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濱口桂一郎著『ジョブ型雇用社会とは何か──正社員体制の矛盾と転機』

※2021年10月17日にCharlieInTheFogで公開した記事(元リンク)を転載したものです。


 労働時間ではなく成果で評価する、契約時にそのポストに必要な能力を記した職務定義書(ジョブスクリプション)が示される、能力が足りなければ解雇も自由にできる、欧米では一般的──。多くのメディアで語られる「ジョブ型雇用」のイメージである。

 本書の著者は2009年の著書で「ジョブ型雇用」と「メンバーシップ型雇用」という言葉を作った張本人だが、著者はこうしたジョブ型雇用のイメージを「おかしなジョブ型論」「トンデモ」と、にべもなく否定する。確かに本書を通読すると、先進例として取り上げられることの多い日立製作所などの例が、ジョブ型雇用どころか従来のメンバーシップ型雇用の論理の延長上にあることが分かる。

 労働政策研究の第一人者があらためて「ジョブ型雇用」の指すものを解説し、日本型労働社会の機能不全の本質が何かを整理した本書は、間違いなく今後の労働政策議論におけるバイブルとなるだろう。

 第1章は「ジョブ型」と「メンバーシップ型」の違いを基礎の基礎から解説した章だが、とにかくこの章だけでも社会人や就活生は目を通しておくべき内容だ。

 職務(job)が明確に規定されるものを「ジョブ型」、されないものを「メンバーシップ型」と呼ぶことにすると、日本は職務は基本的には明確に定義されず、使用者の命令によってどんな仕事をしてどんな職務に就くかが決まるので「メンバーシップ型」となる。

 雇用契約の性質の違いが何をもたらすか。まず「ジョブ型」は職務を規定して雇用契約を結ぶ以上、その職務に必要な人員が減少すれば契約解除となるのが自然である。賃金もその職務に対して値札が付くので、労使交渉で決めるのは職種ごとの賃金であり、ゆえに労働組合は職種別・産業別につくられる。

 一方「メンバーシップ型」は職務を明確に定義せず、雇用契約によって約束されることはその勤め先の成員(membership)になることとなる。実際に就く仕事、職務はその時々の使用者の命令によって決まるから、ある職務の必要人員が減少してもその職務に就いている人は、別の職務に移せば済み、雇用は継続される。職務が定義されていない以上、職務に応じた賃金設定は不合理で、もし無理に職務別賃金にしてしまうと高賃金職種から低賃金職種への異動がしにくくなる。客観的な要素による賃金制度を作ろうとすれば、どうしても勤続年数や年齢に比例した作り方になる。こうした制度下の労使交渉では、その職種・職務の価値をめぐる交渉ではなく、あくまでも総人件費の増分を議論せざるを得ないし、ゆえに労働組合も企業別に組織される。

 日本型雇用の特徴は終身雇用、年功序列、企業別組合のいわゆる「3種の神器」だと説明されることが多いが、著者の整理によればこれらは現象に過ぎず、雇用契約の性質によって必然的に導かれた結果ということになるのだ。

 具体的な個々の職務に欠員があるかどうかにかかわらず、専門的な知識・技能のない若者が新卒で一括採用されるのも、実際に職務に従事する前の内定が雇用契約と同じ扱いを受けるのも、教育訓練がOJT中心でハラスメントとの区別がつきにくい場合が多いのも、メンバーシップ型契約ならではの現象だ。

 ジョブ型であれば、職務自体の消滅による整理解雇のほうが自然で最も正当な理由ということになり、労使協議で解決される範疇となる。メンバーシップ型の日本が、整理解雇にいわゆる四要件で回避努力が義務付けられる一方、残業・配転拒否など労働者の能力・資質に関わる解雇は広く認められるのとは対照的である。

 その他、ここには書ききれないが、日本で働いていると当たり前のように見える様々な労働慣行は「メンバーシップ型」という雇用契約に由来することになる。

 冒頭に記したジョブ型雇用へのイメージがいかに的外れなのかは、いまのような整理を踏まえば簡単に理解できる。ジョブ型雇用における職務経歴書は能力ではなく、あくまでも職務を記述するものだ。採用段階で能力は厳しく選別されるからいったん採用した後に能力不足で解雇するということは不合理であるし、また職務がなくならない限り解雇する理由もない。何よりも成果による評価はジョブ型とは関係ない。

 第2章以降は、こうした基礎的な理解を踏まえて、各論へとつなげていく。第2章は採用やその前段の教育、そして定年や解雇の在り方。第3章は賃金。第4章は労働時間と心身の健康。第5章は女性、障害者、外国人といった日本の労働市場から疎外されてきた層について。そして第6章は労働組合である。

 本書のタイトルが利いている。「ジョブ型雇用とは何か」ではなく「ジョブ型雇用社会とは何か」なのである。日本の企業がこぞってもてはやし導入を目指している「ジョブ型雇用」を標榜した制度はその実、成果による評価を徹底し、会社の役割期待へ応える社員により高い待遇をもたらすというメンバーシップ型雇用の神髄を捨て去っていない。

 もちろん本来のジョブ型雇用になったとしてもバラ色の未来があるわけではないし、ノスタルジーに任せて終身雇用・年功賃金に戻したとて、労働者は公私があいまいな中で生活を人質にせざるを得ないことには変わりない。

 メンバーシップ型雇用が強いる生き方がどのようなものであり、本来のジョブ型雇用が私たちの生活にどのような影響を与えるのか。まずはこの点をちゃんと咀嚼したうえでなければ人事制度の議論は始められない。よって今後の労働を考える上ではまず欠かせない本であり、長く読まれる本となるだろう。

(2021年、岩波新書)=2021年9月23日読了


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