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■丹沢・大山を歩く■③女坂・大山寺を歩く
前回は、大山阿夫利神社の下社と、そこにある多数の石碑や銅像などを紹介しました。本当に数えきれないほどの石碑を巡り歩きました。
今回は、女坂を下山しながら、途中にある大山寺を巡りたいと思います。
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下山するのが惜しいですが、これから下山。その前に「大山獅子」を紹介します。大山獅子は、昔から大山阿夫利神社のシンボル的存在でしたが、明治期の災害や、関東大震災の山津波で消失したものを平成25年に再建した、とあります。この山にも大きな災害の爪痕があるようです。
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大山阿夫利神社の石段に後を告げます。これほど石碑等がたくさん並ぶ神社も珍しいのではないでしょうか。
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女坂を下っていきましょう。
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大山寺に向かう途中で、女坂はケーブルカーのトンネルの直上を過ぎていきます。このあたりは、ゆるい坂のはずの女坂ですが、かなり急な勾配です。
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ケーブルカーは、何か所か橋梁があります。桁の傾斜の仕方などは、他の構造物とは比べものにならないくらいの急勾配です。
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ここは、話しながら通ると落下したり忘れ物をする言い伝えが。
大山寺にやって来ました。女坂は谷筋を歩いていくようです。無明橋という名前の橋が架かっています。
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大山寺の境内の少し上側に、トンネルが顔を出しています。古そうなトンネルです。少し寄り道してみることにしましょう。
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林道阿夫利線という林道の終点にある、阿夫利隧道。今も大山寺の関係者などに利用されているようです。
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大山寺。昔は、大山阿夫利神社(下社)があったところに大山寺はありましたが、明治維新以後の廃仏毀釈により、寺は一旦廃寺になりますが、ここに再び再建されました。
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本堂の横の塔を見ていたら、「東京都 土木建築 有志」が建てたようで、発起人の名前が記されています。一番右の「近藤宇右衛門」は、初代の東京土木建築業協会(今の東京建設業協会)の頭取だったようで、東京の建設業の請負者達の組合が、この建設に深くかかわっていたようです。
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松尾芭蕉の句碑がありました。芭蕉もこの地をパワースポットのように思っていたのでしょうか。
少し寄り道して、ケーブルカーの大山寺駅に向かってみます。
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【奉納 昭和63年 株式会社 吉野工業所】
この橋は、一人の民間人が寄進した橋のようです。
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橋には、「菊川橋」とありました。すぐ横に石碑がありました。内容が印象的だったので引用します。
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東京大空襲の悲惨 昭和20年3月10日
焼夷弾の紅蓮の猛火は、首都東京を約2時間30分で焦土と化し、幾萬都民の命を奪いました。江東区と墨田区の境にある菊川橋も、伏屍累々、昨日まで元気であった隣人たちのむごい焼死体が重なり合っていました。私の姉と甥も犠牲者の一員でした。此の程、菊川橋の改修に際し、東京都より橋材の一部を貰い受け、「災難身代り」と言われるこの十一面観音様の境内、参道に使用していただき、プールに身を漬け、万死に一生を得て今日ある私共夫婦は、終生のおつとめと信じて諸精霊供養の一端を果たしたく願うのであります。 合掌謹言
昭和63年8月 東京都江東区 株式会社吉野工業所 吉野彌太郎
吉野工業所は、ペットボトルなどを作る会社で、吉野彌太郎氏は、その創業者のようです。道中で素晴らしいものを見せていただきました。
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ケーブルカーの大山寺駅に到着。利用はしませんが、少し見学(笑)。
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ケーブルカーの中間駅。何人かの人の乗降がありました。今回はケーブルカーに乗車しませんでしたが、次回は是非乗ってみたいと思います。
今回はここまで。次回はここから再びこま参道を目掛けて女坂を下っていきます。
【終わりに】
大山寺をめぐる下山道。ひっそりと現役の林道の古いトンネルに出会ったり、土木建築請負業の人たちが建てた塔や、東京大空襲で被災した菊川橋の昔の橋名板など、土木屋にとっても興味深いものにいくつも出会えた道中でした。味わい深いウォーキング、まだまだ続きますのでお楽しみに(笑)。
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