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<新宿駅からぶらり街歩き>③玉川上水、甲州街道付近を歩く

新宿駅周辺を街歩きした記録、ここまででは、新宿西口からスタートし、時計回りに歌舞伎町、新宿三丁目、代々木駅付近を歩いてきました。
(前回の記事はこちら)

今回は、甲州街道と玉川上水付近に焦点を当てたいと思います。

■玉川上水を歩く

葵橋があったことを伝えるモニュメント

新宿駅南口の甲州街道の西南角の交差点を一筋南に行ったところに、葵橋のモニュメントがあります。道路標識は、14tの制限標識。見る人が見れば、水路の跡で、暗渠になっていることがすぐわかります。14t制限がかかっているということは、暗渠の土被りが薄く、重い荷重を載せられないからと推察されます。ここは玉川上水の水路跡です。玉川上水は、江戸時代に羽村から四谷の大木戸までを開削された人工の水路です。江戸の町が発展するのに不可欠だった、歴史的土木インフラです。今では暗渠となり、そばを走っていた京王線の線路と一緒に地下化されています。植込みの中からは、時折電車の走行音がします。換気塔がいくつかあるようです。

千駄ヶ谷橋のモニュメント。この道は前回紹介した、青山街道です。

千駄ヶ谷橋のモニュメント。前回紹介した、JRと小田急の踏切があった青山街道が交差しています。千駄ヶ谷は青山街道を南に進んだ先にあります。ここは甲州街道のすぐ脇(青山街道の起点に当たる場所)なので、青山街道の行先が橋の名前になったのでしょう。

こちらは、昔の橋の親柱かも

千駄ヶ谷橋の反対側には、こんなものが残されています。現役時代の橋の親柱部分が残っているのでしょうか。

文化服装学院の前にある、玉川上水の暗渠のモニュメント
玉川上水の記。このアーチは、JR新宿駅ができた際の線路横断暗渠のモニュメントだとか。

文化服装学院の前に、玉川上水のモニュメントがあります。これは、明治時代にいまのJR新宿駅が開業する際に鉄道横断部を暗渠化した時のアーチをモチーフとしているということです。この部分は歩道がすごく広いですが、おそらく地下には玉川上水と京王線が走っているのでしょう。

文化学園の西端に建つ、天神橋跡のモニュメント

こちらも玉川上水の天神橋跡。

甲州街道の脇に、小さな天満宮と、箒銀杏があります。

箒銀杏を説明する看板
マンションの壁際に大きな銀杏の木。街中に残るパワースポット

このイチョウの木は、樹齢300年くらいと推定され、玉川上水の水に育まれたとされています。「天満宮」は明治時代に代々木八幡に移動し、合祀されたそうですが、小さな祠が残っています。天神橋は、この神社の名前が由来とのことです。

初台駅方面にもう少し歩きます

初台駅に向けて少し足を進めます。このあたりは、昭和38年頃まで地上に京王線が走っていた雰囲気が残ります。左の金網の後ろに変電所があり、短期間だけここから新宿駅までが先行して地下化され、すぐに幡ヶ谷駅付近まで地下化されたとのことです。

今昔マップで1960年代の西新宿の航空写真のと比較

今昔マップで見比べた、西新宿周辺です。浄水場が広がっています。玉川上水と京王線も、まだ地上にあるのが見えます。西新宿のガスタンクも見えます。

首都高の新宿出入口

首都高の新宿出入口の分岐部。なかなかいい景色です。後ろの高層ビルは、新宿パークタワー。昔は西新宿のランドマークだった、ガスタンクがあった場所に立っています。なので今でも東京ガスの関係施設が多く入っています。

角筈区民センター前の交差点から、都庁と中央公園を望む

角筈区民センターの前の交差点に来ました。この付近はいまでは西新宿ですが、昔は角筈(つのはず)という地名でした。区民センターの名前に地名が残っています。ここから西に延びる道路は、水道道路と呼ばれ、写真に写っている新宿中央公園から都庁・副都心付近に広がっていた淀橋浄水場に水を供給するための玉川上水の分水路を流した上にできた道路です。初台の近くには、地形の関係で交差する道路がトンネルのようになっている場所もあります。ある意味この角度で、東京を潤す水がどんどん流れていた時期があります。

今回はここまで。次回は新宿中央公園や十二社池の跡などを巡りたいと思います。新宿の街歩き、見どころが多すぎて楽しいです(笑)。

■終わりに

玉川上水の水路跡は、今ではすっかり市街化された感じもありますが、橋のモニュメントが残っていたり、電車が走っていた頃が想像できるスポットがあるなど、じっくり歩くと見どころがたくさんあるところです。玉川上水は、43kmも離れた羽村市から、はるばる新宿まで地形的に尾根になるところを選んで流れており、江戸時代の土木技術のすごさに驚かされます。このあたりでは、玉川上水のある「尾根」が境に、北が神田川、南が渋谷川の流域を分ける分水嶺にもなっていて、一部は谷筋の河川に分水され、農業などにも使われていて、当時の一大総合開発土木事業であったといえるでしょう。その上水のほとりにあった天神様や、水路沿いを走っていた京王線の路面電車、青山街道の千駄ヶ谷橋など、当時を想像すると楽しい街歩きができると思います。

続きはこちら。


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