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▲群馬・栃木への旅▲④足尾本山に向かう道

わたらせ渓谷鉄道に揺られて、栃木県日光市の足尾の町に来ています。足尾銅山とそのおひざ元の町を歩くのは、とても楽しいです。もう少し歩き進めて、間藤駅のさらに奥にある、足尾本山の方向に向かいました。
(前回の記事)

間藤駅からさらに上流に向けてスタート。
駅のお向かいには、工場があります。
古河キャステックと言う会社です。

古河キャステックの工場が駅の向かい側にあります。もともとは鉱山機械の修理部門から派生した会社だとか。そういえば、日立製作所も元々は鉱山の修理部門から独立した会社だったはずです。鉱山があるということは、こういう関係産業も発展する場だったのですね。

間藤駅から上流側に伸びている廃線跡。
下間藤の集落です。
少し脇道に入ると、古びた建物が。炭鉱住宅の跡地でしょうか。
浴場の跡地を倉庫として使っていたようです。
上の平橋という橋。その下には・・、
廃線跡が横切っています。
廃線跡の踏切。
美しい廃線跡の風景。
間藤駅方面に伸びる廃線跡。わたらせ渓谷鉄道が管理しているようです。

下間藤の集落を越えると、廃線跡が道路を横切ります。踏切の警報器が残っていて、廃線ムード満載です。

その先にある松木川の鉄橋が残っています。
松木川を渡る廃線と交差する、もうひとつの廃橋が。こちらは歩道橋。

廃線が川を渡る場所に、もう1本廃橋があります。こちらは歩道橋のようです。鉄道橋とかなり低い高さで立体交差します。この道がどこにつながっているか、なぜ廃橋になったかは、後で訪れる場所に関係ありそうです。

地上から斜めに生えるように出ている鉄管。水力発電所の遺構だとか。
間藤水力発電所という発電所でした。
この斜面を水が勢いよく流れていたそうです。
古河の境界杭がありました。

間藤水力発電所の遺構がありました。ここは、足尾銅山を所有する古河財閥が、ドイツのシーメンス社の助言をもらって作った発電所だとか。
ちなみに、古河グループの会社に、「富士電機」「富士通」がありますが、実は「古河」と「シーメンス」の合弁会社で、それぞれの頭文字「ふ」「し」を取った富士電機ができ、富士通はその通信部門が独立したものです。一つの大企業の設立の経緯を見ることができました。

上間藤の集落。正面に見えているのは、黒檜岳。その裏側は、中禅寺湖です。
昔は足尾で一番賑わっていたそうです。

上間藤の集落を歩きます。当時は一番賑わっていた集落とのことですが、今は静かな街村という雰囲気です。


松木川に架かる橋。あまり使われていないようですが、渡れるので渡ってみます。

上間藤にある橋。対岸には何があるのでしょうか。渡ってみましょう。

下流側を眺めます。いい景色です。
上流側はなかなかな絶景です。
この橋を渡った先に、もう一つ鉄橋が。廃墟のようになりつつある場所です。

廃墟のような対岸。橋を渡るともう一つ鉄橋が。そこにあるのは・・、

美しい廃線跡が斜めに横切っています。リベット留めの鉄橋も見事。

廃線跡でした。そしてその反対側は・・、

廃線跡の見事な廃トンネル。

廃線跡が、トンネルでさらに上流側に伸びている様子が見られました。
そして、この道の行きつく先に、もう一つ小さな橋が架かっています。

沢を渡る古い橋。橋の名前は・・・、
学校橋!
昭和16年9月竣功の文字があります。

ということで、この道は、学校に向かう道だったのです。

突き当りに現れる、学校の校舎。

学校の校舎が現れます。ここは、旧・本山小学校跡です。

【足尾町立本山小学校 創立百周年記念 平成4年10月6日
栃木県副知事 大江敏夫書】

明治時代から続く、伝統ある小学校だったようです。

学校の入口に、「閉校記念碑」がありました。
平成17年3月31日に閉校したとあります。

閉校記念碑に、校歌が記されています。旧校歌を引用します。

自然の秘めし銅の 山の恵みに幸うけて
永久に栄ゆる学舎の 歴史は長き本山校

厳冬酷暑ものかはと 心身ともに練り鍛え
学びの道にいそしみて 磨くは玉の真心を

教育の勅語畏みて 質実剛健華美を去り
務め励みて諸共に 御国の錦織り成さむ

鉱山の恵みを受け、厳しい自然の中で学んだ歴史を感じる歌です。

石碑の裏に、小学校の歴史が刻まれていました。

小学校の歴史、このような感じです。一部引用します。

本校は、足尾銅山の発展に伴い、銅山の従業員の子弟のために古河足尾銅山が設立した私立小学校を前身とする学校です。
 明治25年 私立足尾銅山尋常高等小学校 として設立
 明治40年 向間藤(今の場所)に校舎を移し、地域の子供も通える学校とした
 昭和14年 校歌を制定
 昭和22年 新学制により、公立となり、足尾町立本山小学校となる
 昭和53年 新校歌制定
 平成4年 創立100周年
 平成17年 閉校

元々が、古河の鉱山労働者のための私立小学校が前身の小学校です。先ほど話題にした、廃線跡と交差した古い廃橋も、この小学校に続いていたと思われます。あの橋は、おそらく下間藤の集落の子供たちが、この小学校に通うための橋だったのではないでしょうか。通学のための立派な土木構造物、いいものを見させてもらいました。

小学校の玄関を眺めて、間藤駅に引き返すこととします。
小学校への道の分岐点。何となく校門っぽいものもありました。
蔵のある古い家がありました。

間藤駅付近に戻ってきました。川沿いに趣のあるところがあったので、少し寄り道。

古びた橋が架かっていますが、工場敷地内のようなので、近くには寄りませんでした。
人知れず小さな祠がありました。ここも企業内神社だったのでしょうか?

古い橋や神社もありますが、どうやら工場の敷地の端っこに来てしまったようなので退散しました。

そして、間藤駅に到着。

桐生駅の列車が到着。
間藤駅の駅名標。

長い足尾の町の探索が終わりました。今回はここまで。次回は、わたらせ渓谷鉄道の看板列車である、トロッコ列車を利用し、沿線の車窓風景を楽しみ、それから群馬県内の旅へ続きます。

【終わりに】
足尾の町。上間藤まで行きましたが、さらに上流の本山に行くと、また素晴らしい構造物を見ることができますが、今回はここまでで引き返しました。素敵な廃線跡や、美しい小学校の廃墟など、みどころはたくさんありました。
次回は、わたらせ渓谷鉄道のトロッコ列車に乗り、鉄道に揺られていきます。(つづく)

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