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Chara「命のまつり」

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55歳看護師、人生二毛作!!起業を目指してライフストーリーを綴っています。
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#起業

Chara「命のまつり」その54~介護施設11年間の振り返り①

初めて顔を合わせたメンバーで、実質4日間で特定施設の入所準備をしたという、びっくりするよ…

海の風
1年前
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Chara「命のまつり」その53~介護施設で働き始める

7月になり新設の介護施設で働き始めた。 夜勤のないところで、週末に休みがとりやす環境を重視…

海の風
1年前
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Chara「命のまつり」その52~義母の看取りに思う、医療とは

2011年3月14日に帰郷し、しばらく同郷の主人の実家で暮らした。 私の実家にはナナちゃんという…

海の風
1年前
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Chara「命のまつり」その51~直観を信じて脱出

2011年の3月11日東北大震災 あの地震後、原発の事や震災の被害についてかなり兆候優位な状態が…

海の風
1年前
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Chara「命のまつり」その50~2011年3月の衝撃と動物的な直観

育休を本当は3年とりたかったけど、いくらなんでも ながくないか・・・・、仕事もしないと生活…

海の風
1年前
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Chara「命のまつり」その48~母乳育児は嘆きと喜びの日々

無事に6時間40分くらいで娘を出産し、それから母乳育児が始まった。 これまた、自然に赤ちゃ…

海の風
1年前
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Chara「命のまつり」その47~あなどるなかれ、高齢初産婦の底力

高齢の割には大きく体調を崩すこともなく、夜勤も続けながら なんとか産休に突入することができた。 体重は後半のびすぎてプラス6㎏、ちょっと増えすぎた。 里帰り出産で実家に帰る前に、家系ラーメンとか麺めんを食べてむくみがでたりしていた。  この頃は食事について、農薬や肉類に含まれる残留ホルモン剤や抗生物質、食品添加物などについて疎く、口コミを見ては好きな物を食べに行っていた。 実家に帰ってからは、とにかく歩いた。 朝30分、夕日が海に沈む頃30分くらい 青い海に目をこらしなが

Chara「命のまつり」その46~サムシング・グレートにゆだねハートに感謝する

最後にたった1個しか取れなかった卵子 受精卵は無事に育ち子宮に戻すことができた時、 私はも…

海の風
1年前
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Chara「命のまつり」その45~命はどこからやってくるか

1回目の体外受精で命を授かることはできなかった。 その後、医療観察法病棟の仕事を続けなが…

海の風
1年前
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Chara「命のまつり」その44~体外受精に祈りを込めて

クリニックの医師に言われるまま、体外受精の準備がすすめられた。 生理周期に合わせてホルモ…

海の風
1年前
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Chara「命のまつり」その43~不妊治療、精神力と体力、そして経済力

37歳からの不妊治療でかなり出遅れたスタートだった。 とにかく、医師を信じてついていくしか…

海の風
1年前
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Chara「命のまつり」その42~夜勤をしながら不妊治療を続ける

思い切って、ネットで調べたクリニックを受診した。 医師から「○○さん、もう高齢だからね、…

海の風
1年前
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Chara「命のまつり」その41~37歳からの不妊治療

両親や祖父に私の子どもを抱かせてあげたい、 私自身も自分と血のつながった子どもが欲しいと…

海の風
1年前
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Chara「命のまつり」その40~再婚からの不妊治療

医療観察法病棟で看護の仕事を続けていた 東京に来て1年くらいして、高校の同級生と再婚した お互い35歳で 色んな人生経験をしてきて あの時、何かの縁でつながって その後の人生を一緒に歩もうと決めたのだった 両親はひとこと「よかったね」と言ってくれた 嬉しかった 心の中で両親に対し、申し訳ない気持ちがずっとあった 長女なのに結婚して家を出たこと 妹の事故死、そして私の離婚とうつ そしてまた実家を出て東京へ行った私 両親は東京に行くことも反対せず、静かに見送ってくれた