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△乙訓さんぽ△⑧:向日町駅周辺を歩く

実家近くの乙訓地区。学生時代までのいつもの街は、とても興味深い場所だらけでした。そんな乙訓地区の散策を終え、これから今住んでいる八王子に戻ろうとするその前に、少し時間ができたので、今度は向日町駅の近くをちょっとだけ歩きたいと思います。
(前回の記事はこちら)

■今回の探索場所

今回の探索は、JR向日町駅の西側付近です。駅前を走る道は、旧西国街道。向日町駅は、明治9年の鉄道開通時に開業した駅です。駅の西側に小さな川が流れています。

向日町駅周辺。旧西国街道が交差する地点に駅があったのですね。
今は少し北側で車道が線路と交差する形に変わっています。

■向日町駅周辺を歩きます。

まずは、JR向日町駅からスタート。
西国街道。昔はもっと狭くて旧街道っぽい道でしたが、
最近拡幅され、車で走りやすい道になりました。
「浄土門根元地 粟生光明寺道」の石碑があります。

向日町駅から少し歩いたところに小さな橋が架かっていて、そこに、「浄土門根元地 粟生光明寺道」とあります。光明寺はここから少し離れた長岡京市にあるお寺です。この場所は、浄土宗の開祖、法然上人が始めて「南無阿弥陀仏」という念仏の教えを説いた場所とされています。

「是より西 30町」とあります。明治30年建立。豊前小倉の人たちが建立したようです。
そのころはまだ神足駅(現:長岡京駅)ができていない時代です。

この石碑、豊前小倉(今の福岡県北九州市)の方が寄進した石碑のようです。明治30年建立です。そのころはまだ神足駅(現:長岡京駅)が開業していないので、向日町駅が光明寺への玄関口だったのですね。

西国街道と交差する小さな川は、寺戸川です。
拡幅・整備された道には、「西国街道」であることをさりげなくアピールしていますが・・。
この橋は、「深田川橋」と言う名前のようで、
もともと「やま公園」という公園があったようですが、
内水氾濫対策の地下排水路の転流施設ができた場所のようです。
ということで、ちょっとした山のような場所の脇に、
転流施設のメンテ用の扉があります。

この場所は、「石田川1号幹線」という、雨水貯留用のシールドトンネルの発進基地があった場所。今も雨水貯留の拠点です。乙訓地域に大雨が降った時に雨水を溜めて溢水を防ぐという、とても重要な任務をこなす大切な場所です。

石田川1号幹線の紹介をしているサイト
https://www.city.muko.kyoto.jp/ikkrwebBrowse/material/files/group/43/isidagawakengaku_2017091311350453.pdf

乙訓地域は、小畑川や小泉川が流れていますが、小高い丘がある場所以外は低地が多く、大雨が降ると水はけがよくない場所も少なくありません。こんな地域なので、「いろは呑流トンネル」と呼ばれる、雨水貯留施設が整備されていて、水害発生の危険がある水域から雨水を受け入れ、地区全体が冠水することを防いでくれているのです。

■向日町駅構内へ

いよいよ実家から帰るために、向日町駅に入ります。

向日町駅構内。地下通路を歩いてホームに行きます。
何だかちょっと懐かしい感じがします。
向日町駅のプラットホーム。昔のホームの上に嵩上げした感じでしょうか。
関空特急はるかが通過。
車両基地に出入りする列車等もあり、意外と見ていて飽きない駅構内です。

京都駅に向かう電車と並走する、いまでは珍しい車両を見かけました。

DD51型機関車の単行です。
国鉄時代は主力のディーゼル機関車でしたが、今は貴重な生き残りです。

京都駅に到着。これから八王子に戻ります・・といきたいところですが、予約している新幹線までまだ1時間くらい時間があります。ということで、もう少し京都でプチ散歩を楽しんでいますので、次回はそれをお伝えしたいと思います(笑)。

■終わりに

向日町駅前も、少し懐かしい駅があり、駅前に西国街道が走り、昔ながらの石碑等もある場所でした。少し歩くと、寺戸川が流れていて、洪水対策の転流施設もありました。少しの時間の散策でしたが、よく見るといろんな発見があった街歩きでした。


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