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【短編】まだ世界はこんなにも美しい。
微熱だった。
ずっと全速力のような毎日に身体が参ってしまったのだろう。
重たい身体を起こしてシャワーを浴び、洗面台に立った。
ドライヤーをかけていると脇に置いた機械が
友人からのメッセージを知らせる。
延期にしていた予定のリマインドのようだ。
精一杯時間はつくっていても、一度に全てを叶えるのは難しい。
カレンダーを眺めると2か月後の候補日をいくつか見繕って送った。
出勤まであと30分。
気温を確かめるべく窓を開ける。
やや涼しい風が洗面所の空気を押し流し、目線の先に、公園と桜が見えた。
少し前にはつぼみだった桜は宴も竹縄と言わんばかりに少しずつ緑を付けはじめ、さらさらと”桜”を脱いでいるところだった。
ひらりと花びらが横切る。
今年こそはと思っていた花見。
その前も、その前も。
そういえば駅で見かけた美術館の企画展も過ぎてしまったし、
楽しみに買った本も高さを増すばかり。
私は。私は。私は。
ほんの数瞬の間消えていく春を眺めた私は欠勤の連絡をした。
欠勤の理由は風邪と熱に違いない。
しかし私自身も欠勤理由はわからなかった。
電話を終え、水で薬を流しこみ、窓に近づく。
初夏の香り。
夏の報せが優しく頬を撫でる。
外からはまだシルクを撫でるような風の音がした。
鳥の声、風の音。
こんなにも外は静かだっただろうか。
こんなにも外は心地の良いものだっただろうか。
ひゅるひゅると風が横髪を揺らした。
青々とした緑が光を浴びながら風に吹かれている。
はるか遠くから旅をしてきた風たちが雲とともに話を聞かせる。
話を聞く気になった私に嬉々として。
一際強い風が吹く。髪がなびく。目を閉じる。
まずはコーヒー。
そしてこたつを片付けたら、
出し渋っていた新しいスニーカーで葉桜見に行こう。
お気に入りのトートバックに三冊の本。
何も見ていなかった。
でも、いい。
きっと大丈夫。
まだ世界はこんなにも美しい。
了
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