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▲群馬・栃木への旅▲⑫横川の町を歩く
碓氷峠の廃線跡のアプトの道を歩き、帰りには国道18号と旧中山道の坂本宿を歩いてきました。碓氷峠という場所が、歴史ある難所であったこともあり、様々な時代の興味深いものが眺められる散策コースでした。
(前回はこちら)
今回は、再び戻ってきた、横川の町を紹介したいと思います。まずは、いつもの今昔マップで横川駅付近を見てみたいと思います。
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横川付近は、昔は「碓氷郡臼井町(うすいぐんうすいまち)」だったのですね。横川駅を出た国道18号は、碓氷川の支流である霧積川を渡ります。霧積川はこのあたりではとても谷が深く、ここで渡るのはちょっとした大きな仕事となります。鉄道の線路は、霧積川を橋で渡るのを避けて、また坂本宿付近で急勾配とならずに山が登れるように、川を渡らずに対岸を通るルートを選定したものと思います。まずは、霧積川の対岸からスタートします。
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いきなりですが、右側の石段を少し登ったところに石碑があります。個人のお宅の庭先に面するようなところなので、少し失敬しながら見学です。
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碓氷郡新道碑と言う石碑でした。碓氷郡郷原村(今でいう磯部駅と松井田駅の中間くらいの場所)から横川までの新しい道を作ったという石碑。明治10年(1867年)に起工、明治14年(1881年)に竣工した工事のようです。立派な石碑ができるほどの大きな道路だったのでしょう。石碑には、初代群馬県令の、楫取素彦の名前があります。
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国道18号の旧道が坂道を登る途中で、碓氷バイパスはまっすぐトンネルに突入します。自動車専用のバイパスからは、こんな感じで見えます。
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坑門の扁額だけが旧道からしか見えない、ちょっと不思議なトンネルでした。
さて、霧積川を渡りたいと思います。
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背後に直線状に見えるのが、信越本線の廃線跡(トロッコが走っている)です。
この写真を見ても、鉄道がここで霧積川を渡ると、かなり大掛かりな架橋が必要な上に、坂本宿は坂の上にあるので、大規模土工事が必要になるから、対岸を高度を稼ぎながら進み、丸山に変電所と信号所を設けて、そこから狭くなった霧積川の上流で渡るというルートが合理的だったことがわかります。このせいもあってか、坂本の町が衰退することになってしまったのですが。
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霧積川を渡り、横川の町に入ったとたんに行列が。聞いていたちょっとした地元での有名店が出現したので、並ぶことに。
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地元の人が推していて並んでいる名店、関所食堂。鉄道の町で支持されてきたラーメン屋さんだとか。
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柴崎恵五さんという方の功績をたたえる石碑です。
碓氷馬車鉄道の石碑。横川から軽井沢まで、鉄道が開通するまで結ばれた短命の馬車鉄道。これを記念する記念碑を建てたのは、「うすいの歴史を残す会」という、柴崎恵五さんという方が会長をされている団体のようで、平成9年の碓氷峠の線路が廃止されてから衰退しかかった横川の町で、歴史を残す活動を続けられているとか。現代にも石碑を作っている活動、なかなか素晴らしいと思います。
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歩くのが楽しくなります。
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碓氷峠鉄道文化むらは、一般客でも体験回数に応じて実際の機関車を運転できるのが特徴の場所です。何度となく機関車が往復しています。
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招魂碑と鎮魂碑です。
碓氷線の鉄道建設で亡くなった方の慰霊碑です。左側は、先ほど紹介した、「うすいの歴史を残す会」が建てた鎮魂碑、右は人知れず残されていた鹿島組の鉄道建設で亡くなった方の忠魂碑です。
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碓氷関所を訪ねました。ここは、碓氷峠の手前に設けられた関所です。今は道路交通に支障にならない場所に建っていますが、昔は中山道に建てられていました。今は記念館があり、丁寧にご説明していただきました。
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明治時代に、関所を壊すように明治政府から命令された際、関所の部材は地域の方が密かに持ち去り、蔵の中で大切に保管していたとのことです。それを戦後になって部材を持ち寄り再建したものだとか。明治時代にほかの関所では破壊されてしまったので、当時の部材が残るのはとても貴重なのだとのことです。
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上毛かるたを次世代に、というフレーズが印象的。
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小さな橋に、「県道 西野牧横川停車場線」という銘板がありました。西野牧横川停車場線とは、今は県道松井田軽井沢線という名前の道路で、碓氷峠の南側の峠を越え、軽井沢までつながる道路(県境付近に上信越自動車道の碓氷軽井沢ICがあり、そこから軽井沢を結ぶ道路)となっています。中山道に関連するものと思いましたが、ちょっと違うのですね。
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木曽の御嶽信仰がここにもあったのでしょうか。
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昔の釜めしの立ち売りしていた頃の写真や道具などを見られました。
おぎのやのお店を見て、ようやく横川駅に戻ってきました。
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横川駅の構内に、カラーマンホールがありました。信越本線開業135周年 横川のまちに汽笛は鳴り止まない、というメッセージがありました。廃線ウォークを主催されている皆さんが努力して設置されたものだそうです。
■旅の終わり■
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旅の終わりに、少しばかり高崎駅に寄り道。2日間の旅行で最も都会的な風景となった場所です。
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二階建ての中から雨の夜の車窓を眺めています。
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高崎の町を少し散策し、お弁当を買って湘南新宿ラインのグリーン車に揺られながらゆっくり帰りました。大満足の旅行でした。
■終わりに
群馬・栃木への旅、とても充実した2日間でした。1泊2日とは思えないくらい、沢山の体験をしました。訪れた場所はどこも素敵な場所ばかりで、ほんの少し訪れるだけでなく、もっといろいろと歩き回りたかったです。そんな中でも、内容の濃い散策ができたと思います。
最後に訪れた横川の町も、鉄道の町だけでなく、関所がある場所でもあり、またその歴史を大切にする人たちがいることがよく伝わってくることが、素晴らしいと思いました。
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