示が大きく変わっていることに気づきました。
そのため、常設展もしっかり見ようと思いました。チケット料金も払っていることだし。
しかし、展示品が多いので、カメラの電池がなくなって、38のラフマニノフの展示場所に着いたときに、写真を撮れないという状態になるのが嫌だったので、まず、ラフマニノフの展示を見るために、館内をひたすら歩くことにしました。
1番から順番に部屋を歩いていきます。
歩きながら、この部屋は、ヴォドキンだな、この部屋は、エクステルだな、この部屋はシャガールだな、この部屋はフィローノフで、以前と場所が変わったな、2018年6月の時は準備中だった部屋が、このようになったんだなあ、この部屋はカンディンスキーだな、この部屋はマレーヴィチだななどと思いながら、歩いていきました。
歩いているときに、以前は、展示されていたのに、今は展示されていない絵などにも気づきました。一時的に貸し出ししている場合もあるし、雨漏りがあったから、修復中になっているのかもしれません。
逆に、以前はなかったのに、今は展示されている絵もありました。
ラフマニノフの展示を見たら、もう一度1番の部屋に戻って、常設展も丁寧に見ようと思いました。
やっとラフマニノフの展示会場の38に着きました。
会場には、ラフマニノフの音楽が流れています。
クインジの絵です。
レヴィタンの絵です。
大学院の先輩が研究していた『鐘』の自筆譜です。
ガラス越しだし、反射してしまうし、照明は暗いしで、うまく写真に撮ることができませんでした。
プーシキン、トルストイ、チェーホフの格言が書かれたメモ帳と、説明が書かれています。
チェーホフ?と思って、写真を撮りました。
会場では、じっくり見ませんでした。この記事を書くために、もう一度写真をじっくり見始めた所、「プーシキン」の文字はすぐに読めました。
上から2つ目の格言がプーシキンです。また、一番下は、「ブーニン」かな?と思います。日本だとピアニストのブーニンを思い浮かべる人が多いかもしれませんが、このブーニンは、ノーベル賞作家のブーニンです。
そして、上から3つ目の格言は、トルストイかな?と思いました。しかし、筆記体が少しおかしいので、すんなりトルストイと読めません。
私の写真では、見にくいので、ロシア語で検索して、ロシア人でブログを書いている人のページを探しました。ブログを読んでも、説明書きの通りに書いているだけで、この筆記体を解読した感じはしませんでした。
しかし、写りがいい写真を見つけたので、パソコンの画面を明るくして、できるだけ拡大して、夫にも見てもらって、解読しました。
「上から3つ目の格言に、『каждая река』という文字があり、eの筆記体の書き方が今と違う形になっている。」と夫が言いました。革命前のつづりになっているなあと思う部分があることに気づきましたが、筆記体の形も今と少し違うのかと思いました。
100年以上前だから、インクも薄くなっているし、何といっても、夫が「こういう筆記体で読みにくい。」と言いました。
それでも、解読できた文字があるので、その文字から格言を探し、その後、作家にたどりつこうと、検索しようとしました。
すると、夫は、前後をもう少し読めていたようで、それも教えてくれました。
それで、『но каждая река бывает то узкая』と入れたら、すぐに分かりました。トルストイの『復活』でした。
そういわれると、『トルストイ(復活)』と読めなくもないです。ちょっと、トルストイの太字の部分の筆記体は謎ですが。
説明には、「プーシキン、トルストイ、チェーホフの格言」とありますが、1番上の格言は、どうやって見てもチェーホフと書いてあるように見えません。
このメモ帳は、何ページもあるから、このページではなく、他のページにあるのかな?と思いました。
そして、1番上の格言は、作者の名前であろう「Берд」までは、すんなり読めます。それで、「Берд」と検索画面に入力したら、予想で、「Бердяев」と出てきました。それをクリックしたら、ラフマニノフと1歳違いの哲学者のようです。
説明には、チェーホフの名があり、それで、写真を撮りましたが、よく見たら、チェーホフの格言はこのページに書かれていませんでした。ヤルタのチェーホフの別荘でラフマニノフは、チェーホフに会って、ピアノを弾いたこともあるので、たぶん、このメモ帳の他のページには、チェーホフの格言のメモも書かれている気がします。
ラフマニノフの手です。
イコンの展示もあり、なんだか、教会の中にいるような感じの設計になっていると思いました。
実は、ラフマニノフ展を目当てに、先に見ましたが、このラフマニノフ展だけ見て、帰ってしまった人がいるとしたら、もったいないと思いました。そもそも日本人で見た人はいないかもしれませんが。
というのは、私がもう一度、始めの部屋に戻って、他の作品を見ていたら、ロシア人のおばあちゃんも「ラフマニノフの部屋はどこ?」と職員に訊いて、他の作品を見ないで歩いて行きました。
まず、一度、ラフマニノフを見た後、時間に余裕があるのなら、最初の部屋から見て、ラフマニノフの展示をもう一度見て、それから、次の特別展(教会の修復の展示でした)を見ると、流れがものすごくよくて、単発でラフマニノフ展だけを見るよりも、また、違った印象になりました。
もちろん、ラフマニノフ展だけでも、展示会場は、ラフマニノフの音楽が流れていて、ラフマニノフの世界に浸れます。
それでも、順番に見ていくと、ロシア帝国、ソビエト、ロシアという美術や時代の流れを感じることができました。
美術館では、こういうことも考えて展示内容や順番を考え、より効果的になるように工夫していると思いました。
期間のぎりぎりでしたが、見に行って良かったです。
展覧会の案内のサイトはこちらです。
【4月1日の過去記事】
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