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フローラ派の僕と、ビアンカ派の父と。(ドラゴンクエストV 天空の花嫁)

ビアンカ派か、それともフローラ派か。きょう31周年を迎えた『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』を語るうえで、避けては通れない話題だ。

結論から書いてしまうと、僕は断然、フローラ派である。

SFC版は3周したからビアンカも選んでみたし、DS版ではデボラを選んだ。
ゲーマーとしては、すべてのルートを辿っておく必要がある。それはしょうがない。ただ、誰かひとりを選ぶのなら、僕は迷わずフローラを選ぶ。

クラスの友だちに聞いても、ビアンカ派が圧倒的多数だった。当時は小学2年生。恋愛の観点で選んでいるというよりは、子供が超サイヤ人みたいでカッコいいから。パッケージにビアンカがいるから。そんな理由がほとんどだったように思う。連載中のドラゴンボールは大人気だったし、ゲーム側は(つまり、堀井氏は)全力でビアンカを選ばせようとしてくる。だから、ビアンカを選んでしまうのしょうがない。

でも、僕は断然、フローラ派である。

なぜか。ルドマン家の家宝である天空の盾を手に入れるためだ。そもそも、主人公がサラボナを訪れた目的は天空の盾だったはずだ。もちろん、ビアンカを選んでも、心優しきルドマンは天空の盾を渡してくれる。それはもう、プレイヤーみんなが知っている。

だけど、あの結婚相手を選ぶタイミングでは、なにも保証されていないのだ。「ビアンカさんおめでとう。じゃあ天空の盾の話はなかったことに……」となってもおかしくはない。

ビアンカと結婚することで、世界を救えなくなる。天空の装備を集めて、伝説の勇者を捜す旅が続けられなくなる。だから、主人公の気持ちを考えるなら、ふつうはフローラを選ぶんじゃないか。小学2年生の僕は、本気でそう考えていた。

……ということを、クラスのみんなに訴えた。

「なに言ってんだお前?」、「ゲームなんだから、どっちを選んでもクリアできるだろ」 。それはわかる。でも、なんというか当時の僕は、真剣だったのだ。「主人公の気持ちになって、冒険の目的を考えて、もっと誠実に選ぶべきじゃないか!」そんなことまで思っていた。いや、正直、いまでもちょっと思っている。「たとえ世界を失ってもビアンカと添い遂げる!」みたいな覚悟を持つには、エピソードが足りないでしょう?

……ということを、ある日、父に訴えた。
みんなわかってくれないんだよ、と。

父は淡々と言う。「確かにな。お前の考えはもっともや」と。
でも、僕は知っているのだ。父がビアンカを選んだことを。

僕が「ぼうけんのしょ 1」を、父は「ぼうけんのしょ 2」を使っていた。
こっそりデータを開いて、装備や仲間モンスターを見るのが好きだった。
父のパーティーにビアンカがいたから、少しだけ残念に思ったのだ。

だから、思いきって聞いてみた。
「じゃあ、なんで父さんはビアンカにしたの?」

そしたら、少し間をおいてからニヤッと笑って、
目を逸らしながらこう言ったのだ。

「そりゃお前、決まっとるやろう。母ちゃんに似とるからや」。

――ずるいなあ。それは、ずるい。
そう言われてしまっては、ぼくとしてはもう、同じく目を逸らすしかない。少しの沈黙のあと、恥ずかしさに耐えられなくなって、ふたりで笑った。

たしかに僕の母は、お嬢様のフローラというよりは断然、元気いっぱいなビアンカだ。孫を抱きかかえるいまだってそうだ。でもさあ、そういうセリフを、恥ずかしげもなく息子に言うかなあ。まったくもう。

少し話が戻る。ゲマの炎に包まれるパパスの最期を、僕は父の膝の上で見ていた。大好きなゲームの、主人公の父親が死ぬシーンを、自分の父親に抱かれながら見ている。なんだか気まずいような、照れくさいような、変な気分だった。泣いたりはしなかったけど、茶化す雰囲気でもないことはよくわかった。つぎのシーンに移るまで、僕らは無言でブラウン管を眺めていた。

『ドラクエV』の発売日は、1992年の9月27日。発売から31年が経つ。翌週が8歳の誕生日だったから、プレゼントに買ってもらったことをよく覚えている。

いいゲームは、人生のステージが変わると違った楽しみを与えてくれる。いまの僕は、守られる主人公ではなく、守るパパスに共感してしまうのだ。そう、あのときの父は、親となったいまの僕と同じ気持ちだったはずだ。

何があっても、君を守ってやるからな。パパスと同じように、隣にいるムスメを、命を懸けて守っていきたいと思うのだ。

……こういう惹句を、恥ずかしげもなく書くところ。
まさしくぼくの性格は、父親ゆずりなのだろうと思う。まったくもう。

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