見出し画像

【小説14】麻子、逃げるなら今だ‼︎〜昇格〜


全話収録(フィクション)⤵️

前日譚•原案(ノンフィクション)⤵️


14.昇格

 前田麻子がデイサービスに異動になってからの2年間で、職場も家族も随分と変わった。
 夫は出張の予定を家族の誰にも伝えなくなった。
勝手に行って勝手に帰って来る。
その前段階だったのだろう。
麻子が準備した食事に手をつけなくなった。

 ベテランパート職員の離職が相次いだ。
ご家族の転勤に伴う退職なので恨みようもないが、こうも続くと業務に支障が出る。
パートとはいえフルタイムで働いている麻子にどうしても皺寄せが来る。
 台風による大雨警報が出た日、デイの営業を途中で切り上げた。
ご家族に連絡し、ご利用者を無事に送り届けたと同時に雨風が強くなってきた。
 「前田さんも早く上がって下さい。
私達社員は規定時間までいる必要がありますから」と管理者から告げられた。
 管理者を含む社員達は、この状況では仕事にならないからとお喋りをして時間を潰すという。
フルタイムで良いように使われ、要らないから帰れだって。
お茶会でもお給料が出る社員って良いわね、と口には出さずに退勤した。

 意を決して、社員にしてほしいと管理者に訴えてみて驚いた。
 「前田さんってパートが長いから、てっきりパートが好きなのかと思ってた」
フルタイムで働いている麻子に限ってそんな訳がある筈はない。
 こちとら時給仕事だ。
頑張って能率を上げてより多くの業務をこなしても、のんびり屋で少ししか仕事ができない人も覚えの悪い人も1時間は1時間。
他方、28日間しかない2月でも31日間ある月でも同じ月給をもらえて、賞与ももらえる。
有給休暇に加えてリフレッシュ休暇も付与される。 
 夫の扶養内で働いているならいざ知らず、パートが好きだと思われていたなんて。
管理者の妻様は元看護師だけど、確か専業主婦だと言ってたな…

 生活相談員業務を行う、という条件で施設長が麻子を社員に推薦してくれることになった。 
 管理者は、以前に生活相談員にと麻子に提案したが本人が断ったと施設長に話したらしい。
いつ提案をしてくれたというのか。
便利に使い倒していただけではないか。
 本社からは小論文の課題と試験、社長面接の日程が伝えられた。

 社員になりたいのは、待遇のせいだけではない。
夫からの生活費が少額を通り越してゼロになったのだ。
理由を訊いても、いつもらえるのかと訊いても「ないものを払えと言うのか。
どうやったらないのに払えるんだ」と居直って怒鳴って睨みつけるだけだ。
 麻子にも長女由美にも収入があり、アルバイトとはいえ長男修にも収入がある。
次男進の大学の費用は貸与奨学金で賄える。
つもり貯金の存在も心強い。
 夫の家庭に対する無関心には「お金を運んでくる人」と割り切るように我慢していたが、今や無銭飲食をする人でしかない。

 疲れて帰宅して慌てて夕食を準備してキッチンカウンターに並べた。
いつからか年齢順に並べておくと、帰宅した者からテーブルに持って行って食べるようになった。
 夫は暫く地元で仕事だからと、5人分を並べ終えたときに電話が鳴った。
実家時代は仲良くもなかった妹からだった。
大人になると同性のきょうだいは良いものだ。

 近況報告から始まり、健康やグルメやコスメの情報交換が続く。
仕事の愚痴合戦に話題が変わったときに夫が帰って来たけれど大丈夫。
夫の食事はいつものようにカウンターの一番左端に置いてある。
 夫帰宅後も30分ほど喋っただろうか、少し喋り過ぎたかとカウンターを見ると夫の料理は置かれたまま。
 「お帰りなさい、ごめんね、妹からだったの。
久しぶりだから長くなっちゃって…
食事用意しておいたのに食べないの?」
無視を決め込む夫。
無視が一番嫌だと何年も前から言っているのに。
 「どうして食べないの?」
 「うるさいなあ、箸がないっ‼︎」
お箸なんか箸立てから取れば済むじゃないの。
箸立ての場所も自分のお箸も判っているじゃないの。
夫に言いたいことは沢山あるけれど、火に油を注ぐのは明らかだ。
逡巡していると「……ない」
聞き返すと必要以上に大きな声が「これから二度と食べない」と言った。

 夫が次の出張に行くまでの数日間、一応食事の用意はしたが、夫は手をつけなかった。
肝心なことは中途半端なのに、そういうことには頑ななのだ。
 これで無銭飲食する人ですらなくなった。
洗濯物は出して来るけれど、家賃と公共料金は未だ夫が払い込んでいるので大目にみよう。

 デイに居ながら送迎業務をしていない負い目は、生活相談員業務をすることで一層薄らいだ。 
 ただ麻子に生活相談員業務を教えてくれる筈のリーダーは社内監査で指摘された事項を修正するのに忙殺されており、研修らしいことは殆どしてもらえなかった。
それどころか生活相談員になるより前の修正を、麻子が手伝わされる羽目になった。

 青天の霹靂とはこのことか。
リーダーの異動が発令された。
未だ生活相談員業務の全てを教えてもらえていない。
指摘事項の修正も多岐に渡り過ぎて、終わりが見えない状況だ。
 「大丈夫、前田さんならできるから。
僕が居なくなったら管理者を上手く巻き込んで、できることはシェアしてもらうといいから」
 居なくなる人は気楽で良い。
解らないで取り残される身にもなってほしい。
 しかも新リーダーが来るまでは管理者と二人三脚かと思うと、去り行くリーダーのように気楽ではいられない。
 早く新リーダーが異動してきてくれることだけを切に祈った。

 元リーダーが居なくなった翌日も、デイの営業は変わらない。
ご利用者を送り届けてからは「次のリーダーは一体どんな人だろうね?」「大人しいだけじゃない人が良いよね」と職員同士でお喋りをしながら後片付けをしていた。
 そこに施設長から、麻子を含む3人のデイ社員に招集がかかった。
施設長、副施設長が居り、ピリっとした空気が漂っていた。
何だろう?何かやらかしたっけ?

 「ご存知の通りリーダーが異動になりました。
驚かれると思いますが、管理者も今月で退職し居なくなります。
そこでデイの新しいリーダーを前田さんにお願いします。
受けていただけますか」
 ちょっと待って。
生活相談員業務の全貌が解ってない。
監査の修正作業が残っている。
管理者は何故退職を隠していたの?
それに麻子はリーダーの器じゃない。
 突然麻子に22名の部下ができてしまった。
(2548文字)


#書籍化希望 #うつ病 #休職中 #初小説 #フィクション #麻子逃げるなら今だ


この記事が参加している募集

#この経験に学べ

54,021件

サポートしていただき有難うございます💝