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若い匂い、絶叫 / 創作

「でさぁ」と話し始める君が前傾姿勢になった時に、はらり揺れた黒髪の傍らに見えた絆創膏。白い首筋に少しだけ傾くように、V字に貼られている絆創膏の隅から赤い跡が見えた。
プールの授業にもなれば絆創膏は剥がれて、プールサイドの片隅でくるりと丸まっていた。露になったほんのりと赤い傷跡を見て女子の一部が愛のカタチだとか言いながらはやし立てている。
何時だか、ギターを弾く人ってなんか良いよね、と机の下でこそこそ、ピンク色の弁当箱をつつきながら談笑していた君を見て、父がかつてよく弾いていたギターの埃を払った。
SNSに上げたギター数秒、下手な弾き語りを見て、君もギターを弾くんだねから始まる数投の会話があった。翌日、教場、どんな曲を聴くのかという問いかけ、君が不意に前屈みになった時に昨日より少しばかり薄くなった首元が見えた。
結局のところギターを弾く人が良かったとかではなく、ただ君はギターを弾く彼が好きだったのだということを後々知ることになる。名前を聞けば、ああ彼か、と呟けるくらいの存在だった。 

陽気で天然な反面、何処か聡い音楽を聴く部分に半ば心酔していて、SNSに挙げられた音楽を聴くためだけにサブスクを入れた。面倒な月額料金の支払いも宛も無い未来への投資と言っても過言ではない。君が聴く曲を聴いているうちは君の傍に問答無用で居られる、くらいの感覚があった。
窓際から2番目の席に座る彼女は長く綺麗な黒髪をてきぱきと纏めてあって嫌味のない性格、スカートなんて折らなくても、髪を染めなくても、箱庭をぶち壊さなくても美しい形をずっと保っているし、それに沿ったような小綺麗な顔をしていた。安い学園ドラマにありがちな、いつでも集団で動く一軍なんて影は1ミリも無くて、人といる時間はもちろん、一人でいる時間も大切にしている、そんな人だった。性別という壁を抜きにしてもずっと憧れていたし、同性であってもきっと好きになっていたと思う。
委員会の仕事に絡んで話し始めたLINEも、本当にお粗末なものだ。殆ど君の内情を知悉しているというのに、いつだって画面の上では気の抜けたような、思い出にもならないような会話が続いている。喩えるならば12月の屋外に寝そべる胡乱気な空気感、懐いてくれない野良猫を相手にしているようでなんか嫌だった。
少しでも話を繋げようとして苦し紛れに話す音楽の話に対してすんなりと乗ってきたことを、返信の早さから察する。返事の勢いの強さは活字だけでも伝わってくる。面と向かって話していたらきっと身を乗り出して話をしていたんじゃないか、と考えるだけで態々活字で送ることもない、直接会えるまで待っていれば良かったと思った。

「音楽の趣味が同じなの、すごく意外で嬉しい」

放たれた文を改めて復唱する。「嬉しい」という言葉に対する喜びより、「意外」という言葉ばかりが気になって仕方が無くなる。数フリックで事足りる軽やかな文言、2人の間には隔たれた空間があることをたった2文字で感じ取った。たった2文字で心が傷付いてしまう自分に対して三人称視点の情けなさを感じる。心なんて形は無いし、身体の何処を探したとしてもそんなスペースは存在しないのに、意識してみるだけで胸の辺りが生傷を撫でるように痛んだ。彼女に縛り付けられるには2文字で事足りる。手懐けてやろうと思いながら君を覗いても、結局手懐けられているのは自分の方だった。
つい調子に乗って、誰に教えて貰った音楽なのかを聞いた自分がいる。何となく君らしくない君のルーツを知りたい一心だった。勝手な期待で親とか親戚とか、好きな俳優とかに影響を受けたなんて帰ってくるような気がしていた。むしろそう願っていたし、それ以上に祈りに近いものがあった。

「彼が教えてくれてね」
というひと言を皮切りに、擦りむいた程度の傷がみるみるうちに深くなっていくのを感じた。だらだらと流れていく血の色とだくだくと早まっていく心音を打ち消すかのごとく、イヤホンを嵌めて君が好きだと言った曲を大音量で流す。
よく知っている彼の裏の顔をまた僕はよく知っている。大勢の女友達を引き連れて下北沢へ行っていたことも、他校の女子生徒を得意げに品定めしていたことも、全部知っている。ごく自然に音楽の話から彼の話になって、言葉を返すまでに時間に開きが生まれる。あいつの事をよく知っているから、あいつなんて辞めときなよ、と言いたい気持ちをぐっと堪えた。彼を詰るという行為は彼女を詰ることにもなり得るし、そんなことをやったところで自分に靡くわけでもないということをよく分かっていたからだ。そんな手を使ってまで相手の心に少しでも詰め寄ろうとする行為の成れの果てはただの " 良い相談役 " というカテゴライズ、何の害も与えなかった自分自身より、後腐れや害を残しながらも付き合っている彼の方が何倍も上だということを分かっていたから、「彼はセンスが良い」なんて言うさもありげな返しがやっとだった。君を透過して聴いていた、君だと思い込んでいた音楽の先には彼が居る。それを認めていたということはひとえに彼を認めたということになる。2つ目のアルバムから聴こえる " 君の首元に " という歌詞、シャツの襟ぐりから飛び出した絆創膏、プールの授業で見えた赤色、耳に入る台詞は同じでも「憧れと思い出」というシチュエーションは大きな違いだ。その事実に気が付いた瞬間、端末の根元からケーブルを勢いよく引き抜いた。やっとの思いで生まれたもの達が、身体から流産していく。静かで冷たい部屋とは裏腹に、君の数件の返事に携帯が鳴き、手の温もりで温まっている。彼の話になるとよく喋るね、なんて皮肉めいた言葉が喉まで出かかる。指先で文字を打つ。冗談だよ、と送れば許してくれるかもしれない、なんて思いながらも言えやしなかった。

君が持っている幸せ、君が語る幸せ、僕はひとつ足りなかった。


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