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▼京都・伏見の鉄分高め散策▼③:伏見区内踏切を愛でる街歩き(後編:京阪電車は踏切天国)

伏見区内の鉄道街歩き。JR、近鉄、京阪が走るこの街。JR桃山駅から歩き始めたら、踏切を見て歩くのが楽しすぎて・・(笑)。最も踏切が沢山ある、京阪電車は、いわば「踏切天国」なのです。そんな京阪電車沿いに街歩きを楽しみました。(前回の記事はこちら)

■藤森駅からスタート

藤森駅から、ちょっと北側へ。藤森駅付近のすぐ東側には、琵琶湖疎水。そこに架かる橋は、

師団橋。

藤森駅は、実は元々の駅名は、「師団前」。旧大日本帝国陸軍の第16師団の本部があったのが、この街。伏見は戦前は「軍都」としても栄えました。そんなエリアの散策も、今回の街歩きでしていますが、そのご紹介は、次の記事でしたいと思います。今回は、京阪電車の踏切巡りをご紹介します(笑)。

■踏切巡りだけど・・立体交差からスタート

師団橋のすぐ横にある、京阪電車と交差する橋。南野田橋といいます。

この道は、もともと第16師団の軍道です。軍道は、鉄道との交差部に踏切を設けてはいけないため、立体交差していたとされます。この地区にはたまに立体交差の道路があるのは、そんな理由なのですね。詳細は、次回(笑)。

■京阪本線踏切めぐり(藤森→中書島)

〇京阪-1:藤森上手踏切

京阪電車の踏切のお名前は、踏切には書いてありません。そのすぐ脇の電化柱(架線柱)に書かれています。この写真の白いプレートで「藤森上手」と書かれているのが、この踏切の名前です。疎水沿いの車が通れないくらいの小さな踏切です。

藤森上手踏切です。

〇京阪-2:藤森踏切

藤森踏切は、藤森駅ホームのすぐ脇にあります。
こんな位置関係の踏切、結構好きです。
この生活感あふれる町中の踏切。
これが京都・伏見の踏切めぐりのだいご味。

〇京阪-3:藤森下手踏切

こちらも、人が通れないくらいの細かい踏切。
「上手」があるのなら、当然「下手」もありますよね(笑)。

〇京阪-4:藤森橋踏切

次の踏切も、小さな踏切。「藤森橋踏切」といいます。
隣の疎水に架かる橋と同名のようです。
疎水を渡る京阪電車。

〇京阪-5 高田図子踏切

次なる踏切は、「高田図子踏切」という小さな踏切。

「図子」とは、「ずし」と読み、「辻子」とも書きます。袋小路である「路地」に対し、別な通りに通じる小径のことを指す名称だそうです。ある意味京都らしい地名の残る踏切です。

〇京阪-6 墨染踏切

墨染駅は、出身高校の最寄り駅。この踏切は、高校時代に毎日渡った思い出の踏切です。今回の歩行中に、母校付近も探訪しました。その模様は、次回に報告予定です。

次の踏切は、「墨染踏切」。その名の通り、墨染駅前の墨染通りの踏切。
利用客も多いです。かつては駅構内にも踏切がありました。

〇京阪-7 丹波橋5号踏切

こちらは、琵琶湖疎水のインクラインの近くにある、小さな踏切です。

車が通れない、小さな踏切です。

〇京阪-8:山崎街道踏切

この踏切は、「山崎街道踏切」という名前がついています。

山崎街道、といえば、淀川右岸を行く、「西国街道」のことを指すようです。西国街道は京都から山陽道の方向に行く街道ですが、京都を通らず、桂川を渡り、山崎に抜ける街道があったのでしょうかね。と思って地図を見たら、この道は伏見駅の南側を西に伸びて、赤池のところで鴨川・桂川を渡り、そこから前回紹介した「久我畷」につながる街道のようにも見えます。そんなかつての脇往還の名前が、踏切についたのでしょうか。とするとなかなか興味深いです。

古い地図からは、「山崎街道」という名前にふさわしい道だったかもしれません。
踏切付近には、今は無い「山崎町」という地名もあります。

〇京阪-9:上板橋踏切

この踏切は、近鉄線との交差部に近い踏切です。

〇京阪-10:丹波橋通踏切

丹波橋通踏切。丹波橋駅のホーム端のすぐ脇にあります。
こんな位置関係も、伏見区の京阪電車のだいご味です。

〇京阪-11:下板橋踏切

こちら、下板橋踏切。丹波橋駅の南側にあります。
分岐器の途中に踏切があります。
かなり無理して踏切と軌道が共存しています。

〇京阪-12:京町踏切

この踏切、伏見区の京阪電車の象徴的存在、といっても良い踏切だと思います。京町通という、京都から奈良方面を結ぶ旧街道と、京阪線が斜めに交差する踏切。

京町踏切。旧街道とこの斜角で交差する踏切。
明治時代の地図から。丹波橋駅を出た京阪線はS字カーブを描きます。
まっすぐ進むと、お寺や御香宮があったので、避けた線形を採用したのでしょうか。

〇京阪-13:毛利橋踏切

そして、京町踏切のすぐ南側の道路にあるのが、毛利橋踏切。
その名の通り、毛利橋通りと交差する踏切です。

〇京阪-14:桝源踏切

桝源踏切は、伏見区の市街地にひっそりとある、
車の通れない踏切です。

〇京阪-15:大手筋踏切

そして、言わずと知れた、伏見区のシンボルロード、大手筋と
交差する踏切はずばり、「大手筋踏切」。
伏見桃山駅に停車した電車に手の届きそうな位置にある踏切。

〇京阪-16:大阪町踏切

伏見桃山駅の反対側も、同じくここまで近接しています。
踏切を閉じない限り、これ以上の編成増はできません。

さて、伏見桃山駅から、中書島駅にかけても、「踏切天国」は続きます。

〇京阪-17:呂ノ図子踏切

墨染駅付近の高田図子踏切に続き、2つ目の「図子」です。
確かに狭い路地の踏切、という感じを今もさせています。

〇京阪-18:立石踏切

立石踏切。名前の由来があまり想像できないです・・。

〇京阪-19:両替町踏切

両替町踏切も、やはり斜めに街路と横断する道路。

〇京阪-20:さぬき図子踏切

さぬき図子踏切。路地を横切るきめ細やかな踏切たち。
京阪特急がさっそうとカーブしながら通過します。

〇京阪-21:新町踏切

新町踏切。この辺りは碁盤の目を京阪電車が斜めに横切る形なので、
踏切がたくさん連続する部分になります。

〇京阪-22:柿木浜北踏切

隣の新町踏切とは、こんな近接した位置にあります。
見えている小学校は、伏見南浜小学校。
ここは、伏見の港町として栄えた地区です。

〇京阪-23:柿木浜南踏切

宇治川派流を渡る京阪電車。豊臣秀吉が築いた運河です。
そして、宇治川派流の対岸にあるのが、柿木浜南踏切。
踏切から見た、宇治川派流の鉄橋。なかなか圧巻です。
踏切の南側は、中書島駅の構内になります。

■京阪宇治線踏切めぐり(中書島→観月橋)

さて、街歩きも終盤に差し掛かりました。中書島駅に行って終わっても良いですが、実は京阪宇治線にもいくつか踏切があるので、少し覗いてみたいと思います。

〇宇治-1:葭島踏切

宇治線最初の踏切は、なかなか味わい深い踏切。
振り返ると、中書島駅が見えます。

〇宇治-2:平戸橋踏切

何とも言えないローカルな雰囲気の踏切、良いですね。

〇宇治-3:観月橋踏切

観月橋と言えば、旧奈良街道の流れを持つ、国道24号が宇治川を渡る橋です。昔から橋が架かっていたりした場所で、ある意味伏見の奈良方面からの玄関口でした。そんな場所は、今でも栄えています。

観月橋踏切。国道24号は立体交差する道路と、交差点・踏切を越えるルートの
2ルートになりました。観月橋駅がその場所にあります。
今までになかった、「踏切信号」がある、交通量の多い踏切。
明治天皇もいらっしゃったそうです。
昔の観月橋の高欄が活かされています。
「うぢがは」と書かれた親柱。

■京阪宇治線で中書島駅へ

最後に、京阪宇治線に1駅だけ乗車し、中書島駅に戻りました。長い街歩きのゴールです。

観月橋駅。ある意味伏見区っぽい名前の駅です。
京阪宇治線の電車。とっても懐かしい。
中書島駅に到着。かつては宇治線と直通運転を行っていて、
このホームでスイッチバックしていました。

そして、この写真に、一般人にはたどり着けない、「中書島駅構内通路踏切」が見えています(笑)。従業員の通勤用や、業務用の駐車場への通路の踏切のようです。

■最後に、もう1箇所踏切を通過。

最後に、中書島駅の西側にある、踏切をご紹介しましょう。

〇京阪-24:表町踏切

中書島駅のすぐ淀駅方向に行ったところにある踏切。
中書島駅のすぐそばにあります。

■終わりに

伏見区内にある、京阪電車の踏切、歩いた範囲内だけでも、本線に24箇所と、宇治線内に4箇所(そのうち1箇所は業務用)あり、まさに「踏切天国」といっても過言でない状況でした。とはいえ、踏切事故や、「開かずの踏切」の支障の問題などを抱えているため、少しでも踏切障害を減らしたいという国の政策も後押ししているようです。今回はマニア趣味的な目線で踏切を見ましたが、ある意味地域を分断しているというこの線路。これから20年たつと、どんな変遷を見せるのか、注目しながら見守っていきたいと思います。

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