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【強迫性障害】なぜ確認できないと不安なのか?

この記事では、そもそもなんで自分は確認がやめられないのか?の理由について、自分で考えた結果を書きたいと思う。


なぜ、確認できないと不安なのか?
僕はずっと考えてきた。

ドアの鍵が閉まっているか何回も確認してしまうのは、ドアが実は開いていて泥棒が入ってしまうことを心配しているわけではない。なんなら確認するのが嫌すぎて、鍵を閉めなかった時期さえある。

エアコンや電気が切れているのを何回も確認してしまうのは、本当は電源がついていて電気代が無駄になってしまうのが怖いわけではない。いや、電気代が高くなるのはちょっとだけ怖い笑。でも本質的な理由ではない。

僕は確認のその先にある結果ではなく、「確認できた」という結果が得られないことに不安を感じてしまうのだ。

別な記事でも書いたが、僕は「絶対」や「一生」という言葉に弱い。
ある場所でのある事象はその瞬間にしか観測できない。一度その場から離れてしまえば、例え同じ場所に戻って来れたとしても状況が変わっているかもしれない。

つまり、今確認をやめてしまえば、もう一生確認できないかもしれない。

これが、僕を確認の呪縛に引き込む思考だ。どんなにしょうもないことでも、この思考が僕の行動を支配するのだ。

まあ、分かったところで簡単に解決できる話ではない。
でも、一生確認できないことが別に問題ではない事を、何度も何度も自分自身に教えてあげれば、少しは症状がましになるのではないかと思っている。

いわゆる認知行動療法ってやつかもしれない。
確認しなくても問題はなかった=確認する必要はなかったを自分にすり込むのだ。ただ、確認を途中でやめるのはとても辛い事だ。とても辛い事だけど、やる価値はあると信じている。

無理のない範囲で、調子の良い時だけでもいいから、ちょっとずつ自分に教えてあげたい。そんなに確認しなくても大丈夫だよって。確認行為に苦しむことはないよって。

確認行為にとらわれない、未来の自分に期待しながら。




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