💛諺シリーズ㉑💛 「命あっての物種」
◉命あっての物種
類義語:命に過ぎたる宝なし、死んで花実が咲くものか など
対義語:命より名を惜しむ、虎穴に入らずんば虎子を得ず、命は鴻毛よりも軽し など
英訳(例):Everything is meaningless without life
While there's life、there's hope.
< 意味・由来 >
なにごとを為すにもまず、自分の命を優先することが大事。
自分の身の安全や健康を顧みない、無謀な挑戦や過酷な労働などは慎もう、という戒め。
※物種=ものごとの元になるもの、根源
◆◆◆◆◆
毎年、春の干潟シーズンになると、この諺を自分や家族に言い聞かせている。
20代前半から、私は年間の半分以上は実家の親や親族とともに、干潟での貝類採集の仕事をしてきた(ほかにも畑での農作物の栽培や柑橘の世話、牡蠣の身出し作業など、屋外での仕事を無数に行ってきた)。
その中で、人々がこぞってレジャーに出かける春~夏の季節は、気温が上がって日照時間も増え、もっとも開放的な気分になりやすい。
野山には色とりどりの花が咲き乱れ、冬眠から目覚めた生物たちが活発に動き始める。
そんな自然の姿に誘われるかのように、人間の心も浮き立つのは、ある意味理にかなっていることではある。
ボランティアのフィールド調査にも自然と熱が入るし、そうすると、観察力や推理力が高まり、さまざまな新発見のチャンスも巡ってくるもの。
が、そんな時季だからこそ、仕事よりも自分の命を護る行動を優先しなければならない。
自然がいっぱい=危険がいっぱい
これを頭に叩き込んでおかないと、思わぬ危険地帯に足を踏み入れてしまったり、予想外の災難に見舞われることになる。
たとえば、私や家族が長年採集の仕事を続けてきた内湾干潟の場合。
外海のように高波・津波の被害が生じる危険性は著しく低いが、気象条件や周辺環境(山や田畑、河川環境など)の変異により、干潟の低質(砂の状態)や海水の状態が数ヶ月おきに様変わりすることがある。
とくに、砂浜の一部が知らない間に極端に柔らかくなってしまう、という現象はこれまでに多発している。
それを知らず、うっかりそこに足を踏み入れてしまうと、大人でも太腿あたりまで埋まってしまって抜けなくなる、などというハプニングが起きるのだ😱
だからこそ、「今が書き入れ時だ」と思って仕事や調査活動に力が入る時ほど、「命あっての物種」と自分に言い聞かせる。
視点を変えると、近年、殺人的な暑さを記録するようになっている、ちょうど今の季節……。
高校野球関連のニュースや、炎天下の夏祭り会場で踊りを披露する人たちを見ていても、やはり、「命あっての物種だよ」と声をかけたい心境になる。
練習や努力の集大成を、多くの人に見てもらえる機会に恵まれるのは素晴らしいこと。
だけど、せめて心身ともに「暑さ疲れ」を起こしづらい気象条件の時季に、開催を変更できないものか……😢
老婆心ながら、つい、そんなことを考えてしまう。
さて、本日8月4日は私の住む地域の、お祭り最終日。
天気は快晴で、最高気温は35℃になる見込み(午後は外で私用があるため、この記事は午前中に執筆している)。
ちょうど最高気温に達する時間帯には神輿渡御が予定されているし、優雅方は民謡流しで、いっそう賑やかになるはず。
……とにかく、熱中症や体調不良で倒れる人が出ないことを心から願っている。
振り返って、私自身もこの8月は今一度、「命あっての物種」と気を引き締め、気力・体力に十分余裕を持てるスケジュール調整を行っていきたい。
できれば10日間ぐらい、まとまったお休みがほしいなぁ……💦💦
あまりの暑さで、心にしまっておけない本音・願望がもれてしまうので、今日のnote執筆作業はここまでとしたい😅
この記事を開いてくださった皆様も、なにとぞご自愛ください🙇♀️
🐥本日の記事は以上です🍀
ここまでお読みくださり、ありがとうございました m(__)m
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