#043 ~音楽を始めたきっかけ Cafe de シャンティ~
前回からの続き〜
LesViewを始め、沢山のアーティストのキーボーディストとして参加させてもらい始めた23~24歳の頃
白ちゃんの紹介で、浦田くん[#041参照]のバンマスであったドラマーの土肥さんは、実は私の街、横浜の日吉で土肥さんの兄と2人でカフェを経営していた。
50歳前後で、慶応大学に行っていた方なら知っている方がいるかもしれないほど、学生に人気があったのだ。
ピラフやフランスかまめし、牛肉の赤葡萄酒煮など、凝った料理もあった。
私はそんな事も知らず、地元のカフェだったので高校の頃から友だちとコーヒーやピラフなど食していた。
しかし、そのお店には
Pearl
というドラムのメーカーのロゴがレコードブースの上に飾られていた。
その頃の私はドラマーだったので、
何故?!ここにPearlのロゴがあるんだろう?!
って不思議に思っていた。
客席は20数席なのだが、レコードが数百枚とその後CDも聞けるようになった。
お兄さんの方を、その後マスターと呼んでいたんだけど、そのマスターの選曲が良くて、色んな音楽を学んだ記憶もある。
ある時、Pearlのロゴがあまりにも気になったので、思い切って聞いてみた。
すると、
弟がドラマーなんだよ。
とのこと!
プロのドラマーだったんだ〜♫
私もドラマーなんですって言ってみると、
どこのメーカー使っているの?!
と聞かれたので
TAMAを使っています。
と、話はハズんだ。
ドラマーです!といって、メーカーを聞かれた際にドラムを持っていなかったらかなり恥ずかしかっただろうwww
話しは外れますが〜
以前、友達主催の飲み会があって、15人位で飲んだんだけど、友達が
「私の友達を紹介させて〜」と、プロのドラマーを目指しているという若者を紹介させてもらった。
「初めまして」と言いながらも「どこのメーカー使ってるの!?」と聞いてみたら
「ドラムは持っていないです」
と即答された。
ドラムは貸しスタジオにあるから毎回借りるとの事だ。え〜?!
違う言い方で例えるなら、プロ野球選手になりたい!という人が、バットとグローブを持っていないのと同じだと思う。
その彼が、「どうやったらプロになれますか?!」と、聞いてきたので
「ドラムを買うことだね」と即答し、「頑張ってね」と、それ以上は話さなかったwww
話しは戻りますが〜
それから 私はA-JARIという音楽業界に入ったので、土肥さんは業界の先輩になった。
A-JARIが解散してもちょくちょくカフェに遊びに行き、リズムの取り方とか、色んな話を聞き、学ばせてもらった。
初めてカフェに入った高校時代から、5~6年後にまさか一緒にツアーを回ることになるとは、ホント想像すら出来なかったが、それ以降もこの様な奇跡は沢山経験した。
ある平日のお昼前に、電話がかかってきた。 土肥さんからだ。
「今日カフェが混んでて、人手が足りないから手伝いに来てくれ〜!」
という電話で、もちろん直ぐにカフェに向かった。
私はフロア担当で、土肥兄弟は厨房で料理を必死に作っていた。
ランチタイムが終わる頃、慶応の生徒さんが私に
「すみません、このCDかけてもらっても良いでしょうか?!」
と、持ち込みの CDを手に取った。
横山輝一さんの “ Loven’ You” という楽曲だった。
横山さんは確かA-JARIと同じ、1986年デビューのアーティストだったのは覚えていたが、実際に楽曲は1曲ほどしか知らなかった。
そして、CDのプレイボタンを押して聞いてみると
超!格好良い曲ではないか!!!
その数週間後にはこの楽曲はスマッシュヒットになったのは言うまでもない。
あまりにも良い曲だったので、5周ほどリピート聞きをしたのを覚えている。
これまたひとつの点 ~奇跡の入り口~ がやってきた。
つづく〜