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▲群馬・栃木への旅▲⑪国道18号・旧中山道の坂本宿を歩く
前回の投稿で、碓氷峠のめがね橋から国道18号の旧道を通り、旧中山道などの山越えの道と合流する麓の部分まで歩いてきました。今回はその続きを歩きます。そこには、旧中山道の坂本宿などがあるので、そのあたりを中心に歩きたいと思います。
(前回の記事はこちら)
今回も引き続き、国道18号沿いを歩きます。
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うっすら中央線が見えている気がするので、昔はこちらが道路で、
線形をちょっと改良したのかもしれません。
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国道18号沿いに、碓氷水道企業団の坂本浄水場が見えてきました。碓氷峠の豊富な水資源を生かした水道インフラ施設です。
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ここから山越えが始まる場所と言うことです。
丁度この場所に、碓氷新道(国道18号新道)の「1番カーブ」がありました。峠が始まる場所だったのですね。
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カーブの開始地点には、「これより碓氷峠 曲折多し 運転注意」との看板があります。
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旧中山道はカーブせずにまっすぐ進んで急坂を登ったようです。車を通すために作ったカーブの1番目が、「1番カーブ」だったということですね。安政遠足をした江戸時代の安中藩家臣たちは、ここから心臓破りの碓氷の坂道が始まるところです(笑)。
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選句を依頼し、書いてもらったものだとか。
松尾芭蕉の句碑がありました。句はこんな内容です。
一つ脱(ぬい)て うしろにおひぬ 衣かへ
「笈の小文」の中に収録されている句だとか。笈の小文では吉野を訪ねた際に詠んでいます。夏の衣替え(旧暦の4月1日だったようなので、丁度今頃ですね。)とは、本来は夏の着物を出す儀式をやっていたそうですが、旅人はそれができないので、2枚重ねで着ていた着物の1枚を脱いで後ろに背負うことで済ませよう、という意味の句だとか。
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水害が多い場所の橋があるところに作られたようです。
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坂本宿の北側の木戸のあった場所に、橋供養塔と常夜燈の石碑がありました。この宿場町は、中山道の碓氷峠の手前に位置する宿場町として江戸時代は栄えていましたが。鉄道の駅が横川にできてからは衰退しました。ただ今でも宿場町の雰囲気を何となく残す場所です。
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坂本宿は、真ん中に水路を流し、まっすぐ広めの街道を通す形で発展しました。広い道幅が確保できていてため、2車線の国道18号がそのまま真ん中を貫く形で通りました。
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ここは、俳人がよく泊まった場所のようです。小林一茶の句は
坂本や 袂の下は 夕ひばり
という句を残しています。この句も、本来は坂本宿から少し坂を登ったところにある、刎石山で詠まれたそうです。解説されているサイトを見つけました。
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ここは、本陣跡であり、小学校ができた場所でもあったようです。明治になってから古い町では、お寺などの大きな建物が学校として使われたのが少なくありません。本陣の建物を使うとは、何とも宿場町らしいです。
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右は、戦没者の慰霊・顕彰碑、左は・・・
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坂本町記念碑なるものを発見しました。中山道の宿場町として栄えていたものの、横川から軽井沢まで鉄道が通じたら急激に衰退した町。周辺の町と合併して坂本町を作り、国有林を払い下げて財政を立て直し、国道18号が走るようになって再び活気を取り戻したところで、松井田町と合併して町が消滅したことを記念する石碑、とあります。町に歴史あり、ですね。
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これも素晴らしい地域の自然崇拝です。
坂本宿の東側は、原村といいました。碓氷の豊富な湧水を取り入れて田畑を潤した水路が信仰の対象になっていたようです。説明看板に短歌が記されていたので引用します。
清き水 掬して喉を 潤へり 峠越えゆく 気のみなぎりけり
碓氷峠という大きな峠によって支えられた町。美味しい水も豊富で、それを飲んで旅人も頑張って山越えをしようとしていたようです。
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昔から水インフラを守ってきているようですね。
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おそらくこれが旧中山道なのでしょう。
いよいよ原村から横川の町に戻ってきました。
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雨が降って気なのでやむなく通過。
間もなく横川、というところですが、今回はここまで(笑)。次回は横川の町やその周辺を掘り下げてみたいと思います。
【終わりに】
国道18号と旧中山道坂本宿・原村を歩きました。坂本宿は古くから碓氷峠の前の宿場町で栄えたためか、俳人の句が多く残されていたりと、文学めぐりのようなものも楽しい場所だと思います。坂本町記念碑に書かれた内容が、この町の方々の思いを良く表しているとも思いました。石碑って、眺めているととても楽しいものです。
(続きはこちら)
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