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【小説23】麻子、逃げるなら今だ‼︎〜逃避〜


全話収録(フィクション)⤵️

前日譚•原案(ノンフィクション)⤵️



23.逃避

 デイサービス利用者川崎様の送迎には、拒否した岩山さんに代わりベテランのパート職員が行ってくれた。
岩山さんが「パートさん」と見下している内の1人だ。
頼りになるし岩山さんのように業務を選り好みしないし、麻子の車酔いがどれほど酷いかも知っている。
 何度も労う麻子に「前田さんの所為じゃないんだから気にしないで」と気軽に行ってくれた。
岩山さんからは、その職員にも麻子にも何の言葉もなかった。
 岩山さんが日々起こすさざなみのような小さなトラブルを管理者は知らない。
職員が直訴しても、麻子への不満だと取り違えるくらいだ。

 「岩山さんから聞いたけど、どうして送迎に行かないんだ?
生活相談員が利用者の自宅の状況を知らないのはまずいだろう。
それとな、いい加減に社用車の研修に行ったらどうだ?」
岩山さんのやり方だ、それを信じる管理者もどうかと思うけれど。
 デイに異動してきたときの職員は車酔いで送迎に行けない麻子が、他の業務や掃除を率先してやっていたことを知っている。
20年も運転していないことは営業に行き始めた当初に、管理者に直接伝えた。
利用者宅の場所や状況なんて、自転車で確認済みだ。
管理者の言葉が麻子の頭上を通り過ぎて行く。

 虐待防止研修の資料を読み直している。
毎年少なくとも1回は職員全員が受講しなくてはならないので、大方のことは頭に入っている。
 川崎様のケースは、身体的虐待と心理的虐待。
ご家族が病院へ連れて行きたがらないのは、ネグレクトと言えるかも知れない。
もしかしたら麻子にも当てはまるかも?

 夫から平手打ちをされたのは身体的虐待だろうか、1回だけなのだが。
生活費を入れないのは、経済的虐待、今では麻子にも収入があるけれど。
怒鳴るのは心理的虐待か。
無視はネグレクトに当たるのだろうか。 
 話し合いができない夫の顔色を伺い、機嫌が悪くなると謝り、自分のどこが悪いのかと内省してきた。
一方的に「離婚する、メールで話し合おうと」と提案しながら夫からメールが届くことはなく「今後一切電話をしてくるな」と活字のファックスが届く。
麻子が遭っているのは「モラハラ」という奴なのではないか。

 川崎様の目の腫れが引いてきてデイで入浴されるようになると、胸や腕や脚にも新しい皮下出血が見つかった。
ご家族に訊いても、相変わらずのらりくらりの言い訳ばかりで埒が開かない。
 知っているのに黙っていることは、麻子にはできない。
本当に転倒によるものならそれで良い。
誤報と言われても構わない。
管理者も担当ケアマネジャーも動いてくれないなら、取り敢えず地域包括支援センターに相談してみよう。

 川崎様の利用日に合わせて包括の主任ケアマネと看護師がやってきた。
流石に対応が速い。
管理者にも立ち会いを依頼したが「普段の川崎さんを知らないから」と断られた。
利用者を知らないことを恥だと思わないのだろうか。
 本人との面談の前に個人情報と患部の写真を提供し、普段の川崎様とご家族の様子を2人に伝えた。
 「川崎さんにお客様がいらしてますから、こちらへ来ていただけますか」
 「私、あの人達を知りませんから」
何かを察知しているのか川崎様の表情は固い。

 包括の看護師が優しく話しかけながら、川崎様の歩行や動作を確認して行く。
痛みの有無を訊くと「私はおっちょこちょいで、いつも迷惑をかけるなと言われてますから」と答えを逸す。
「目はよく見えてます」「家では笑ってばかりです」「皆んなよくしてくれます」「私は頭が悪いですから」「迷惑をかけるなと叱られています」先程の緊張が嘘かと思うくらいにすらすらと言葉が出てくる。
 思ったよりも短時間で包括の2人は帰って行った。
あのヒヤリングから何が判ったのだろう。
どんな対応をしてくれるのだろう。

 翌日から川崎様はデイを休まれており、包括からの連絡もない。
久しぶりに担当ケアマネから連絡があったと思ったら「ショートステイで繋ぎながら施設を探すことになったので、デイは終了します。
有難うございました」と言われた。
 ご家族からの挨拶もなく、それきり川崎様の情報が入ることはなくなった。
包括がどのように動いてくれたのか
、虐待だったのかどうかも判らない。
どんな形であろうと川崎様がお元気で、ご家族が機嫌良く過ごされているのならそれで良い。

 麻子には気づいたことがある。
拗れた関係は修復するより新たな関係を作ること、環境を変えること。
 原因は?理由は?責任は?
究明しなくて良い訳ではないが体と心の安泰を優先すること。
環境を変えるとは居場所を変えること。
その場を離れること。
逃げ出すこと。 
逃げることは、決して悪いことなんかじゃないということ。

 管理者の態度は変わらない。
麻子を次期管理者に昇格させて、自分は転勤したいらしい。
転勤したとて横滑り、昇格はないだろう、知らんけど…
どうせ麻子に任せきりなら、勝手にやらせてもらおう。
今日から麻子の中の管理者は「判子を押すだけの人」だ。
管理者に期待することから逃げる。
 岩山さんも変わらないだろう。
介護福祉士国家試験受検資格の「介護現場で実務3年間」を満たす為だけに総務からデイへの異動を希望したと、最近になって知った。
希望を通した本社もどうかと思う。
ご利用者は岩山さんの練習台ではない。
変わろうとしないどころか、チームワークを壊す岩山さんに巻き込まれないように逃げる。
岩山さんを育てる為の時間を、ご利用者と他職員を守る為に使う。
岩山さんが「パートさん」と纏めて呼ぶ人達の殆どは、介護福祉士資格を保有している。
彼女達を見下さないでもらいたいものだ。

 親世代では当たり前だった「普通」という形は、今や婚姻にも家庭にも存在しない。
離婚はどうだろう?
「普通の離婚」に拘る必要が麻子にあるのだろうか。
 できない話し合い、かからない電話、届かないメール、活字のファックス、一方的な離婚届…
喧嘩すらできない夫から積極的に逃げてみようか?
麻子が主導権を握ってみようか。
 変わらない夫に元々期待などしていない。
仕事に対する割り切りができた。
娘の由美も息子の修も進も大人だし、それぞれ仕事を持っている。
今が逃げどきなのではないだろうか。
(2,517文字)

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