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『花束みたいな恋をした』の感想が書けない

※2021年3月28日にCharlieInTheFogで公開した記事(元リンク)を転載したものです。


 2月8日に『花束みたいな恋をした』を見て以来、合わせて3回本作を見ているが、感想をまとめきれずに1か月半ほどたってしまった。何度かブログを書こうとしては、手が止まり諦めるを繰り返している。それくらい、かなり自分には刺さっている映画であることは間違いない。

 最初見たときは、麦(菅田将暉)と絹(有村架純)が、キャリアモデルのジェンダーによる差・違いという構造的問題の影響を受けながらすれ違っていくという「あるある」を、散りばめられたポップカルチャーの要素によって語るという映画として見た。もちろんその時も、エグい映画だなと身に迫るものがあったが、見るたびに、そういう客観的な第三者としての見方ができなくなっていって、3回目はちょっと吐き気がするくらいにしんどくなった。

 別に同棲経験なんてないし、4年も人と付き合ったこともないので、自分を麦や絹に投影するのは不合理なことだとは思うのだが、しかしそれでも何か他人事と思えない切実さがあって、距離をおいて見ることが出来ないのである。

 この1か月半の間、『花束』を見た何人かと感想を語り合う機会があった。刺さった人もいればそうでない人もいたけれども、刺さった人どうしで話していると自然と自分語りを互いに始めてしまう。あんまりしつこく自分語りをするのはダサいという意識はありながらも、しかし『花束』が引いてしまった引き金はあまりにも大きく、ダサいとか言ってられなくなる。恐ろしい映画だと思う。

 このブログも7年目に突入し、それなりの年数を経てきた。ツイッターにしろブログにしろ、その時、ない知恵を絞って自分の感情や思考を記録し続けてきた。本作についてはこんなことしか書けない。全く消化できない。これが現在の自分の限界である。そういう事も含めてこのブログには記録しないと次に進めないと思ったので、すごく半端な書きなぐりの文章だが載せておこうと思う。

あべのアポロシネマにて

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