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同窓会 / 創作

 成人おめでとうございます、と書かれたペラペラの紙を片手に近所のホテルへ向かう。何がめでたいのかも分からぬまま、空調で静かに揺られる垂れ幕を見つめているうちに成人式のセレモニーは終わっていた。日の暮れ方に同窓会の収集が改めて届くなり、脳裏に浮かぶのは決して良い性質のものではなく、運動部に所属する溌剌とした少年が自分へ投げかける心無い言葉と、それを見て笑う者の姿だった。悪態を付きながらも、母がこの日の為に卸してくれたスーツを見ると不思議と、行かないという選択肢も泡のように消えていった。

ホテルへ入ると、中学時代の友人が軒を連ねてエレベーターを待っていた。背は高くなり、大きな変化が伺える人、また当時とあまり変わらぬ人も居る。私にとっては何れの人間の眼の奥だけは、中学の頃のままに映って見える。

中学時代の私はある種 「いじめられっ子」だった。低い身長と、弄りやすさなどが格好の餌食だったのだろうか、クラスメイトは挙って私に冷ややかな目を向けた。弄りも段々と酷さを増し、ただただ流れてくるものに対して笑うことしかできなかった。積極的にアプローチを掛けてくる者はもちろん、周囲で見て見ぬふりをする者、笑っている者が大嫌いだった。取り分け、笑っていながらも寵愛を受ける者が大嫌いであった。

人の波に流されるまま、同窓生が集まるホールへと着く。自然と手に力が入り、じんわりと汗をかいているのが分かる。今すぐに引き返したい気持ちを抑えて、ホール特有の重い扉に手をかけた。人の声で包まれたホール内。開くと共にどっと音が流れて、耳殻を震わせる。ぐるりと見回すと、既にいくつかのグループで固まっているのが見えた。
初恋の人の顔に目が止まり、本人に悟られぬようゆっくりと見つめた。化粧っ気の強い顔と、装飾の多いジャラジャラとしたドレスアップの中に、当時好きだった彼女の面影は見当たらない。

気が付けば当時の教員も散るように居る。周囲には生徒が集まっていて、気さくに話し込んでいた。私が虐げられている様子を黙って見つめていた教員も、笑みを浮かべながら近況を語り合っている。ナルシシズムを煮詰めたような顔つきが変わっていなくて、とても話す気にはなれなかった。人の集まりを縫うようにして並べられた料理を手早く取り、会場の隅に設けられた椅子に座りながら手を付け始める。出てきたばかりだというのに、空調と二月の寒さに温くなっている。当時からゲラだった友人の高笑いを耳に通しながら、硬い角煮を咀嚼した。奥歯が軋むような感覚に苛立ちを覚え、瓶のコーラを流し込む。

「久しぶり〜!」

という声掛けに応じるまで、数秒の間が空いた。まさか私に話し掛けているとは思わなかったからである。皿に一度は落とした目線を上げると、懐かしい顔が覗く。私が虐められている様を嬉々として見ていた運動部の男だ。アルコールの力を借りているのか、顔は赤らんでいて、その目は笑っていた。
その瞬間、私は手に握っていたコーラの空き瓶を振り上げ、彼の頭に、と行きたいところだがそんな訳が無い。久方ぶりの面に明るく返すことに努めた。とは言っても、5年ぶりの再開である。話すこともあるはずが無い。二三言葉を交わしてあしらうと、よくある近況報告の流れになった。互いの大学、互いの今を、軽くなぞる様に話す。いざ話してみると、昔のことを気にしている自分が情けなくなるくらいの変容を感じた。彼もまた元気にやっていて、私もまた、別の地で元気にやっている。それで良い気がしたのである。将来の話を始め、自然と笑える程に話は弾んだ。ここまでは良かった。
昔話に差し掛かり、彼はひとりでに回想を始めた。3年に渡る、私を交えた思い出である。事実とは異なる部分や都合良くまとめられた部分を挙げていけばキリが無い。彼がビール瓶を煽る毎に、語りは速さを増す。こうして、長い一人語りを一言で締めくくった。

「楽しかったよな!」

当時から私が屈辱と感じてきた思いの数々を、事もあろうに簡潔で、楽観的な言葉でぴしゃりと締めくくったのである。急な流れの変化に五感が狼狽えて、喉が渇いていくのを感じる。残りのコーラを飲み干してみても、渇きは癒えていかなかった。純粋な恐ろしさたるものを感じて、角瓶を持ち出して外へ出てしまった。バッグの底に仕舞っておいた煙草と読みかけの小説本を脇に挟んで、エレベーターで一気に階下へと下る。

屋外に設けられた喫煙所へ向かった。表通り沿いの喫煙所は、別の集団に拠って占拠されている。いくつもの頭と紫煙が磨りガラス越しに見えたから、諦めて裏の喫煙所へと回った。
ベンチと灰皿 という表の構成とは異なり、裏のそれはバルコニータイプになっていて、椅子も南国チックな椅子である。ホテルの雰囲気に似合わないなと感じつつ、ゆっくりと腰掛けて角瓶を煽り始めた。舌にピリピリと来る感覚が、度数の高さを物語る。ものの数分で酔いが回る、拍動が早くなり、顔全体で波打つ血管の震えを感じた。あまり酒は強くなく、酔うと身体に出やすい私にとってはいつもの事だった。

茫とした眼を提げたまま、小説本の栞紐を外して、目を落とす。登場人物が煙草を咥えて火を点けるのに倣って、手元の煙草を咥えて吸うなどした。思い出話に花を咲かせる人々と、酔いに呑まれている人々で構成された狂騒から離れて読む本は心地が良く、ストーリーの練り上げ易さを感じて、更に酔いが回った。酒に対してあまり良い思い出は無いが、これが上手い付き合い方なのやもしれない。

読むスピードも早まり、緩くなっていた脳の動きにもハリが出てきた。情景描写に色が付き、音が加わる。酒を呑みながら、また煙草を呑みながらの読書は音楽鑑賞らしい部分もあるのでは無いかと訳の分からないことを考えた。音が加わってきた所で、何やら裏口が騒がしくなり始めた。数人の人間が、喫煙所に雪崩込んでくる。誰かと思えば、当時私を虐げていた者と、笑っていた取り巻きだった。中には当然、彼も居る。

「君も喫煙者なんだね」という会話が飛び交うと同時に、朱色の点滅が徐々に増えていった。私に話しかけて来た彼と同じく、皆当時の思い出に悪い局面など存在していなかった。ここだけを切り取って映像化すれば、瞬く間に素晴らしい、いかにもありがちな青春映画が完成するだろう。しかし真相はそんなに穏やかなものでは無い。所々注釈を入れたい気持ちがあったが、辞めた。
一頻り思い出を踏んだ彼等は話の行き先を「欠席者」へと向けた。彼は、また彼女は何故来ないのか、中学時代の印象と絡めながら枝を伸ばしていく。ごく一面的な意見での推量が始まったかと思えば、果ては嘲笑が始まってしまった。口々に悪口雑言を呟く者、それを聞いて茶化す者、それを、笑う者。 驚くことでもないが、当時の棲み分けと全く以て変わりは無かった。一番気になっていた彼の方を見やると、茶化しを入れつつ、やはり笑っていた。酔いが限界間近なのであろうか、茹でたように赤みを増している。

彼の泳ぐ目と、私の目が、合った。席を立ち上がったかと思うと、私が読んでいる本を見るなり、タイトルを読み上げて笑った。ここでは嘲笑うという表現の方が正しいかもしれない。「面白ぇ」という汚い言葉と、酒に塗れた笑い声はやがて周囲に伝播し、私が触れていなかった領域の記憶や記録が掘り起こされる。末尾まで細やかに聞き取るほど頭が機能せず、塊となって言葉が飛んできた。良い意味であろうと、悪い意味であろうと、昔のままだ。私には笑えない。そして面白くもなかった。


散々喚き倒した彼だが、遂に泥酔の琴線に触れてしまったのか、何も据えられていない空間に突然嘔吐した。嗚咽をする度にダラダラといった調子で液体が流れ出し、バルコニーの床目に固形物を弾いてゆっくりと滴り落ちる。すえたような匂いが鼻をついて、思わず本を閉じた。
キャパシティを理解しないままに酒を流し込む感じも、酔狂な彼のキャラクターから見れば理解が出来る。そう思うと、彼のことを私はよく観察していたのかもしれない。嘔吐する音を聞く度に、制服に身を纏った彼の言動や行動が思い返された。甲高い笑い声、私をあだ名で呼ぶ際にする顔、長身で華奢な姿。改めて感じた。私は未だに彼に何も返せていないことを。

驚くべきことに、彼が吐く様を見ているままで、誰も何もしない。ことは愚か、顔から血の気が引いていくのを見て笑いが零れ始めていた。まるで嘗ての私である。第三者視点で見る「嘲笑われる(わらわれる)」姿は、どんな時よりも惨めだがしかし不思議な程に面白かった。

思い立った。

私物を机に起き、彼の腕を肩に乗せてトイレへと向かう。のらりくらりする足元を上手く扱って、トイレへと連れて行く。いつかと変わらず彼は大きくて、重かった。個室へ彼を運び込み、背中を摩る。少しずつ身を捩って吐き戻す様を見届けた。ホテルのスタッフに頼んでコップに水を注いで貰い、彼の口へ運んだ。冷水に反応した身体は小刻みに震え、また吐き戻す作業が行われている。こうしているうちにも、誰一人として彼を見に来るものは居なかった。しかし、これで良いのだ。良いのである。

後ろ手に個室トイレの扉を閉めた。上を見上げる。彼の手にあるコップを取って、ペーパーホルダーの上に器用に乗せた。身体を支える左腕を引き抜くと、糸を切られた蜘蛛のようにその場へ倒れ込む。大きな身体でも倒れ込んでしまうとここまで小さく見えるものなのだ。唇が青く、呼吸は苦しそうだ。肩に付着した彼の吐いた残骸が気持ち悪かった。彼が苦しそうで笑っていないことを確認したその数瞬、咄嗟に私が笑ってあげなければと感じた。
母がホテルへ向かう前に磨いてくれた革靴。バーントシェンナのステッチが特徴的な、先の尖った革靴だ。まるでイカしたサッカーシューズのような迫力があった。私は精一杯の力を足に込めて、彼の腹へと蹴り込んだ。衝撃で口から漏れ出る吐瀉物。彼の為になるだろうか。申し訳程度にもう一度。彼がサッカー部であったことを思い出してもう一度蹴り込んだ。

 


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