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ふたりで痛い ふたりが痛い / 創作

普段は明らかに 薄い と思いながら飲むファミレスの珈琲も、想いを寄せている人と飲むとなればまた別の話で、ドリンクバーが特別だと思うのもこの瞬間だけだと思う。一杯目の珈琲が飲み終わったタイミングを見計らい、首を伸ばした彼女は黙って長い指をドリンクコーナーに向けた。「持ってこようか?」という誘いを断ってわざわざ二人で取りに行くことを選んだのは、その僅かな時間すら離れることが勿体無いと感じる私のわがままで、二人で行けるようにと対面に座る彼女が珈琲を飲むスピードを注視しながら、こっそりと合わせているのも私のわがままだ。
一台しかないコーヒーメーカーを前にして、互いの珈琲を注ぐ間に彼女がてきぱきとミルクをひとつ、ガムシロップをふたつ、手に取るのを見つめながら 甘い珈琲しか飲めないんだよね と過去に話してくれたことを思い出した。
私服に身を包みながら小さな空間で話し合う今、制服とスーツで差し向かいになっていたあの頃とは期間で言えば一年ほどしか空いていないけれど、もうテキストなんて存在しないし、90分間隔で区切られた時間も存在しない。

三杯目の珈琲を飲み終わるより先に積もる話なんて出尽くしてしまって ひとつのメニューをふたりで眺めて、季節限定のケーキを頼む。頂上に添えられたマスカットが皿の端に置かれているのを見ながら、歳下ながらに彼女のことを可愛いと思ってしまった。
気が付くと隣の席に座る高校生の恋愛話につられて、それらしい話に移った。ずっと聞けなかったプライベートを今から垣間見ることが出来るのかと思うと、ボタンを外すことと同じくらいの恥ずかしさを感じて、つい珈琲を多めに飲んでしまった。

「若いって良いよね」と遠慮がちに呟く彼女の声を聞きながら、私もきちんと 大人 として 彼女に認められているんだという純粋な喜びを感じて、何だかくすぐったいような気持ちになる。それとともに、私も彼女に選ばれるのかもしれない、ひょっとしたら彼女が見ている生活の先にもう既に私は潜り込んで居るのかもしれない。と余計な妄想までついて回る。
ケーキという緩衝材も相まって、3杯目の珈琲が飲み終わるまでに少し間が空いた。手持ち無沙汰になった段階で、私の中に内在する 伝えなければならない という想いに駆られて 「実は……」という言葉を吐き、その先は伝えられずに温くなってしまった手元の珈琲を掻き混ぜてみる、何かを察したのか察していないのか定かでもない、その間を縫うように彼女がするりと投げかけてきた話に思わず私は息を呑んだ。

" あの人の元カノになりたかったんだよね "

という彼女が指す「あの人」というのが、私の知っている人物の話だったからである。その人物というのも、彼女が働いていた学習塾の先輩講師であり、私が通っていた頃の数学の担当の講師だった。聞くところに拠れば、その彼には1年恋焦がれていて、つい先日も水族館へ出掛けたというではないか。待ち合わせ場所へ着いた時、お土産だと渡されたクッキーが右ポケットに大事に眠っている、そういうことだったんだ……と思う途端に今すぐポケットの中のクッキーを砕いてやりたい気持ちになった。彼女が彼に対して持ち合わせている想いも、また私が彼女に対して持ち合わせている想いも、本質的には何の代わりも無い。しかし、漕ぎ着けた場所で比べるなら話は変わる。水族館とファミレスにおける差はあまりにも大きく、純粋なダメージに他ならない。

彼が誘ってくれて、水族館からディナーへ行って、帰りがけの公園で二人で話した、それでも彼は好きと言ってくれなかったし、私は何も言えなくて、と言う一連の流れを汲み取る頃には返事も出来ないほどに疲れきってしまっていたし、カップの底に沈殿した液体も冷めきってしまっていた。彼女が少し心配そうに 「大丈夫?」と聞いてくるのを遮る形で、すんでのところで 「どうにもならないですよね」と返したのは、彼女自身が直面している状況に対する言葉なのか、自分に対する言葉なのか、どちらにせよ皮肉に近しいものだった。とにかくこの疼きを取り替えなければならない、とコーヒーカップをふたつ持って立ち上がった。飲み終わっていない自分の分の珈琲をシンクにあけ、彼女の珈琲を注ごうとカップを移動させる。だいぶ前に飲みきったのであろう、黒々とした珈琲の残りがカップの底を這うように、まあるくこびり付いている。席に戻って飲み干した珈琲は信じられないほどに薄く、ピリッという音を立てて剥かれたガムシロップの蓋の鳴きが、ふたりの間にカットを入れているようで私はやるせなかった。

「新しい出会いに興味なんて無くなっちゃった」とお互いに言葉を零して別れてから数ヶ月が経つ。思えば彼女が零し始めたあの言葉はかつて私が生徒であった時に彼から聞いたもので、私がプレイリストに眠らせているロックバンドのアルバムは彼女に教えて貰ったものだ。帰りがけに据え付けられた喫煙所で不意に彼女が呟いた 「煙草、良いかな」という言葉、その手に握り締められていた銘柄もまた彼が吸っているものと同じ銘柄なのかもしれない。1本だけ貰って、吸う。話の長さに伴って、互いに2本目に手が伸びる。ふたりで居るのに何処か寂しそうな顔をする彼女の横顔とよく似ている。

彼女が言いかけた 「またね」という言葉が 「また、会えたらね」に変わった。ポケットに入っていたクッキーを包装の上から握り潰して、駅の近くに添えられた植え込みの中に撒いて帰った。


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