記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

隔つものとしての「川」3題 『耳をすませば』『花束みたいな恋をした』『親密さ』

※2022年9月20日にCharlieInTheFogで公開した記事(元リンク)を転載したものです。


 映画『耳をすませば』(近藤喜文監督、1995年)がテレビ放送されており、久しぶりに見た。有名なラストシーンで見える川は多分多摩川なのだろう。

スタジオジブリのウェブサイトから

 夢を叶えるため遠く彼方へ向かおうとする少年が、夢とともに愛の告白をするとき、二人は川向こうを見ている。多摩川の先にあるのは都心、空港から少年は旅立つのだろう。川向こうはアウェーの地であり、裏を返せば川のこちら側はホームである。

 シェンロン(神野龍一)は『花束みたいな恋をした』(土井裕泰監督、2021年)のレビューで、多摩川を主人公たちの世界と社会とを分け隔つものの象徴と見立てている。

この二人は「社会」と隔絶した場所にいる。二人が住むマンションはベランダから多摩川が見えるが、そこは彼らにとって彼らの世界の際で、そこから向こうは滝になっているのだろう。ちょうど中盤、自分の仕事が嫌になって運転しているトラックを水没させたドライバーが登場するのが象徴的だ。

シェンロン『「花束みたいな恋をした」に仕掛けられた坂元裕二の「罠」について』

 『親密さ』(濱口竜介監督、2012年)の第1部終盤、同棲していた若き演出家カップルの二人の関係がいよいよ破綻しようとするとき、未明に二人が話しながら歩き渡るのも多摩川の丸子橋だった。このシーンにおける川はどうだろう。

 もはや後戻りできない決裂を経て家を飛び出した男を女が追い掛け、東急東横線車内でやっと合流し、降りて東京側から神奈川側へ帰ろうとするシーンである。本来ホームであるはずの家は、もはや二人のホームではなくなっている。二人で東京に行って舞台に立ち、二人で帰る生活はもはや存在しない。行ったり来たりするシーンの多い濱口作品において、本作もやはり川の東西を行ったり来たりする場面がよく出てくるが、本作は東がこう、西がこうと言い切れるものでもなくなっているのが興味深い。

 ホームとアウェーという二項対立が撹乱された状況において、二人はそれぞれ別々に東京と神奈川を行ったり来たりしてきた中で、あえて再び言葉を交わしながら橋を渡る。夜が明ける。二人の関係は、それまでの単なる彼氏彼女の定義とは違う「親密さ」としか言いようがない関係に再定義される。そういう意味では〈青春の死〉をもたらす三途の川のようにも見える。

 映画が描く川が何かを隔てるとき、それは神の視点で中立的にAとBを切り分けるものではなく、あくまでも〈此岸〉と〈彼岸〉を分ける主観的な隔たりとして存在するのだろう。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?