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【小説13】麻子、逃げるなら今だ‼︎〜車酔い〜


全話収録(フィクション)⤵️

前日譚•原案(ノンフィクション)⤵️


13.車酔い

 労災から復職した前田麻子は、デイサービスで働き始めた。
管理者に対しては嫌な感情を抱いてしまったが、職員は概ね歓迎ムードだった。
有料かデイかには関係なく職員には以前から挨拶をしていたし、休憩時間が一緒になると他愛ない世間話をするくらいには親しくしていたのが好印象だったようだ。
右脚の傷口は塞がっていたが、痛みや痺れの後遺症があるので送迎や入浴は暫く免除してもらえることになった。
 「私達は前田さんがデイに来るなんて思いもしなかったけれど、来てくれて本当に嬉しいと思っているの。
身体介助には自信がないから、有料での経験を教えて下さいね」
年下の先輩達が勢揃いして言ってくれたときには、危うく落涙するところだった。
異動の提案にがっかりしていた自分の気持ちが嘘のように晴れやかになった。

 デイでの毎日は驚くことの連続だった。
オムツを替えて、ベッドから起こして、着替えて、整容をして、食事をして、入浴して…と自力では移動することができないご利用者の生活を支える介助とは全く別の世界が待ち受けていた。
 「新しい塗り絵をコピーしておいて」「朝の会をしましょう」「○○さんは入浴後に静養してもらってね」「午後のアクティビティは何にする?」「体操は前田さんにお願いします」「音楽療法があるから移動を宜しくね」……
 これって介護なの?と感じるようなことの連続だ。
ご自宅で生活ができるご利用者がお相手なのだから、当たり前のことだ。
今までのご入居者の介助が楽しくなかった訳では決してない。
デイにも認知症の方も車椅子の方もいらっしゃる。
ただ、話しかけると返事がある、職員が手足を動かすお手伝いをしなくてもご自身で動ける方がいらっしゃる…
反応が直接返ってくるって何て楽しいのだろう。

 本来ならOJTがついて約1ヶ月間の研修を行うのだがデイ初心者とはいえ介護福祉士資格があること、同法人内での経験があることを考慮してもらえた。
研修報告書も1週間分作成しただけだ。
 デイ新人の麻子はご利用者からも職員からもすっかり受け入れられた。
「向いている」と言った施設長の言葉には今も疑問を感じるが、躊躇した割りには仕事が楽しい。
 高級住宅街の近隣にあり、ご利用者も暮らし向きに余裕のある方が多い。
中には「本当にデイに来る必要があるの?」と驚くようなサロン使いをするマダム達もいる。
元々本や新聞を読むことが好きな麻子には雑学のストックが沢山あるので、そういうご利用者にも可愛がられた。

 そろそろ後回しになっていた送迎の研修を始めましょうかとOJTから声がかかったときには、全曜日全ご利用者のお名前や特徴を把握できていた。
 送迎といってもドライバー業務には専属の職員が居るので、専ら乗降介助と添乗だけだ。
約70名のご自宅の場所、道順、他ご利用者宅との位置関係、ご家族のお顔と続柄を覚えて行く。 
 初回はOJTと同じ送迎車に乗り込んだ。
 「今日は介助はしなくて構わないから、乗降介助とどのタイミングで車中からご自宅に電話をするのかと送迎車からご自宅玄関までの環境を見ておいてね」
座っているだけのつもりで乗り込んだが「○○さんのお宅はかなりの急坂を上って…」「●●さんのところは細くて曲がり道が多くて…」と説明が続く。
研修なのだから当たり前だ。
忘れないようにとメモして行く。

 1便目のご利用者を送り届け一旦デイに戻るや2便目の乗り込みだ。
麻子も乗り込まなければと立ち上がるも、めまいと嘔気に襲われる。
慌ててステンレスボトルに入れておいた白湯を飲んだが、ムカムカは治まらない。
 「ごめんなさい。
車酔いしたかも知れません。
このまま乗るとご迷惑をかけてしまうと思います」
送迎車に乗れないばかりか、後片付けや掃除もできそうにない。
 「顔色が悪いみたいよ。
ソファで休んでいたら良いよ。
掃除は私達でできるから」
デイに残っている職員の優しさには嬉しいけれど情けない気持ちになってしまった。

 次の日は普通に勤務した。
職員それぞれの仕事に対する姿勢や麻子に対する接し方も随分と解ってきた。
 「前田さん、もう1回お送りの車に乗ってもらいましょうか」
昨日のOJTは休みなので、今日は他の職員と一緒に乗り込む。
子どもの頃から乗り物酔いをしやすい麻子は、前日の添乗で悟っていた。
 ご利用者のように前を向いて座っているだけなら我慢できるかも知れない。
ただ車中のご利用者のご様子を横に後ろにと確認したり、下を向いてメモを取ったり、電話をかけたりは無理だ。
忽ち車酔いしてしまう。
 1便目で酔えば2便目には乗れない。
帰所後も仕事にならないだろう。
デイに送迎は欠かせないというのに、致命的であった。
救いは、デイ異動は自ら志願したのではないということだけだった。

 管理者は「慣れてくれ」と言った。
施設長は「徐々にできるようになれば良い」と言った。
解ってない。
当時者ではなく経験もないから解りようがない。
 学習して習得できることではない。
努力して解決できることでもない。
幼いときからの体質なのだ。
旅行には行くではないか、と不審に思われているのだろう。
 麻子によく効く薬は判っている。
副作用の喉の渇きと眠気が半端ない。
例えば3日間薬を服んで旅行から戻ると、それから3日間はぼーっと過ごすことになる。
カプセルなので分割して服用するのも難しい。

 誰も表向き責めたりはしないが、免除してもらっていた入浴介助を進んでやることにした。
デイの浴室は大浴場ではなく、家庭風呂のような個浴槽が2つ。
大事を取って、体格の良いご利用者の入浴はもう一人の職員がやってくれた。
 添乗担当職員がご利用者をお送りしている間の後片付けや掃除も率先してやった。
折角受け入れてくれたデイ職員をがっかりさせたくなかったのだ。

 このときの経緯を知っている職員からは、その後も送迎車に乗らないことを責められたことはない。  
ただ、後年異動してきた職員からは何かにつけて攻撃を受けることになるのだが麻子は未だ知らない。
そして管理者からは慣れるようにと断続的に言われた。
 アルコールを一切受け付けない麻子に「練習すればいいのに。
一緒に晩酌もできなくて詰まらない奴」と言い放った夫と全く同じではないか。
麻子が飲めない体質なのは結婚前から判っていた筈なのに。
(2564文字)


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