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Twitterで暮らしていた人間がnoteにきて1ヶ月たった

10年ほど前、某botをきっかけにツイッターランドに足を踏み入れ、鍵垢の山奥で静かに暮らしていたのですが、このたび9月に人里に降りてきてnoteをはじめました。(熊みたいな言い方をするな)

一文目で察していただきたいのですが、この先もこれくらいの適当さです。

見出しも適当なので千鳥の声で再生していただければ結構です。なんで?

シンプルに文が長いんじゃ

今まで、制限字数の中にいかに情報とネタを混ぜ込むかというマインドで生きていたし、端的に面白いことをいう人間が偉いと思っていた。

noteにきたら無限に文字が書けてびっくりした。

遠足のおやつは360円までって言われてやりくりしてた小学生が、突然5000兆円渡されたらこういう気持ちになると思う。しかし。


note、構成力が無いと死ぬ。


文字が長くなればなるほど、それをうまく統率できる人間がえらいし、長いと感じさせない読みやすさとリズム感とセンスのある人間がえらいと思った。Twitterの感覚には無い概念である。

思えば大学時代もレポートの着地点が見つからなくて結論にハードランディングし続ける生活だったので。

構成を考え文章をまとめる力の足りなさを感じる日々である。ソフトランディングしていきたい。


語彙力がたりとらん

noteで文章を書いていて、何かを賛美しようとしたとき、「よい」「美しい」「最高」「エモい」
くらいの語彙しかないことにびっくりした。

Twitterを貶す意図は全然ないので許してほしいのですが。

あの場所は独自のツイッター構文というかオタク構文が発達していて、短い言葉で伝わる言語に特化されているので、言葉を尽くして褒めるための言葉は生活していく上であまり必要ないのである。主観ですが。

とりあえず100000000000000000000000倍くらい数字を盛れば感情の昂りが伝わる。
みたいなところがある。こういうとこやぞ。

Twitterが悪いという話ではなく、140字だと語彙力の足りなさをごまかせたので、それを意識する機会が無かったという話です。

アウトプットをして初めて、インプットって大事だし必要だなあと切に思った。

文章の上手な人って、知識があって、様々な言葉を知っていて、それを正しく使いわけるひとだと感じる。


めがね!!断捨離!!

千鳥っていうよりローソンの商品のノリみたいになった。それはさておき。

文章を書くことを習慣にして、なんだか世界のみえかたがクリアになった。眼鏡をかける感覚と似ている。人に伝えるための言葉にしようとする過程で、対象の解像度が上がっているかんじ。

以前の記事でアウトプットについて書いたけれど、ここで書いたものが予想通り得られているかんじがする。



上記に加えて、これが是が非かは分からないけど、言語化できないものは、エネルギーをかけて言葉にすると軽くなることに気づいた。言葉にして、他人に渡せる形にして初めて、自分の抱えていたものにさよならが言えるようになる。
視界がクリアになったという感覚はこのあたりからもきている気がする。

noteは心の断捨離である。

Twitterが日々のゴミ出し。noteが年末の大掃除。
掃除効率がえぐい。部屋がきれいになって世界がすっきりになるのはそれはそう。

noteを書き続けたら精神的こんまりさんになるのだろうか。いや無理。早。

最近読んだ記事なのですが、精神的こんまりさんになるよりは早くこれになりたい。勢いがほしい。タンバリンしか勝たん。


なにもまとまっていないけれど、ゆるゆると、じぶんの書きたいことを、習慣としてたのしく書いていきたいですという気持ちです。

以上、やっぱり今回もハードランディング。

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