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踏切をめぐる楽しみ ~JR南武線沿いに歩く①:「営団前踏切」を訪ねて~
踏切って、車で走っているとドキドキさせられることが少なくありません。歩いている時も、遮断機が鳴るのではないかとドキドキしながら歩くことも少なくないかもしれませんが、電車が好きな身にとっては、踏切を渡るのが楽しかったり・・。
実は、もう一つの楽しみ方として、「踏切の名前を見て歩く」ということがあります。踏切の名前は、今はもうない地名等が残っていることもあり、とても興味深かったりします。今回は、京王相模原線の京王多摩川、京王稲田堤駅周辺を歩いた際に、南武線の矢野口駅から中野島駅にかけて踏切を訪ねましたので、そのことを書いてみたいと思います。
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ということで、この探索は、実は前回ご紹介した、対岸の京王多摩川駅周辺から、多摩川原橋を渡るところからスタートします。(前回の記事はこちら)
■多摩川原橋を渡る
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6月の休日にしか運転しないよみうりランド行き、のみ。
バス停の名前も、「多摩川橋」バス停と、微妙に違いますね。
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水道橋の径間が違うため、アーチの大きさが場所ごとに違うのが特徴的。
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稲城市内の通常の風景なのです。。
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ここは実は都県境、という場所です。
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左は、神奈川県川崎市、右は、東京都稲城市のマンホールです。
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踏切の名前、「営団前」とありますが・・。営団と言えば、つい平成までよく名前を聞いたことがある、「帝都高速度交通営団」(今の東京メトロ)を連想しがちですが・・、どうやらここでは、住宅営団という組織が関係していそうです。
住宅営団とは、関東大震災の復興のために住宅建設を始めた同潤会の事業を受け継いで、太平洋戦争が激化した時期に良好な住宅地を供給するための組織でした。戦後・現在のUR(都市機構)のお手本になった組織と言われています。
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営団前踏切の前に、大きな団地があります。この団地は、川崎市営菅芝間住宅という名前の団地です。
ただ、菅芝間住宅は、昭和33年に造成が始まった住宅地です。住宅営団は昭和16年から21年までしか存在していないので、時代的にはこの団地=営団住宅、ではなさそうかもしれません。ひょっとして、住宅営団の時代に土地を取得していて、昭和30年代になってから造成が始まったような経緯なのでしょうか?そのあたりはよくわかりません。
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何だか公団住宅っぽい形をしていますね。
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高層住宅に衣替えしたことがわかります。
今の団地は、菅芝間住宅の元の姿ではなく、最近になって新しく建った団地なのだということも、航空写真を見ていてわかりました。踏切の名前を訪ねるだけで、地域の歴史が見えてくるのですね。
■終わりに
踏切の名前を訪ねる街歩き。「営団前踏切」というような、謎めいた踏切の名前が出現すると、それを紐解くという楽しみまで出てきます。これまでの街歩きでも、八王子駅近くにある、「小野路街道踏切」や、新宿駅近くの都心にある、「厩道踏切」など、面白い名前の踏切を巡ってきました。この楽しみを始めてしまうと、全国いくつもそんな場所がありそうで、どんどん沼にはまっていきそうです(笑)。
ということで、次回も引き続き、この近くにある踏切を探訪していますので、それをお伝えしたいと思いますので、お楽しみに。
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