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【小説15】麻子、逃げるなら今だ‼︎〜ご褒美と戸惑い〜


全話収録(フィクション)⤵️

前日譚•原案(ノンフィクション)⤵️


15.ご褒美と戸惑い

 介護保険上、デイサービスは「通所介護」とよばれている。
 介護保険を管轄しているのは厚生労働省で「介護保険法」という法律があるが、都道府県•市町村によりローカルルールのようなものがある。
 前田麻子の職務である「生活相談員」というのは、主にご利用者とご家族と担当ケアマネジャーの間の報•連•相を担う。
デイサービスを利用するに当たり「通所介護計画書」を作成し適宜更新する。
加えて職員や業務についての相談にものる。
「生活相談員」は「通所介護」に配置を義務付けられている職務だ。
資格についてはローカルルールによって多少異なる。

 介護資格の「上がり」は一般的にケアマネジャーだと言われている。
介護保険法では「介護支援専門員」と呼ばれる。
 麻子は公休と有給休暇をやり繰りし、職場には内緒でケアマネ資格を取得していた。
国家資格である介護福祉士資格は既に持っているし、介護の仕事にどっぷりと浸かる覚悟は未だにない。
 異動前に居た有料老人ホームでは「今年もダメだった」「激ムズだった」と毎年のようにケアマネ試験の不合格について耳にしていた。
「何回受けても合格しない試験」というのにムクムクと好奇心が湧き、受けたら合格してしまったというのが真相だ。

 職場にはケアマネ資格取得支援の制度はないし、ケアマネ業務をしない職員に対しての資格手当は廃止されていた。
好奇心から自腹を切って受検し、自腹で登録したので見返りは無しだ。
他社には合格祝い金が支払われるところもあると聞いているが。
 愚痴半分で「何かご褒美はないのかな」と総務の新井さんに訊いてみた。
 「ちょっと調べてみるから待ってて。
だって前田さん、いつもあんなに頑張ってるんだもの」
新井さんは総務一番のベテラン社員。
麻子より年下だが、親の介護、読書など共通の話題が多く、社内の事情通でもある。
部署は全然違うが、麻子には入社以来何故か好意的だ。

 施設長と新井さんの間でどういうやり取りがあったのかは知らない。
受検と合格後研修の費用を会社から出してもらえることになった。
 「上長が、取得資格が業務に必要と判断した場合に推薦できる」という規定を麻子に当て嵌めて解釈してくれるのだという。
本社への推薦状は「だって本当のことでしょ」と施設長が書いてくれることになった。
 試されたり嵌められたりが続いた職場だ。
精神修行の場だと諦めていた職場からもらうことになったご褒美に、喜びがゆっくりと湧いてきた。

 喜んでばかりもいられない。
リーダーを任されていたのだった。
つい先日までパート職員だったのに。
RPGで途中をすっ飛ばしてしまったような感覚か。
そもそもやるべき業務が判らない。
そして教えてくれる人は居ない。
勿論ロールモデルとなる人も居ない。
 もう一つ大切なことを忘れていた。
管理者の退職は今月末だ。
介護保険上、管理者の配置も義務だ。
つまり誰かが新管理者になる。
若しくは何処かから異動してくる。
願わくば「リーダーの何たるかを麻子が解っていない」ということを解ってくれる人でないと困る。
 そんなときでも管理者の心はここに在らずだ。
随分と前に決まっていた転職先にしか気持ちは向いていない。
有給休暇を消化しながら、たまに出勤しても「うんうん、いいんじゃない?」と生返事を繰り返すばかりだ。

 管理者が退職時期を思案しているうちに前リーダーが異動になってしまい、慌てて施設長に退職の意向を伝えたらしい。
 「解らないことは管理者に訊けばいいよ」と麻子に言った前リーダーは、管理者が退職の意向を持っていたことなど、ほんの少しも疑っていなかった。
退職届を受け取った施設長も大慌てだっただろうけれど、麻子も何から手を付けたものやら途方に暮れていた。
 それでも「リーダーが前田さんになって良かった」「カラーが変わったね」と言ってくれる職員達には報いたいし「やっぱり女の人の方が相談しやすいわ」「雰囲気が柔らかくなった」と言って下さるご利用者やご家族には寄り添いたいと思う。

 管理者の後任を5日後に公表すると施設長から聞いた。  
「訪問介護」、いわゆるヘルパーの管理者経験はあるがデイは未経験らしい。
彼には威圧感しか感じないんだよね…と思うが、未経験はお互い様。
意外と謙虚に助け合えるかも知れないと淡い期待を抱く。
 通常業務に加え前リーダーの残務、監査で指摘された修正をチマチマと入力する。
名前も知らないご利用者の書類を作成し、渡すことのない計画書を作成し、
何年も前に遡った日付けを記入する。
とにかく新しい体制を早く調えたくて、できるだけ考え込まないように作業と割り切ってこなして行った。

 今日は珍しく管理者が出勤している。
訊けることは今のうちに訊いておかなければ。
 「管理者が今までやっていらっしゃったことは、次の方が全てやって下さるという認識でいいですか」
念の為の確認だ。
 「ううううん…?
一応全部教えたつもりですけど…」
煮え切らない返事に不穏な空気が漂う。
 「私は前リーダーの業務だけをするということで、あってますか?」
更に念を押す。
 「まぁ、そうなんじゃないのかな」
嫌な予感しかしない。
そんな風だから送別会もしてもらえないんだよ。

 翌月初、新管理者が着任した。
麻子はたまたま以前から知っていたが、大半のパート職員達は初対面だ。
「何だか怖そうだわ。
話すときは前田さんを通してもいい?」
職員に怖がられていては、ご利用者に受け入れられるのは難しい。
演技で良いから笑顔で柔らかい雰囲気作りをしてもらいたい。
せっかく、リーダーが変わって良くなったと言ってもらえたのに。
 「自分(麻子のこと)、生活相談員の仕事って何か解ってるのか。
リーダーって何をしたら良いのか知ってるのか」
 いきなりどうしてこんなに偉そうなのだろう。
「デイサービスの仕事を知ってるの」と逆に彼に訊いてみたい。
 「椅子に座ってないで営業に出ろ。
他のデイは皆んなやってるぞ。
負けるな」
 営業は前管理者が担当していたので、前リーダーは全く関与していなかった。
前管理者は自分が担った全ての業務を引き継いだと言っていた。
 「営業に行ったことがないって、マジか?
よくそれでリーダーが務まるなあ」
いきなりジャブが来た。
(2540文字)


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