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【最近のモスクワ】2023年6月

6月30日の日の出時刻は、3:48。日の入り時刻は、21:17。
夏至を過ぎ、これから、日照時間が少しずつ短くなりますが、それでも、明るいこの時期は最高です。
6000字を超えているので、お時間のあるときにどうぞ。


散歩

義理の妹家族が来た時に、一緒に散歩をしました。
11歳の姪は、友達とショッピングセンター内にある映画館で映画を見ます。
8歳の甥は、この日、具合が悪く、病院に行き、家で寝ていました。
6歳の甥と3歳の姪と散歩です。
駅前の広場のメリーゴーランドは無料なので、大勢並んでいます。

甥と姪もおいしいピロシキのお店を知っているようで、「食べる」というので、義理の妹と一緒にパン屋さんに入りました。
値段は、45ルーブルか55ルーブル。義理の妹が「ゆで卵とねぎのピロシキがおいしいよ」というので、55ルーブルのピロシキにしました。
6歳の甥は、ジャガイモのピロシキ、3歳の姪は、キャベツのピロシキです。
この時、パン屋さんがレジの金額を間違い、義理の妹がクレームを言うときに、すごくスマートでした。

近所の公園には、このような回転式の遊具があり、6歳の甥は、グルグル回って楽しんでいました。

さすが、ガガーリンを生んだ国。回している私の方が遠心力に負けていました。

魚週間

5月下旬から6月上旬まで「魚週間」でした。

中心部には魚屋さんが登場し、独特な海の匂いがしていました。

11時からお店が開くようで、私が行ったときは、まだ閉まっていました。

本祭り

そして、楽しみにしていた本祭りに行きました。

快晴の日は写真を撮りながら散歩

ロシアの日に散歩に行きました。

ケンタッキーの名前が変わりました。

ソビエト時代に建てられた建物を見つけました。

下は、四角だけれども、上の部分は円形になっています。

さらに歩いていると、ソビエト時代のマークがあり、写真に撮りました。

他の場所のこの建物もソビエト時代の物です。

街を歩いていると、これは、革命前の建物、これは、ソビエト時代、これは、スターリン建築、これは、新しい物と見分けるのが楽しいです。

6月13日の21:33です。

晴天の日が多く、気温も25度くらいになる日がありました。

そうなると、散水車は、このように水をまきます。

こちらは、通常時の下向きの水まきです。

中心部を歩いている時も、散水車を見かけました。

信号待ちをしています。その時は、水を止めています。

信号が青になり、水をまき始めました。

写真に撮れたと満足した瞬間、水しぶきが飛んできました。

下向きより、上の方が水をまけるから、暑い日はこうすることは分かっていましたが、ものすごい飛散距離だと分かりました。
「なぜこの水まきをしているか分からない」と日々つぶやいている留学生がいましたが、モスクワは、日本と違って埃っぽいので、その埃をおさめるためにまくのと、暑い日に涼しくなるようにまいていると思います。
戦勝パレードで戦車が道路を通過した後も、埃がすごかったので、たくさんの散水車が水をまきました。
留学していても、現地の習慣とか理解しない人がいるのだなと思いました。

義母が帰省先から戻ってきました。帰省先の庭で採れたウクロープ(ディル)です。少し干した後、細かく刻んで、冷凍庫にしまっていました。

本当に快晴の日が多く、写真を撮りに行きました。クレムリンの周りを1周して、クレムリンの塔の写真をすべて撮りたいと思っていました。
これには、赤の広場が開いていること、快晴であること、クレムリン周辺が安全であることという条件が重ならないと写真を撮れないので、「今だ」と思って出かけました。
19日(月)です。

クレムリンの塔は、2つほど修復中で緑色のシートがかぶっていましたが、それは、あとで、修復が終わった時にもう一度撮りに行きます。
途中、信号が赤なので、真面目に待っていたら、近くにいた警官が「信号無視していいよ」と言うので、赤信号を渡りました。
クレムリンの通用口前の信号で、律儀に赤信号で待っていられる方が警備の都合が悪かったのかもしれません。警察官公認の信号無視を初めてしました。
最後の塔の写真を撮ろうとしたら、予想通り逆光でいまいちでした。別の角度から撮りたいと思って、進んだら、赤の広場に柵が設置され、警官がいて、赤の広場から人を出していて、新たに人を入れていません。
どうやら、19日(月)13時に赤の広場が閉まりました。
まあ、このように予告なく、いきなり閉まることはあります。逆光でもとりあえず写真を撮れたので、今回はここまでとしました。

2024年にカザンで行われる国際スポーツイベントのカウント時計です。

そして、赤い旗が目立ちます。

先ほどの、赤の広場の閉鎖は、22日の「悲しみと記憶の日」に備えての準備だと思いました。

1941年6月22日の未明、ナチスドイツが攻めてきた日で、毎年、この日は、プーチン大統領が無名戦士の墓に献花をします。それに向けて、赤の広場を閉鎖したと思いました。

チャイコフスキーコンクール

19日の夜には、チャイコフスキーコンクールのオープニングコンサートがあるので、モスクワ音楽院の前にも行ってみました。

チャイコフスキーコンクールの飾りもあります。

そして、チャイコフスキーの銅像前は、準備中でした。13時半では、早すぎたようです。

もう一度夕方に行く気はしないので、この写真で終わりです。

2019年は、58カ国から954人が出場し、今回は、41カ国から742人が出場しています。
日本のメディアによると、西側からの出場者が少ないという書き方でしたが、西側だけでなく、他の地域の国も出場していない場合があります。例えば、ブラジル、イラン、北朝鮮など。政治的というよりも、出場できるレベルの人がいなかったという場合もあると思うので、一概に西側が出場していないとはいえないと思いました。
2019年と2023年と出場国を1つずつ書き出して、比べてみましたが、それをここに書くと膨大になるので、辞めます。
あともう1つ、ウクライナからは、前回も今回も出場しています。ビデオ審査で落ちていますが、次のサイトで確認できます。


ピアノ部門の審査員を日本からは、小林秀子さんが引き受けてくださいました。
このような国際情勢の中、よくモスクワまで来てくださったと思います。
ライブ放送で見る限り、見るからに穏やかそうな顔をしていて、素敵な方だと思います。
初めて知ったので、どんな方なのかなと調べたら、なんと、1980年にモスクワ中央音楽学校を卒業されていたということを知りました。ロシア最高峰の学校です。ソビエト時代に、しかも、こちらの高校を卒業しているとは、それなら、ロシア語を忘れてしまったかもしれないけれども少し分かるし、実際のロシアも分かる方だから、今回の審査員も引き受けてくださったのだと思いました。その後は、ウィーン国立音楽大学を卒業されているようです。審査委員長が結果発表をするときは、ドイツ人の審査員が小林さんの隣に立ち、耳元でささやいていました。おそらく、ドイツ語で通訳をしていたと思いました。
このドイツ人の審査員は、作曲家のプロコフィエフの奥さんにパリで会ったと、休憩時間中に話していて、ものすごく興味深かったです。
審査員の中には、ベトナムの人もいて、その人もロシア語でインタビューに答えている映像が流れていたので、そこそこロシアに土地勘がある方たちが引き受けているのかなと思いました。

1次を聴き終わった時に、「あれ?この人の演奏聞き覚えがある。」と思った人がいます。
もしや、前回の2019年の時に出ていて、将来性がある人だから、一か所のミスタッチを大目に見てくれるといいなと、私が思った人かもしれないと思いました。
それで、前回のプログラムを段ボールから引っ張り出しました。
出場者の名前を見たら、思った通り、前回も出ていたイギリス人でした。
前回は、1次予選で敗退し、2次予選に進めませんでした。
そのイギリス人が4年後、もう一度出てきました。
しかも、1次予選の演奏は、かなりよくて、会場の客席が盛り上がっていました。
政治的にはロシアとイギリスは敵対していますが、会場のお客さんは、そんなこと関係なく、素晴らしい演奏だと盛り上がり、そうでないと静かに終わります。表裏がなく、感じたまま動きます。
順調にすすみファイナルまで行き、ファイナルの時の、チャイコフスキーの協奏曲を弾くときは本当に楽しそうに弾いていました。そして、今回2位になりました。
4年間の成長を感じられたし、本当におめでとうと思います。

日本人のピアノの弾き方は、独特過ぎて、本当に日本のピアノ教育が心配です。なぜ、体をあんなに動かすのか?顔芸があるのか?
国際大会を見るたびに、何かがおかしいと思うし、恥ずかしいと思います。

あと、協奏曲でオーケストラが伴奏をしているときに、汗を拭くのもどうなのかな?ともやもやしています。若い時は、手汗もたくさん出て、私も大学生のころは、ハンカチを持って舞台に行きましたが、それは、弾く前に鍵盤を拭いたり、手を拭いたりするだけであって、協奏曲を弾いている時も楽章の途中で汗を拭くことはありませんでした。

ファイナル最終日は、日本大使館の大使も会場で聴いていました。ちょうど、客席が映るとよく見える場所に座っていました。大使館職員が何人か聴きに行っていたようで、休憩の後は、席を交換したのか、前列に大使が座っていました。

【ピアノ部門結果】
1位 Давыдченко Сергей(露)
2位 Харлионо Джордж(英) Вонг Энджел Станислав (米)       Малинин Валентин(露)
3位 Корчагин Станислав(露) Папоян Илья(露)
4位 Ё Соа(韓) Мао Сюаньи(中)

シナモンロール

モスクワ市内には、いくつかのスーパーがありますが、その1つに「Да!(ダー)」というスーパーがあります。
毎週、ポストにチラシが入るので、チラシ商品を見るのを楽しみにしています。
そんなある時、シナモンロールが24.9ルーブル(約50円)というのがありました。
それで、試しに買いに行ったら、おいしかったので、チラシ期間中は品切れでない限り、1日1個食べていました。チャイコフスキーコンクールが始まった時期と重なったので、コンクールのおともに食べたくらいです。
チラシ期間が終わっても、29.9ルーブル(約60円)なので、食べたくなったら買っています。

騒ぎ

24日(土)の朝、起きたら、日本の知り合いや日本大使館からメールが来ていて、「? いったい何のこと?」と初めは分かりませんでした。
日本からのメールも「フェイクかもしれないけど、気を付けて」とあり、最近の西側のメディアは真実を伝えないと分かっている人たちも半信半疑で、心配してメールを送ってきたようです。
私は、すぐに、ヤンデックスニュースを見ました。
・モスクワ市内の卒業イベントが中止になった。
・大統領が演説をする。
・軍施設を占拠
などがありました。
日本からのメールと同じことを報道しているので、フェイクでないと思いました。
ただ、メディアは、第1ソースでないため、すぐに、クレムリンのホームページを見ました。そこに、大統領の演説内容が全文載っていて、フェイクでないと確信しました。
それと同時に、大統領が何を考えているのか分かったので、私は一安心しました。
その後も、日本の報道は、少し盛っていた部分もあるので、日本からは心配メールが相次ぎました。
一方、我が家では、義理の妹家族も来ていましたが、ニュースを知りつつも普段通りの生活をして落ち着いていました。
ソビエト崩壊を経験している大人たち全員は、慌てません。
チャイコフスキーコンクールも予定通り、普通に行われていたので、日本からのメールには、「チャイコフスキーコンクールのライブ放送がなくなった時はやばいと思ってと伝えました。その放送が続く限り大丈夫。」と。
その後、事態は急展開して、騒ぎは終わりました。

翌日実家に電話をかけると、
母「ニュースに赤の広場が出て、嬉しかったよ。」
母は自分が歩いたところがニュースに出ると喜びます。
母「外出禁止令が出て、赤の広場が閉まっていて人がいないって、やっていたよ。朝6時の映像だったよ。」
私「朝6時は、通常時でも赤の広場に人はいないよ。地下鉄は5時半に動き出すし、ロシア人は、朝ゆっくりだし。」
母「そうかね。外は明るかったよ。」
私「今は、3時半に明るくなるから、6時なら明るいよ。しかも、赤の広場が閉鎖されたのは、19日(月)の13時からで、今回の騒ぎが原因ではないよ。22日は「悲しみと記憶の日」で、24日は、高校の卒業式で毎年クレムリン周辺は厳重警戒で立ち入り禁止区域が増えるから。」

いやあ、本当に日本のマスコミは、何とかしてロシアを悪く報道したいようで、朝6時から赤の広場での取材ご苦労様と思いました。

ロシア語が分からない場合、ロシア語の情報を収集するのは大変だと思いますが、ニキータさんは、ロシア語の情報を収集し、それを日本語で分かりやすく説明してくれるので、こちらのYouTubeがおすすめです。日曜日と水曜日に更新しています。


騒ぎの余波

そして、この騒ぎを受けて、思わぬ余波がありました。
私が好きなポップ歌手のヴァレーリヤさん。

ヴァレーリヤさんの旦那さんの苗字が、この騒ぎの首謀者と同じだそうです。それで、苗字を変えたいと言い出し、それがニュースになっていました。たしか、ヴァレーリヤさんは、違う苗字です。
ロシアの法律上、苗字、父称、名前を変えたいと言って、手続きをすれば、誰でも変えられるようです。
しかし、日本の役所よりも大変なロシアの役所でわざわざ変えようと思う人はあまりいません。離婚、再婚が多いロシアですが、離婚するときに苗字を変えない人もいるくらい、変更手続きは大変です。
名前を変えたことによって、国内パスポート、銀行口座、年金番号、税金番号、保険証、家の権利書、車の免許証などなどの名前変更手続きが必要になります。
大変でも苗字を変えたいということは、よほどのことだと思います。
そして、私は、変えた後の苗字が何になるのか、ひそかに気になっています。

街で見かけたポスター

7月1日にルジニキで、モスクワスポーツの日があるので、そのポスターがありました。
アンナ・シェルバコワ。

アレクサンドラ・トルソワ。

よく見ると、入場無料と書いてあります。大勢が行って、小さくしか見えないかもしれないけれども、彼女たちの滑りを生で見たい気もします。

ネット中継があるのかどうか、もう少し調べて、行くか行かないか決めます。

調べた所、だいぶ前から宣伝していたし、フィギュアスケートは人気があるので、登録が終了していました。そのため、行きません。

スイカバー

日本のスイカバーより濃厚だったよと友達が教えてくれました。
いいタイミングでチラシ商品になったので、1つ試してみました。

本当に濃厚でおいしかったです。

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